話題210 入院生活



あなたが入院した時のおもしろエピソードや、入院生活に必要不可欠な物等がありましたら教えてください。05/6/20(現在入院中ペロ)



***レス(発言は古い順に並んでます)***


小学生の時内耳炎の手術をした時、ロビーに居たのに顔に包帯巻いてるので見舞いに来た親父が俺が前に立ったのにもかかわらず気づかずに通り過ぎていった。子供心に少し悲しかった・・・。 05/6/20(石川浩司)

とある所要で全身麻酔をかけられることになった。「ふぬぅ〜!!!」と必死にかからないように抵抗したが、先生のめがねが二重に。
「あっは、せんせ〜めがね二個もかけてるんすか〜zzzz」05/6/26(さっちゃん)

俺も全身麻酔やったけどあれにゃあ勝てない。ま、勝ったらもっと怖いことになるんだが。 05/6/26(石川浩司)

3歳くらい年下の女医さん(入院患者仲間)と仲良くなりました。といっても男女の関係ではありません。彼女には好きな人がいました。それは彼女よりさらに2〜3歳若い、男性の看護師さん。私は恋のお悩み相談役。「退院してから手紙書こうか・・・それとも今、面と向かって告白しようか・・・。でも、今告白してフラれたら入院生活が辛いし・・・」「でも、退院した後に手紙書いて、ずっと返事が来なかったりするのも辛いよ。簡単には会えなくなるんだし。もう、入院生活のアバンチュールだったと思って、告白しちゃえ!」。その後、二人はいい関係を続けていました。友だち感覚でよく話し込んでいました。看護師さんも悪い印象は持っていなかったようです。彼の知られざる過去の話なんかも話してくれたようです(→それを私にバラすなよ・・・)。結局彼女は、退院前日に、勇気を持って看護師さんに手紙を渡しました。彼もすぐに、誠実に答えてくれたそうです。そして彼女は・・・、新たな恋を探しに退院していきました。 05/6/26「Fuck-Dah」

歯列矯正の治療のためにアゴの手術をした時2週間くらい入院しました。手術直後からしばらくは顔がぱんぱんに腫れちゃうんですけど、親に「アンパンマンみたい。」と言われました。そんな僕は嬉しい顔がちゃんとできませんでした。 05/7/4(グレ松)

ポータブルDVDプレイヤーは持って行くと便利だと思いました。
僕はパソコンで観てましたけどね。05/7/4(ペロ)

高校時代盲腸で1週間ほど入院しました。手術後、麻酔が効いていて動けない、そして全裸でベットで寝かされて10分くらいほったらかしにされました(手術室の中で)。行き交う医者や看護婦に裸体をさらしていました。下半身麻酔だったのですが、腕も動かなくて・・・。「何かかけてくれよ・・・」17歳だったわたしは恥ずかしさでいっぱいでした。あの時のエロ医者どもの舐めるような視線、忘れません。05/7/4(ニャん吉)

僕も全身麻酔中に何かやられてたのかしら? 05/7/11(ペロ)

小学校6年のときに都合3週間入院したころありますが、
周りの入院患者さんが優しくていろいろ花札とかマージャンを教えてくれました。
消灯時間の後のロビーでの会話タイムみたいなのが良かった。
相部屋って結構楽しいです。個室は孤独になるらしいです。05/7/11(kyuuri)

弟が胃潰瘍で入院した時、お見舞い先でお菓子食べまくっていたらナースさんに怒られました。;05/7/11(りあ)

精神的なものから、思いっ切り激しい過呼吸がでてしまい、近くの救急病院のベッドに搬送されました。
実は晩御飯を抜いていたボクは、夜中の3時ぐらいにあまりの空腹で目が覚め、夜勤の看護婦さんのところに「カツーン、ギコギコ。カツーン、ギコギコ」と歩いていき・・・
「す、すいませんっ!な、何か食べ物をください!死にそうです」
と懇願しました。看護師さん達は、まるで戦地から帰ってきた負傷兵か、幽霊でも見たかのような顔でボクを見つめながらも、せいいっぱいの作り笑顔でビスケットとどんどん焼きをくれました。05/7/11(タナベヒデシ)

あと振りかけも結構重要かと思います。
病院の飯はまずいのでおかずがどれもまずい場合すごく助かります。05/8/3(kyuuri)

瓶入りなめ茸なぞもおいしゅうございます。 05/8/3(石川浩司)

入院は扁桃腺摘出の手術で小学3年生のときに1週間だけ。尿瓶のウンコ版、鉄製のオマルのヒンヤリした感触が忘れられません。というか、あんな冷たいものに座って、しかもベッドの上で、布団の中で、出ませんてばっ!便器は陶器で個室に限ると痛感した9歳児でした。05/8/3(T.E.E.)

中3の時、肺炎で入院。死ぬほど具合が悪く動けなくなり、看護師にナプキンを取り替えてもらったことがある。あの恥ずかしさといったら・・・
屈辱感、敗北感、忘れられん。05/8/15(さっちゃん)

男にとっては夢精したパンツを替えてもらうよーなものでしょうか・・・。 05/8/15(石川浩司)

小学生の時入院していたら、鉄棒から落ちて頭を打った子供が入院して来た。その親子の会話。
子「今日何曜日?」
親「今日は水曜日 だよ。」
子「やったーじゃあドラゴンボールの日だぁ。」
これを百回くらい繰り返してた。親は途中でもう答えなかったけど。ギャグみたいで、私は一人でに やにやしてました。
その子は翌日記憶が戻って無事でした。05/9/19(にゃりこ)

こわっ! 05/9/19(石川浩司)

消灯が21時だと、翌朝はいやでも5時くらいに目が覚めます。しかも腹が減っている。食事については特に制限がなかった私は、妻に殻つきの落花生を買ってきてもらい、手持ち無沙汰を紛らすように独りでポリポリやっていました。するとその音を聞きつけて、隣のベッドの人や、挙句には、はるか向こうの病室の人までが、私のところに集まってくるようになりました。静かな朝、廊下まで殻を割る音が聞こえてくるというのです。で、みんなでポリポリ、ポリポリ・・・。よもやま話に花が咲きました。そして、毎日、掃除のおばちゃんが「まぁた、こげん、ひっ散らかして・・・」と苦笑しながら、ベッドまわりに散らかった薄皮を片付けてくれました。やがて退院の日、私は、楽しいひと時を過ごしたポリポリ仲間たちに、千葉県産の高級落花生を一箱、贈りました。今でも落花生を食べるたびに思い出します。 05/9/19「Fuck-Dah」

落花生の「ちょっと一手間かかる」が入院のひまつぶしとしてもいいんだよね〜っ。 05/9/19(石川浩司)

妻が出産で入院している間に、頼まれて漫画雑誌を2冊買って行きました。退院するとき、封を切らずに持ち帰りました。........漫画どころじゃなかったらしい。 05/10/5(かづ)

病室で やっちゃった。
途中で ナースが検温に来ちゃって布団の中に 隠れましたがバレバレだったでしょうな。
でも ナースって そういう事には おおらかですね。 07/3/12(基次郎)

病気に関係なければ監獄に入ってるわけじゃなし、自分の体は自由じゃあっ! ♪は〜ゴシゴシゴシゴシ音がする。 07/3/12(石川浩司)

精神病棟保護室は本当につらかった。
ふとん一枚と流すペダルのない便器が一個。
あとはなにもない四角い部屋で、 私物はメガネ諸共全部取り上げられて何も見えない。
うすっぺらい布団の中で、一人ひたすら母の迎えを待っていました。   07/3/25(砂糖煎餅)

俺は閉所恐怖症だからそれは嫌だな。迎えに来てくれる人がいなくなったら、まじで怖いね。   07/3/25(石川浩司)

環境が変わると便秘になる私は、入院してもやっぱり便秘になりました。
 お腹が痛いよ痛いよ痛いよと訴えていたら、看護師さんが「座薬入れてみる?」と言うので、もう何でもいいから貸して!!とトイレへ。
 「30分くらいしたら出るよ」と言われたので、ベッドに座ってじっと待つも出そうな気配もなく、通りかかった看護師さんに出ないよーと言うと、「肛門に入れたよね?」と訊かれました。
 微妙に面白い看護師さんでした。 07/4/2(鈴)

時々「座薬」を知らなくて飲んじゃう人も本当にいるみたいだよ。もしくは女の人は肛門の近くにも間違いやすい穴ポコちゃんがあるので、間違えて入れたんじゃないかと懸念されたのかも・・・。 07/4/2(石川浩司)

退屈で死にそうでしたー。
携帯電話とパソコンがないと、生きていけないorz 07/7/7(りあちゃん)

まぁ退屈するぐらいならたいした病気じゃないということで安心だね。俺、顔めくった時はさすがに痛みでテレビも見られなかったし、食事も流動食だったし。でも腫れがひいたらやっぱり退屈過ぎて無理言って一日早く退院させてもらった。 07/7/7(石川浩司)

病気って治ったら治ったで少し寂しい感じしません?軽度の場合に限りますけど。 07/11/10(ミッヒー)

大手を振ってさぼれなくなることは確かだ(笑)。 07/11/10(石川浩司)

小学校3年と4年のときに目の手術のために入院しましたが、お見舞いは毎日来てもらっても8時までしか許されないので、朝ごはん終わった後に病室近くの公衆電話で家に電話してました。夕方には会えるのにベソかいてしまった。あ〜マザコンだにゃ〜 07/12/22(そのふ〜ど)

その年なら仕方ないんじゃない? 俺は小さい時からひとりだけは全然平気だったなー。 07/12/22(石川浩司)

入院中に受けた動脈麻酔がとても気持ちよかったです。
あの全身がしびれていく感じ・・・はぁぁぁあん・・・☆ 07/12/31(りあちゃん)

(危ねぇ奴だなぁ・・・) 07/12/31(石川浩司)

そんなかっこ付けでこっそり言わないで
はっきり言ってくださいよ。08/1/11(笑  08/1/11(りあちゃん)

はっきりは言いません。大人だから (笑)。 08/1/11(石川浩司)

入院はしたことないのですが、入院に多大なる憧れがあります。
先日も会社で首がおかしくなった方と入院見舞い妄想を話していたのですが、入院したら是非とも車椅子に乗ってもらって、私がハートフルに車椅子を押し、病院屋上に上がるとそこには素晴らしい青空があり、そして横では真っ白な洗濯物がはためいている・・・・という妄想にズッポリはまってうっとりしておりました。
自分は入院したくありませんが、人のでそんなことがしたいです。そして是非とも私が帰宅していく後姿を病室の窓から見ていたりしてもらいたいです。 08/6/4(ことり)

年を取れば嫌でもそういう機会は訪れるであろう。
そしてシチュエーションはそれでも、実際は下の世話とか入院費の工面の話とか何かと現実的な側面があるであろう。 08/6/4(石川浩司)

保育園の頃、何日も熱が下がらないという理由だけで入院した事があります。(すぐ入院させる病院だったみたいです・・)
退屈だし、ご飯は冷たくて美味しくないし、夜中寝返りをうって点滴の管が体に巻き付くし、毎朝採血されて痛かったし、点滴の針を刺している左手にテープ?を巻かれて左手が使えない上に、皮膚が弱いのでかぶれてかゆいし、でも掻けないし・・・。
暇つぶしの玩具とか本とか買ってもらえたりはしましたが、あまり楽しいものではなかったです。
あと、毎日おしっこをとって入れておく容器がトイレに並べてあったのですが、透明なので中身が丸見えで、誰かの容器に真っ赤なおしっこが入っているのを見つけた時はさすがにびびりました・・・ 08/6/12(ななを★)

俺も何回か入院経験あるけど、退屈なんだよねー。直りかけの時とかは特にね。今はみんなDSとかやってるのかな? 08/6/12(石川浩司)

出産で入院中のことですが、個人病院の個室ということで、ダンナが泊まったことがあるんですが、夜中に様子を見に来た看護師さんに見られてしまいました。「床に大の字になって大イビキのダンナ」・・・翌日の回診で医師に笑われました。でも特にお咎めはありませんでした。 08/6/12(ばらっちゅ)

実はばらっちゅの寝姿はそれ以上で、ナースセンターで「あの夫婦見たぁ? だんなさんでびっくりして横見たら、あの奥さんのすんごい姿。ププッ!」と笑い者になってたりして。 08/6/12(石川浩司)

水道、お水しか出ないのがやだったなぁ。
お湯じゃないと顔とかろくに洗えない。 08/6/21(りあちゃん)

俺は朝はシャキッとさせる為に逆に冷水で顔を引き締めてるな〜。 08/6/21(石川浩司)

確かに私の寝相も相当ですが、その時はカテーテルと点滴に束縛されてたので、ほぼ磔の状態で、腰が痛くて寝れなかったんです。私が看護師さんに人気だったのは、注射が平気だからって新人の練習台になるときだけでした。左腕の手首からひじ近くまで2センチおきくらいに針の痕がビシーとできましたがうまくいかず、右手に変えるも不発で、結局ベテランの人に手の甲に打たれたりしましたよ。まぁ、誰かが犠牲にならないと上手にならないから、と思って自主的にイケニエになってましたが、今思うとなんてお人よしなんでしょう。 08/8/28 (ばらっちゅ)

ばらっちゅはもしかして・・・キリスト!? 08/8/28 (石川浩司)

長女が幼稚園生だったときにアデノイドの手術を受けました。
極簡単なもので入院もなしなのですが、小さな身体に全身麻酔をうち、手術されると言うのは私にとってとても不安なものでした。
手術室に子供だけが親から離されて連れて行かれるまえに、子供が不安にならないように、と、看護婦さんが座薬を入れに来てくれました。
なんの薬かときくと、まるでお酒に酔ったように、 子供によっては、寝ちゃう子もいるし、笑い出す子もいるし、 幻覚を見る子もいるということで、 不安ながらも興味深く見守っていると 長女は寝転んだまま手を宙にのばして何かをつかもうとしていました。
どうしたの?ときくと、
げへへへへ
と、へらへら笑い出しました。
看護婦さんがおしえてくれた3つの中の2つも当てはまってしまった!
確かにこのあと手術室に連れて行かれるまでのことはまったく覚えていないようで、 感心いたしました。  08/10/12(ますちゃん)

それって、やばい薬の予感・・・。やばくないなら、一個頂戴。 08/10/12(石川浩司)

次女の高熱が続き、結局入院となって調べてもらったら肺炎だったことがありました。 入院には私の分のベッドも用意され、彼女の不安もなく治療することが出来ました。
これで医療費がほとんど只なんだからフランスは税金高いけど良い国だと思います。
マイランプを持ち込んで夜中に読書がゆっくり出来て、うれしかった。
ま、病状がそんなに悪くないから出来たことなんだけど、帰りの荷物がやたら重かったです(笑)。  08/10/12(ますちゃん)

へー、ほとんどタダ! 知らなかった。それなら税金高くても納得だね。 08/10/12(石川浩司)

ひじを脱臼して入院したとき全身麻酔が完全に覚めてからでないとご飯がもらえないので病室の私はひもじくてひもじくて、係の人がやっと私のご飯をめんどくさそうに冷たいまま持ってきて、あたためましょうか?
と、聞いて来たとき。
そのままでいいです!
といって冷たいままがっついてしまいました。
暖めてもらった方がおいしかったと思うけどだってめんどくさそうにしてる人にたのんだらもっと待たされそうなんだもん!  08/10/12(ますちゃん)

俺が全身麻酔から覚めた時、病気の部分とは全く関係ない尿道が激痛。尿道カテーテルというのをやられてた。
とても耐えられなくて、はってでもトイレには自力で行くので管を抜いてくれと哀願しました。 08/10/12(石川浩司)

注射の話をすると、ほとんどの人がびっくりするので、自分が変なんだと気付きました。そういえば、その入院中の話ですが、お腹を切ってるから、抜糸がすむまでお風呂禁止なんですよ。とはいえ、私が出産したのは1月。たいして問題ないだろうと思いきや、えらい目に遭いましたよ。その病院は個室=母子同室という決まりがあって、私の部屋にも来ましたよ、生まれたての息子が。
新生児って体温調節がうまくできないから、室温で調整するしかなくて、エアコンは常に25度。パジャマも布団も冬仕様だった私にはサウナ同然の暑さ。外は雪だってのに、汗かいてました。でも抜糸がすむまでは洗えない。
自分の汗の臭いに嫌気がさしたころ、やっとシャワーの許可が!嬉しくてすぐにシャワーを浴びたのですが、あまりの汚れにシャンプーや石鹸が泡立たないんですよ。頭も体も3回洗ってやっと普通に泡が出るようになりました。母乳を飲ませる前に消毒するのと、産後の処置で看護師さんが毎日洗ってくれていたおかげで、チチと股間だけはきれいでしたが、それ以外は、私の人生で一番汚かったと思います。 08/10/12(ばらっちゅ)

ほ、ほとんど浮浪者同然だね・・・。 08/10/12(石川浩司)

私が入院したときは漫画読んだり絵描いたりでそれなりに楽しく過ごしました。
最近身を粉にして働くことが生き甲斐だった祖父がいきなり全く動けなくなったのですが、 ベッド上でできるような趣味が一切ないみたいなので、急速にボケそう・・・ 08/10/26(桃玉)

うちも親父が70になった時「毎日ボーッとテレビ観てるだけだ。このままじゃボケそうだ」と思ってパソコン買ってあげたら、見事にはまって旅行に行ってはホームページにコンテンツが追加されます。来月80です。 08/10/26(石川浩司)

肺炎で入院した時、元気になったので夜中に騒いだら看護師に怒られた。 08/12/13(さっちゃん)

肺炎で入院した時、元気になったので夜中に死んだら看護師にもっと怒られるよね。 08/12/13〔石川浩司〕

たった一日の検査入院しかしたことない私ですが、入院時、救いようのないような映画を観てしまって、若干後悔したのですが、もしもこれが何日も続く入院だったらとことん救いようの無いシリーズいきたいような気持ちもしまりしまかったりしたりでした。
病院って雰囲気が救いようも無いにちょっとリンクするので、ドヨーーンと落ちはしますが、なかなかのリンク感があり、悪くないのでは、と思ったりもします。 09/2/21(ことり)

落ち込んでいる時は逆に悲しい映画なりを見ろ、とか切ない音楽をかけろとか言うもんね。
中途半端に明るいものを見たり聞いたりしても逆効果だったりするんだよね。  09/2/21(石川浩司)

僕自身はまだ入院したことがありませんが、周りの入院した人たちの話を聞く限りではやはり時間を持て余すそうですね。
婆ちゃんが入院してた時、落語を録音したテープを何本かお見舞いに持って行ったら喜ばれたので、また誰かが入院するようなことがあったら録音して持って行こうかな、とハタ迷惑なことを考えています。 09/2/21(たちつ亭と〜助)

病気にもよるね。骨折とかだったら本当に暇なんだよね。
でもエッチ系の本は厳禁。
悶々としても何も出来ない辛さといったら・・・。  09/2/21(石川浩司)

入院は回数だけは何度もしているのですが、だいたいいつも持っていくもの↓
・ノートPC
・携帯電話と充電器
・iPod
・一回ずつ小分けになった洗濯用洗剤
・ゆかり、または焼き海苔。ごはんですよの類
・スリッパを二つ(ベッドの両側に置いて、どちらからでもベッドへの乗り降りができるように)
・大きめのバスタオル(ベッドのシーツの上に敷くと暖かく、肌触りもよく快適。汗も吸ってくれる)
・風呂敷(洗濯物を運んだりするのに必須) 09/5/1(蓮)

病気・怪我の種類にもよるよね。
俺は顔をめくる手術だったので、顔中痛くてテレビを観ることさえ出来なかったからなあ。  09/5/1(石川浩司)

中2のクリスマスあたりで、5日間の検査入院をしました。
同部屋はおばあちゃん3人。うち2人が韓国出身の方で、よく韓国語でのトークになってはもう一人のおばあちゃんと私は寂しい思いをしたものです。
隣のベッドのキムチばかり食べてたおばあちゃん(from韓国)は今後の入院のことでお医者さんともめて、もう一人の韓国出身のおばあちゃんも巻き込んでよく喧嘩してました。韓国人じゃないおばあちゃんと私はもうぐったりでした。
良い思い出です。 09/7/13(じゅんぢ)

良い思い出なんかい(笑)。  09/7/13(石川浩司)

初めての入院が出産でした。出産は病気ではないので病院食のボリュームがすごいこと!毎食ウエッとなるくらいお腹いっぱいで、退院の前日には通常の一人前に加え分厚いステーキがドーン!!デザート付き!!カロリー無視!!こんなに食えるかー!!っていう感じで、病院食のイメージが崩壊した瞬間でした(笑) 10/1/27(梅桃ひよ子)

病院でステーキ!
それは初めて聞いた。
まぁ産後の肥立ちを良くする為に栄養つけろや、ということなんだろけど、大変な出産後にそんな重いものを体が受付けるのかね!?
それともステーキなママさんになりますように、というシャレ!?  10/1/27(石川浩司)

初めてバイクで、期限を決めない旅をしたときに、九州で3泊ほど入院しました。食中毒でした。
個室が与えられ、医師はかっこよく、看護婦さんとのおしゃべりは楽しく、3食つく食事はおいしく、そのうえ薬、点滴、温泉(別府という土地柄、院内の風呂も展望温泉だった)つき・・・!計算すると料金は1泊5000円弱。入院、使える・・!と思っちゃいました 10/2/8(どんぐり子)

おおっ、そんな極楽のような入院生活もあるのだね!
人間、何が幸いするかわからないね。  10/2/8(石川浩司)

2歳くらいの頃、入院しました。夜、親は帰されてひとりぼっち。いつでも母とべったりですので、それからがもう大変!あまりにもうるさくて手がつけられないので「退院していいです」と追い出されてしまったらしいです。 10/5/31(可南)

俺はあまりにも普段の生活時間と違っていて、病気よりそちらの方がきつかったので「あと2、3日」と言われたのに強引に退院させてもらったなあ。  10/5/31(石川浩司)

0歳ぐらいの頃、肺炎で入院したことがあったそうです。今は全くそんな病状はないですが、そのせいか、未だに上半身がやせすぎているようにも思えます…。
あと、今の職場の真向かいに病院があり、よく入院着で出歩いている患者達を見かけます。
平然と点滴の管を刺したまま、散歩したり、買い物に行ったりしているので、あまり病身という緊張感が表情にない人達がやけに多いですね。 10/11/15(Hi-)

5歳までに肺炎5回やった。
俺の勝ち〜!  10/11/15(石川浩司)

眼科の病気で10日間入院しました。
毎日、点滴するので腕に点滴の針を刺したまま、10日を過ごしました。その上、風邪もひいていて、就寝の間中咳き込んでいました。6人部屋だったので、心の中で『皆さんごめんなさい〜』と謝ってました。
自分も眠れなくて、それはつらい10日間でした。 11/6/18(ごりぽん)

俺、束縛恐怖症だから点滴自体が凄く苦手。
痛みというより「ずっと自由に手を動かせられない」状態が耐えられないのよね〜。 11/6/18(石川浩司)

祖母はかれこれ半年くらい入院していますが、顔の右半分と左半分で色が違います。なぜなら窓際のベッドで寝たきりのため、半分だけ日焼けしてしまったからです。ちょっと笑えます。  11/9/16(可南)

トラック運転手みたいだね。かっこいい!
暑い時は片手だけ窓から出している。  11/9/16(石川浩司)

2年前に急性胃腸炎で初めて入院したときにトイレに行けなくて初めて尿瓶を使って排尿したのですが、よほど我慢していたので尿瓶があふれるのではないかと心配になるほどたくさんの量のおしっこが出ました。人間の身体というのはこんなに尿を蓄えておくことができるんだな、と生命の神秘に驚きました。あと、石川さんは苦手とのことですが、私はどちらかというと点滴は好きかもしれません。健康な今だからそう思えるのかもしれませんが、病気で精神が参っているときは、藁にもすがる思いで点滴を受けてだんだん気分がよくなり安定していく過程はよかったです。 11/9/22(波照間エロマンガ島)

俺は点滴は「繋がれている」という拘束感が精神的に凄いダメージを受けるんだよね。
いつでも自由に動ける状態でいたいというかね。 11/9/22(石川浩司)

血管造影剤を入れるために黄色い蛍光色の点滴をしました。
針は血管に入れたままですが、キャスターが付いていたのでドラマのシーンのように自由に動き回ることが出来ました。が・・・。
担当の看護師さんが30分経っても戻って来ません。点滴の袋は空になってしまいました。次の瞬間、今度は血液が逆流を始めました。
点滴の管は真っ赤。焦って血圧が上がったせいか、どんどん逆流が進みます。周りの患者さんも気味悪がって遠ざかっていきます・・・。
担当の看護師さんを見付けるまで、かなり心細かったです(涙)。 11/9/28(デクノボー)

全部逆流したら、痩せられたかもよっ! 11/9/28(石川浩司)

2年前、当時小3だった娘が大学病院で全身麻酔をして手術することに。わたしや先生、看護士さんたちが「大丈夫だよ、すぐ終わるよ。」言ってもそこは3年生です、手術の時間が近ずくにつれてドキドキ、ガチガチのキンチョー状態。そこで「これ飲んでごらん、もうどうでもいいやぁ☆、って気持ちになるから。」と、わたされて飲んだ薬。10分後、娘はうふふふ、えへへへ、と笑い始め、先生に「もう大丈夫だね、行こう!」とベッドに寝たまま手術室へ。急に笑い始めてびっくりした!。手術室の扉が閉まるまでずっとあはは、うふふでした。後で聞いても娘はそのときのこと、ほとんど覚えていません‥。 11/9/28(natsuko)

それは合法な薬なのだろうか・・・? 11/9/28(石川浩司)

前の方のレスを見て思い出しました。息子の扁桃腺の手術。
  すぐ扁桃腺からバイ菌を貰って熱を出すため、小2の夏休みに、1週間程入院しました。
前日に入院、翌日手術。
前日に、麻酔医が麻酔の説明と、どんな麻酔薬が息子に合うか聞いてくれました。
麻酔薬って、今は匂いをつけてあって吸いやすいみたいですね。
バニラの匂いのする麻酔薬があるそうで、バニラアイスの好きな息子には良いと思ってそれにしました。

  手術当日は、私も実家の母も緊張して、手術室の前まで息子に付き添いました。
息子本人も緊張していたことでしょう。いざオペ室に入る際、息子が、
「なあ、絶対失敗せえへんとってや!!」とドクターやナースに一言。
そんなこと、普通の子は言いません。思わずその場は大爆笑。
まあ、事前に息子が発達障害があると伝えていたので、先生方も理解してくれていたのだと思います。

  オペは麻酔も込みで2時間もしない間に終わりましたが、扁桃腺はえぐり取るように取り除く方法で傷口も縫ったりもしないので、しばらくは口から血の混じった唾液がダラダラ出て、とても痛そうでした。
  主治医が、取った息子の扁桃腺を見せてくれましたが、かなり大きめで長さ3cm以上はあったと思います。白くて、例えれば焼いて縮んだ白子みたいな感じです。
左の扁桃腺は、また菌をもらって感染しかかっていたそうです。
  ただでさえ痛がりな息子なので、食事は翌日から出ましたがとても食べることが出来ず、点滴で2〜3日、栄養を入れてもらっていました。
同室の子どもたちはほとんどが扁桃腺の手術で、うちの子より遅く入院してきたのにすぐにご飯を食べていて、息子より退院が早かったです。

息子の入院した病院は付き添いは出来ますが、私も仕事があるので手術日の翌日までしか泊まることが出来ず、その夜私だけ家に帰りましたが、息子は寂しそうで、少し涙を浮かべていました。
私も今まで夜は息子と離れたことがなかったので、その時はとても辛くて後ろ髪引かれる思いでした。
  それから退院までは、実家の母に日中面会に来てもらい、夕方私が仕事を終えて面会に来る、ということをしていました。
退院後の今の息子は、風邪は時々引きますが(扁桃腺取っているのに)、大きな病気もせずに元気で居てくれるのでホッとしています。

子どもの入院は、親自身も辛くなるのですね。 14/4/25(ハーブティー)

子供の初めてのひとり寝は辛いだろうが、それも人生勉強。
子供は逆にひとつ成長したかもね。 14/4/25(石川浩司)

昨年1月、先輩のお母さん(80歳)が交通事故で入院しました。
入院直後は意識不明、その後何日か後には戻ったのですが、「認知症は残る」と言われたようです。
しかしそこでその先輩は言ったようです。
「「今は何時?私は何歳やったっけ?」みたいなおかしな事ばかり言ってるやん。で、戻った言うけどまだ朦朧としてるし。事故前は普通やった。これ、睡眠剤入れてへんか?それを入れる意味言ってくれ。意味がなければ切ってくれ!」と。
そしたらその睡眠剤は中止に。
現在認知症は残らず元気なようです! 15/2/12(西大路)

薬は毒。そのことは常に忘れないようにしないとね。
体の成分を変えるのだから何かにプラスになるということは必ずマイナスのこともどこかに出てくるということだからね。
それが分かって使わないとね。 15/2/12(石川浩司)

アトピー性皮膚炎の治療のため大量に使ったステロイド剤。
その副作用で薬は毒だと思い知らされました。その事を知るために僕は皮膚炎になったんやろなあと。
入院レベルの副作用だったんでしょうがひたすら家で暴れ回りながら我慢しました! 15/2/15(西大路)

うわあ、それは大変だったね。
薬の副作用を消す為の薬を飲み、その薬の副作用を消す為の薬をまた飲み・・・。 15/2/15(石川浩司)

入院より前に、病院通いしてる日本に住んでる人は薬漬けじゃー! 15/2/19(西大路)

生まれてから今までどんだけの量の薬が体内を通過したり蓄積したりしてるのかね。
考えると怖いっ! 15/2/19(石川浩司)

鍼の学校の同クラスのやつ、「風邪ひいたか何なんか、喉から出血するから病院行ってん。そしたら喉出血は止まったんやけど生理の血が固まったみたいで気持ち悪い!」と言ってました。
長くなるのでここには書きませんが、おバカのレベルを越えるぐらいに人の事をぼろくそに言う女やったので、身体ボロボロにされとけやという思いで何も言わず放置してました。
うわさでは結婚して子供も生まれたようですがあんな体の子宮には居たくない思たなあ! 15/2/21(西大路)

でも子は親を選べんからな〜。
その与えられた環境の中でベストなことをするしかないんだよね。 15/2/21(石川浩司)

本当にそうなんですよね。
また、母親の方もこれが子にとってベストやと思って病院行きはる場合もありますからねえ。
本当に難しい! 15/2/24(西大路)

まあいろんな考え方があるからねー。
でもそこが人間の面白いとこでもある。
みんな同じ価値観だったら話していてもつまらんでー。 15/2/24(石川浩司)

私は入院はしたことがないのですが、こないだぼうずが気管支喘息になり嫁はんが6日間ずっと一緒に付添しました。
困るのは・・・ 付添人用のベッドなど用意されないこと。ご飯も用意されないこと。お風呂は20分で親子ともども済ませること。電話に制限があること。あと夜は親御さんと離ればなれの小さい子が泣いて寝付けない、など。だったそうです。
必要なのは楽な寝間着と暇潰しの趣味の本と携帯電話の充電器と男ならヒゲ剃り、女性なら生理用品。関係ないですが母子と面会に行ったときに院内で道を間違え、最下階の安置室前を通った時は得も言われぬ不安な気持ちになりました。  15/10/20(オポムチャン)

子供の場合は介添人のベッドなどは考えてもらいたいよね。
付き添いまで倒れちゃ本末転倒だもんね。  15/10/20(石川浩司)

入院中、売店が開いていない時間に生理になってしまい、看護師さんに手持ちがあったら貰えないか訊いたら、わざわざ最寄りのスーパーまで買いに行ってくれました。
良い人過ぎる…
当時の自分の勤め先の系列病院だったのですが、せめてどこか1箇所でも、トイレに生理用品の自販機を置いてくれるように投書しておきました。 16/1/4(キット)

女性じゃないから分からないけども当然あってもいいよね。
ちなみにチェンマイでよく行くショッピングセンターの男トイレの中にはコンドームの自販機が置いてありまーす。 16/1/4(石川浩司)

30代前半の頃、酔っ払って転んで左足首を複雑骨折して、2ヵ月半入院。小規模ながらも救急受付をする病院だったので、わりとスリリングでした。交通事故の被害者が一時的に隣のベッドに入ってきたり(痛みと悔しさで一晩中泣いてた…)、部屋の前にあった公衆電話から刑事さんがどこぞに電話していたり(運ばれた身元不明者の連絡先らしい)、ナースステーション近くの部屋からすすり泣きが聞こえてきたり。でもたのしいこともあって、テレビデオを持ち込んで、撮りためていた映画を観たり、先に入院していた朝鮮籍の小学生男子と仲良くなって、ハングルを教わったりしていました。 16/7/22(熊猫ミキ)

入院も長くなるといろいろあるよね。
俺も記憶の無い子供時代を除いて二回入院したことあるな。
どちらも10日間くらいだったな。 16/7/22(石川浩司)

10日間って早い! でも子どもにしたら永く感じるのかもしれませんね。
ヒマなのでしょう、小学生の入院患者数人が、毎日私の病室に遊びに来ていました。
ある日その人数がひとり増えて、その増えた子について「かわいい女の子だな〜」と思っていたら、看護師さん曰く「女の子の新患なんていないわよ?」。
場所が病院ですから「まさか…」と愕然としていたら、単にお姉ちゃんのお下がりのパジャマを着た、女の子顔の小学生男子だったというオチでした。 16/7/28(熊猫ミキ)

昔から夜型だったのでとにかく生活時間が合わなくて苦労した。
朝食が運ばれて来る時にまだ眠りにつけてなかったり・・・。
なのでひとつは本当は二週間入院しなければならなかったのだが強引に退院させてもらった! 16/7/28(石川浩司)

5クエスチョンで質問したと思うのですが、大部屋でやっていけるかどうか不安。そもそも入院したことがないので。。。 17/3/27(わいわい)

子供の頃内耳炎の手術で大部屋に入院したことあるけど人に気を使う性格なので疲れた記憶・・・。 17/3/27(石川浩司)

精神科に3回入院した事があります。1回目と2回目は僕自身しっかりしてなかったの覚えてないところも多いのですが、3回目の時は印象深いものでした。

もう廃人と言えるような年寄りや、一見まともそうに見えて多分におかしい人、また本当に普通に見えてどこが悪いのか分からない方などいろいろいらっしゃいました。
そしてやはりテレビというものは、コミュニケーションのツールとしては大したものだと思いました。いろいろな人と打ち解けたのもテレビを見ながらだったと思います。

苦しいこともありながらもいろいろな人と話すことが出来、有意義な時間も過ごせました。よっぽど悪い環境でないのならやはり自分次第でどうにでもなるんだと思いました。 17/3/27(Sankaku)

自分次第で改善されるものと必ずしもそうじゃない物理的欠陥(神経が物理的に壊されてる場合とか)ものとがある気がする。先天的なものもね。
だから病気なんだよね。 17/3/27(石川浩司)

2015年に入院したときはタイの社会保険を使って治療したので病室はたくさんの人がいて、夜中救急の病人けが人が搬送されることもあり、さながら野戦病院の様相を呈していました。お見舞いに来てくれた友人が「すごいっすね、ここ…」とショックで言葉を失うほどでした。この部屋でけっこうハードな入院生活を体験したので次に別の病気で入院したときはタイでいちばんデラックスな病院の個室に入院したのですが、地獄と天国くらい差がありましたね。以来さいわいなことに病気のほうは回復しつつありますが、もう若くないので何が起きても不思議ではないと諦め、人生を送ることとしています。そんな2017年の年の末。 17/12/31(波照間エロマンガ島)

病気になるとこの年だと少し諦め気分になることもあるよね・・・。
ま、100年経ったら今これを見てる誰もこの世にゃいね〜からね。 17/12/31(石川浩司)

夜の大病院の見回りとか怖そう・・・。警備員とかいるのかしら。 18/7/13(わいわい)

警備員はもちろんいます。
他にも各科の医師、ナース、事務員とかもいるからね。
そこそこ夜中でも働いている人はいます(経験者)。 18/7/13(石川浩司)

エベレスト街道では片道ヘリコプターが盛んです。復路ですね。往路じゃないのは、高度順応が出来ないから。
ことりさんの投稿でおなじみのゴラクシェプからばんばん中国人観光客を乗せたヘリコプターが飛んでいきます。10分に一便くらい。東武野田線かよ。
トレッキング中へリコプターがやたら飛んでいるのが目につきます。
料金は片道40万くらいするようです。お金を払い込んでいるか「必ずお金が払える場合」のみ運行してくれます。 カトマンドゥの診断書があれば、無料になるんですよ。最近ではカード会社もそれに気づいてしまい「ヒマラヤはNo」との文言がある会社も。
カトマンドゥに直行出来、かつガイドと同行人も乗ます。 19/5/31(わいわい)

そんなに!
何か別の交通手段も今後出てくるかもね。 19/5/31(石川浩司)

手術・入院で5日入院していたのですが、4人部屋で私は窓際でした。窓は危ないから開かないのですが、窓際だけ1日2000円でした。駐車場しか見えないのに・・・。 19/5/31(おにぎりたろう)

光合成ができるから特別料金? 19/5/31(石川浩司)

2016年の10月の末から2017年の1月の頭まで入院した時のこと。

幸い、早い段階で外出などの行動が自由になり、午後の時間にはいろんなところに足をのばしました。
駅周りの街まで足をのばすといろいろな店があります。そこで「横浜家系」のラーメン屋に入りました。
普段は家系よりもっといいラーメン屋に入ります。しかし、病院のちょっと華やかさに欠ける食事に慣れていたせいか、俗世間のお店の食事がとてもおいしく感じました。「娑婆の空気」じゃないけれどその味が染み入りました。

ある程度の自由が制限されてしまうことを、入院生活では味わいました。
この入院以前にも2回入院したことがありましたが、退院後には体調や気分がすぐれず、回復までには1年近くかかりました。
しかし今回の入院では回復も圧倒的に早く、自分のモチベーションの高さを確かめることが出来ました。
やはり不調を味わいつくした結果ではないかと思います。 19/7/2(Sankaku)

不便を経験することで、普段忘れてる便利や自由を実感できることってあるよね〜。 19/7/2(石川浩司)

波照間エロマンガ島@タイランドです。2019年2月に病気で入院したときに、快復過程で普通に歩くことができるかどうかリハビリで歩行訓練をしました。理学療法士の女性の肩を借りて病棟の中を歩いたのですが、その女性がトムボーイ〔同性愛者のオナベさん〕だったので、妙にドキドキしてしまいました。この女性はおそらくは女性が好きなのですが、もしわたしが口説いたら相手として受け入れてくれるのか、とかあらぬ妄想をして歩行訓練してましたよ。そんな想い出。 19/9/12(波照間エロマンガ島)

足は立つのがやっとでも、アッチは勃ってるのねん。
どんな時もエロを忘れないって素敵だわん♪ 19/9/12(石川浩司)

高校入学一週間目の授業中に強烈な腹痛があって、盲腸が判明して入院しました。
迷う事なく切る方を選んだのですが、確か手術後から2、3日くらいは傷口が痛くて痛くて辛かった記憶があります。
その時点で16歳だったので、性欲が有り余っていたにも関わらず、痛みの方が勝ってしまうという現実に愕然となった覚えもあります。
あ、今はあんまりやらないみたいですけど、自分の時は手術前に看護婦さんにチン毛剃られました。 19/12/31(KPC)

俺は盲腸やってないんだよなあ。年取って切るのしんどそう。 19/12/31(石川浩司)

小学3年の秋に肺炎で入院しました。毎日朝から昼過ぎまで点滴されていたので片手だけでもできるゲームを親が持ってきてくれました。1つは「オセロ」、もう1つがカップ麺のパッケージで蓋を開けると中には色んな銘柄の小さなカップ麺が数十個入っていました。
一体これは?と思って説明書を読んだところ…、「ごたいめ~ん」と言いながら逆さに置いた小さなカップ麺をひっくり返して蓋の同じ柄を当てるという神経衰弱のカップ麺バージョンで、同室の患者さん達とで結構盛り上がってました。 20/3/8(もちっこ)

へ〜それ知らないけど、閉鎖された場所ゆえに盛り上がるものってあるよね〜。 20/3/8(石川浩司)

コロナウイルスによる新型肺炎で入院している方が毎日SNSで入院生活を更新しているというので内容見ました。
熱がなかなか36℃台の平熱に戻らない、咳が止まらない、睡眠もロクできなくて昨日やっと5時間眠れたのを聞いて、つくづく肺炎の怖さを思い出しました。私、過去にマイコプラズマ肺炎で入院したことがあるので。
後、新型肺炎は嗅覚と味覚も効かなくなり「激辛麻婆豆腐を食べても辛く感じない」というので今回納得。
早く良くなってほしいです。 20/4/18(もちっこ)

俺の友達も陽性になって日々報告してくれてる。実際がわかると有難い。
その人は重症にはならなかったが、なかなかスッキリとは治らないようで快癒を祈る。 20/4/18(石川浩司)

父が入院した時、看護師が父に向かって、赤ちゃんに話しかけるように喋ってるのを見た時は、こいつ失礼な女やな、と思いました。思うだけですけど。 2023/2/16(ひももん)

お父さんの年齢にもよるな。90歳前後なら分かるが、70歳以下だったら失礼だね。 2023/2/16(石川浩司)

若い頃に開頭手術で入院したのですが、点滴漬けの毎日で精神的に参ってしまい、血管が痛くて辛い、もう少し日数がかかる所を早く退院したいとお願いしたら、コントに出てくるようなデッカイ注射器〔巨根のAV男優のナニより更に太いヤツ〕で、数日間液体を注入されて早めに退院できました。ウフ。 2023/5/13(ひももん)

俺も入院した時、夜中人間なのに夜10時消灯でそれが辛くて、予定より早く退院させてもらったなあ。 2023/5/13(石川浩司)

20代で初めて入院した時、尿瓶〔しびん〕にオシッコをしたら毎回ナースコールを押してお知らせしてました。そしたらその度に看護師のお姉さんが来て尿瓶を持って行くのですが、だんだん看護師さんがドスッドスッドスッと怒ったような感じで来るようになって、ある時「オシッコしたら置いといて下さい!」と怒られました。
アラ、いちいちナースコールを押す必要なかったのね笑。全然わかりませんでした。最初の方でそう教えてくれれば良かったのに...ごめんなさい。 2023/5/13(ひももん)

精子は持って行ってくれた? 2023/5/13(石川浩司)

先月、生まれて初めて入院して手術を受けました。
持ち物と心の準備をするにあたり、この話題が大いに参考になりました。
のりの佃煮を持っていこうか迷ったのですが、入院期間が短いうえにその約半分は絶食しているので、我慢できるだろうと思いやめました。
病院食は確かに薄味でしたが、予想以上においしかったです!
食後、看護師さんに「どれくらい食べられましたか?」と聞かれて毎回「残さずいただきました!」と答えました。
あと、『星を継ぐもの』の文庫本を持って行きました。
これが適度に面白く適度に難解なので、30分くらい読むと眠くなってきて、病院の早い消灯時間でもうまく眠れて良かったです。 2023/7/31(ANA)

本や映像を流し見している方が、早く眠れることあるよね~。 2023/7/31(石川浩司)

私が精神科の病院に入院した時、テレビが置いてある広間で、アルコール依存症の方たちのためのミーティングが開かれていました。
私も人生を間違っていれば、ここに参加することになっていたのかな、と思いました。
私自身は幼稚園に入る前から、酒とタバコはやらない、と決めていましたが、物価が上がる昨今、この考えはかなり正解かな、と思います。  2023/8/29(Sankaku)

幼稚園に入る前から!  出来た子供じゃ~。 2023/8/29(石川浩司)

2007年8月、私は家庭内で暴力を振り、警察を呼ばれ、埼玉県伊奈町のある大きな精神病院に「緊急措置入院」という形で3ヵ月入れられました。〈3ヵ月目は東京都東村山市の病院に転院、現在もここに通院〉
手足も拘束され保護隔離室のベッドの上で過ごした日々。私自身もなんでこんな形になったのか分からず、理不尽を味あわされました。

しかし後年になって、病気の事を勉強し、ある程度いろんな事が解ってからは、あの時の入院は至極当然だったと思います。
その当時、私の日常生活は昼夜逆転で不規則なパターン、その上、食事のとり方も実に乱れていて、病気にならない方がおかしいと言えました。
この病気〈統合失調症〉の原因もいろいろあると言われていますが、無理のある不規則な生活パターンが原因になることも、広く知られているところです。

この病気になった事で、私は今の通い先に出会い、2013年に人生の躍進を味わうことができました。
ある種地獄の入り口を見たことも、今では人生の糧になっています。自由を味わいながら生きられる事の素晴らしさ!!
今ここにある大切なものを拾い集めて行きたい所です。  2023/9/11(Sankaku)

そういうことを経験すると「自由の貴重さ、重要さ」を身をもって知るよね。その時は辛かったろうけど、その経験から得たものはかけがえのないものかもしれないね。他の人よりもその大切さを知ってるからこそ、より思慮深い人間になれることもあるかもしれないね。 2023/9/11(石川浩司)

2023/9/11のレスより 

2007年に病院に入院する手前、私の思考傾向は実にメチャクチャでした。
憶えている事としては、体の感覚を探求する事をしていましたが、例えば主に夜の気分が良くなる時間帯に、「ずっとこのまま高まった気分のままでいなくてはいけない!!!筋肉は常に最高に緊張していなくてはいけない!!!!」などと考え、パソコン漬けで睡眠時間はバラバラ。また、意に反して眠りに落ち、朝目覚めるときのふがいなさと言ったらありません。これが2012年の前半までこんな感じだったのだから、考えるだけでも空恐ろしくなります。

2013年の4月だったでしょうか。あるトラブルから、このような滅茶苦茶な思考パターンを顧みて、ひとつひとつを楽な方に解除していってから、目に見えて生きるのが楽に、楽しくなっていきました。
また、2016年の終わりに2ヵ月強の間、病院に入院する羽目になりましたが、この様により洗練された思考法や見聞のおかげで、思ったよりも楽に入院生活を過ごすことができました。

自意識過剰さにも繋がってくるところですが、この石川さんのホームページへの投稿にも関係しています。
とにかく2012年以前は気分が昂ったり、目立ちたい、という、もう訳のわからない感情が自分の中に渦巻き、陶酔や自己嫌悪の連続でした。
それが2013年以降は、意識も楽に持てて、「ちょっとした事から話を広げて行けばいい」と思い直し、投稿もリラックスして臨めるようになっています。そんなリラックスした意識から、却って充実した長文に臨めるような事も増えました。

人生に起こる出来事も、本当によく出来たものだと思います。
今現在は、人生の3種の神器を上手に活用して、どこに行けばいいのか、何をすればいいのかを考える段階です。
たまの音楽を含め、楽しみに生きられる事の歓びをより嚙締めたい所です。  2023/12/23(Sankaku)

リラックスって思ってた以上に大事なんだよね。精神的にも、肉体的にも。リラックスが無くなると感情に凹凸が無くなってテンションあげるタイミングもおかしくなることもあるしね。なので平常はなるべく「出来る範囲で最善の」リラックスは心がけている。それが時にテンションを上げる時の下地として力を発揮することもあると思う。 2023/12/23(石川浩司)

私が初めて精神病に入れられた2007年は、世間でも大分、精神病への理解や法律制度が出来ていたようで、苦しい思いはしたものの、それこそ虐待といえる物事は無かったように思います。
しかし、最近になってある人から聞いたのですが、それよりほんの15年前くらいは、精神病への理解や患者を守る法律があまり出来ていなかったらしく、患者への虐待と言える事柄もあったようです。

こういう話を聞くといたたまれない気持ちになります。自分の運の良さには感謝すべき所かもしれませんが、もし自分もこのような虐待を受けていたらと思うと、何ともやり切れません。
本当に虐待でも受けようものなら、精神病院を破壊するテロリストにもなりたい、と思ってしまうかもしれません。  2024/8/10(Sankaku)

精神病等の悲惨さを書いた本を何冊か読んだことがある。虐待の温床のようなところもあって「監獄よりヒドい」と震えたこともあったな。 2024/8/10(石川浩司)


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