話題196 初めて「たま」を見たとき



初めて「たま」を見たとき皆さんはどう思いましたか??
ちなみに僕はなんだこいつらは??と、思いました 05/5/9(てか道)



***レス(発言は古い順に並んでます)***


「なんだこいつらは??」・・・作戦通りです。 05/5/9(石川浩司)

「えっ、こういうのも有りなんですか。それならそうともっと早く言ってよ、ずるいよー。」と思いました。

イカ天の2週目に『さよなら人類』の演奏を聴いたときは、「そうか、やっぱり確信犯だったんだな。あな恐ろしや。」と項垂れました。05/5/16(笹井吾朗)

初めてほんとにまともに見たのは、コンサートでした。高校のときほとんど何の予備知識もなく友達に連れられて、いきなり「たま」!どう思うより先に一曲目が始まると同時に惚れてしまいました!あとから思った「なんて素敵なんだっっ」。それから気がついたら15年・・。(うらたま太郎現象と名づけております。)  05/5/16(ザムザムコーラ)

私もてか道さんと同じように思いましたよ。私がはじめてたまを見たのは解散したあとに放送されたダンス公演「いなくていいひと」だったので、4たまのことはろくに知りませんけど、3たまでも(もしかしたら4たまよりも?)強烈な印象でしたね。人がどうというよりも、耳から入ってくる音楽がなんともいえない風景でした。今まで市販の音楽しか耳にしていなかったうえに、音楽にさほど興味がなかった私には「何なんだこの音楽は?!」といった感じでした。   05/5/16PN・チクリン

「さよなら人類」がCMで聞かれるようになったころにTBSのニュース番組のコーナーで拝見したのが初めてでした。衝撃を受けました。「これだぁぁ!」と(何が?)。
残念ながらイカ天は見てませんでした。実物は、もう少し後で、NHKホールのコンサートでした。さよなら人類だったかなにかの語りで柳原さんかな?が「受信料払ってない〜」とおっしゃっていてさらに衝撃を受けました。(女性を誘って断られたのでひとりで見に行きました。)それから、石川さんの奥様に初めてお声をかけていただいたのはニヒル牛で買おうと思って手に持っていたたくさんの商品の1つを落っことしたときでした......05/5/16(かづ)

ヤナちゃんをオカマだと思ってました。05/5/16(ペロ)

いつだったか「初体験」にも書いたけど、山田○子の番組ではじめて見たなー。姉はたまを知っていて「あー、たまだー!」と言っていたけど、自分は特に何とも思わなかった。「さよなら人類」は印象薄かったのか・・・。
これを思い出す度に、「なぜ今こんなことになっているのだろう?」と思う。05/5/16(うろたえ太郎)

「イカ天」2週目のオンエアが始まる直前、1週目を見ていた親友が一升瓶片手に訪ねてきて、「いやー、たまはすごいぞ」とテレビをつけました。まず目に飛び込んできたのはやはり石川さんのパーカッション。「音が出るものは全部楽器なんだ!」。平素から酔っ払っては割り箸で、小鉢、グラス、テーブルなどをチンチキやっていた私は、非常に親近感を覚えました。次いで耳には「さよなら人類」のメロディーが心地よく響いてきました。「らんちう」だったらかなり印象が変わっていたと思います。あと、この頃の私は偏狭なジャズ・ファンだったので、歌詞についての感度は鈍く、あまりインパクトはありませんでした。しかし、その後、CDを聴き込むごとに、また、音楽の視野が広がって歌詞の持つ力に覚醒し始めるごとに、どんどん深みにはまってきて今日に至っています。 05/5/16「Fuck−Dah」

さんだるで初めてたまを見ました。動くたまは夜のヒットスタジオかな?オープニングで小泉今日子さんの歌を出演者が順に歌っていて、こっちが恥ずかしくなってハラハラしていた様な気がします。05/5/23(にゃりこ)

小泉今日子さんとたまでテレビドラマ作るって話ちょっとあったな。ポシャッたけど。 05/5/23(石川浩司)

9時台のテレビの録画を止めるのを忘れ偶然入っていたイカ天オゾンのダンスで。
登場シーンから小学5年の自分にとっては異彩を放ちまくる姿にすごい衝撃を受けました。05/5/23(kyuuri)

「イカ天」。妹が見たほうが良い、と言うので4週目ではじめて見て衝撃を受けました。体が震えました(笑)その後今現在もファンなので相当な衝撃だったと思われます。 05/5/30(ピン)

ぼーっとイカ天を見ていました。相原勇ちゃんが「次のバンドはこのバンドだーっ!!!」と言って現れたのです。その時私は固まりましたよ。ひき付けられるモノがありましたね。テレビを凝視し、「らんちう」が始まってすぐに寝ていた妹を起こしに行きました。「ス、スゴイ!!スゴイのが出てる!!!」妹と二人して大いに盛り上がりました。次の日から「早くメジャーデビューしないかなー」なんて.......ああ懐かしい。05/5/30(にゃん吉)

あれたぶん「らんちう」を一週目に持ってきたのが作戦的に成功したんだよね、たぶん。何故ならあの曲は「けなすのが難しい」曲なんだよね。審査員たちにも。 05/5/30(石川浩司)

私の周りにはイカ天を見ている人は誰もおらず、私は夜11時には寝るという生活を送っていたので、残念ながらイカ天は見ていませんでした。私は川崎製鉄のCMで、ショックにちかい衝撃をうけました。バックに流れる曲とあの4人の風貌。あれは誰なんだ?誰なんだ?見てはいけないものを見てしまったという思いと、気になっている自分を打ち消そうとあせる思いが入り混じっていました。そんなある日、書店で「極楽バンド」なる雑誌の表紙にあの4人が写っているのを見つけ、すかさず購入。私はエロ本を初めて買った少年のように家に帰り隠していたのですが、母に読んでいるところを見つかってしまい、その表紙を見るや否や万引きをした子供を叱るような口調で母に責められました。母は、たまを見たときオドロオドロしさがキョーレツに印象に残ったらしく、その本を隠し読む私を叩こうとしました。そして雑誌を取り上げようとします。「こんなものっ!やぶいてやるからっ!」と言いながら。
その後、竹中労さんの「たまの本」など見せ、「さんだる」を聞かせたりたまのことを話して聞かせるうちに良さを分かってくれて、しまいには全国追っかけをしても文句を言わないくらいになりました。今思い出すと笑えるな…。05/5/30(杏)

ミテワイケナイモノホドミタクナル。 05/5/30(石川浩司)

話はちょっとずれますが、「夕暮れ時のさみしさに」がドラマ「浮浪雲」の主題歌になったとき、すごくうれしかったのを覚えてます!あの歌のインパクト!たまもビートたけしもどちらも大好きだったので、テレビの前で正座してスタートの時間を待ってました・・懐かしい。05/5/30(ザムザムコーラ)

私も川崎製鉄のCMが最初でした。4人がにょろっと四隅に出てくるバージョンで、びっくりして目がはなせく、終わった後「怖〜い」と言ったと思います。映像にびっくりしたんです。
その後、TAKARAの純のCMでたまの曲を知りました。特に"木星についたよ〜”の後に入るベースの音に、毎度(CMで)聞くたび酔い惚れていました。それから「さんだる」買ってたまの載っている本買って、高3の姉さんはファンクラブに入り、中3の私はそれを覗き見ていたという感じですかねぇ。姉妹でコンサートにも行きました。たまは今でも大好きです。CMよありがとう。05/6/6(ゆっち)

初めてたまを見たとき、「すごーい!こんな人たちがいたんだ」と思いました。
当時、14歳。
それからでした、私の中で「たま祭り」が始まったのは。05/6/6(あきびん)

ひとり祭りも楽しいよね〜。ワッショイワッショイ! 05/6/6(石川浩司)

初めてたまをみたのはまだ小学生の頃で、「さよなら人類」した。
大人になるころには記憶が薄れて石川さんしか覚えてなかったし、それも 「ついたー」の人 という程度の認識しかありませんでした。
でも音楽オンチのうえ記憶力のない私の脳に、たとえうっすらとはいえ確かに記憶されていたのだからやはりたまは凄いなぁ。05/6/20(りあ)

夕暮れ時の寂しさに,聞いたときは僕も何も知らずにいきなり聞けたのですごいうれしかったです。
あのころは毎日のようにテレビからたま流れてましたよねー!
懐かしい今日この頃です。05/6/20(kyuuri)

♪そんな時代もあぁたねと〜 (中島みゆき「時代」) 05/6/20(石川浩司)

紅白歌合戦で初めて見ました。まだコドモだったのですが、恋をしたかのようにドキドキしたのを今でもはっきりと覚えています。誰にときめいたのか、何処にぴぴっときたのかは、よく覚えていないのですが…。
おそらく「たま」の世界に、一目惚れしたんだと思います。05/6/26(はるか)

はぐれ雲のオープニング生演奏の時は偶然ビデオに録っていたので嬉しかったです。05/7/4(ペロ)

私もゆっちさんと同じく川崎製鉄とTAKARA純のCMが最初でした。祖母の家で「へぇ、たまだってー。また変わったのが出てきたなー」と当時12歳の私は漠然と思っていました。その後「やまだかつてないテレビ」の「十二単に着替えたら」とかいうコントドラマで皆さんが演奏しているのも見ましたね。 05/7/4(作戦失敗)

あーそんなのもあったっけ。確かマイク逆さまに持ったやつだ。 05/7/4(石川浩司)

別冊イカ天のマスタのMCが面白かったです。
他のメンバーはあまり喋らなかったから、マスタの必死な喋りが良かったっす。05/7/11(ペロ)

ちびまる子ちゃんのエンディング「あっけにとられた時の歌」を小5の時に1人で初めて見て、「おっ!シュールな歌だな。どんな人が歌ってるんだ?」というのが初対面でのストレートな感想です。しばらくしてレコードショップでCDを見つけて写真を見て、「歌とイメージが似合ってるな…」と思ったものです。その翌年辺りに親父の「さんだる」を見つけ、のめり込み、現在に至ります。05/7/11(Hi-)

親父・・・世代間共通の話題があって良かったね。でも母娘とかで来る人以外と多かったなー。 05/7/11(石川浩司)

あ、あの・・・正直に言わせて頂きますと・・・気持ち悪い・・・と思いました。
変な格好して、声も変だし(知久さんの)、くねくねしてるし(知久さんが)、何?この人達!と・・・。でもいつの間にかたまファンになってて、紅白もビデオに録ってあるし、ビートたけしさんの「浮れ雲」第4話は宝物だし、「月カド」「宝島」などスクラップするようになってましたね。凄いですよ、たまの魅力!いつからファンになったのか全然覚えていないんですけどね・・・。  05/8/3(かなめ彦)

そんなん、いっちゃん嬉しいなぁ。 05/8/3(石川浩司)

何かの番組で初めて姿を見たような気がします。その時の印象は「何だか気味 悪い」でした。その後、「さよなら人類」を聞いたときも、やっぱり気味悪か ったです。メジャー調の明るい歌なのに「さよなら人類」って…。それが今で はiTunesで何度となく聴いて楽しんでいる曲なので、人生とは分からんもので す。06/8/25(たちつ亭と〜助)

初めて見たときは、、、小3頃母さまが買ってきたCDひるね、さんだるの写真だったように思います。そんなに抵抗なくすんなりと受け入れました!むしろ個性的バンドで引き付けられました〜シーディ買ってきたコトから母もたまが好きだったんだと思います!うちGさんとチクさんが同じ人ってました。だから「この人声変えてすごいよなぁって笑笑ごめんなさい。石川さんはたまのランニングですっかり定着してましたぁよ。滝川さんは「ジュースを飲んで〜♪」の曲で、滝川さん居るんだ!と思いました。テレビじゃもう滅多に見れなかったです(解散してたんで)教育テレビお母さんと一緒の劇場版で演奏してた姿と、昔あった、昔の曲と今の曲のカウントダウンする番組で見たことしかないのです。 06/9/16坊より

いや、滝川さんは今でもいません(笑)。 06/9/16(石川浩司)

滝川さんは確かいなかったと思いますが、「キタボー」と「キレボー」はいましたよね?石川さんは「キタボー」でしたよね?・・・って知ってて聞いてしまった!
これって柳原さんがつけたんでしたっけ?06/9/22(秘密の座席)

俺と知久君はキタボー(汚いボーカル)俺とGさん、俺と柳ちゃんのユニットもあったんだけどなー。名前忘れちゃったよ。 06/9/22(石川浩司)

初たまは驚きと感銘を受けました・・・こんなグループが居るのかとw(すいません)今までの常識を覆した素晴らしいグループだと思います。ぶっちゃけトークになる&スーパー失礼だと思うのですが、その個性的さが原因で、、、なんか辛かった経験とかぉありですか。。。全然スルーして結構なんですが‥‥‥ 06/11/14(?)

辛いことはないけど、それなりの物体として一般市民からは認識されましたのでまぁ、ちゃんと音楽を聴いてくれなかった人も多かったね。しょーがないすけど。  06/11/14(石川浩司)

光ゲンジとか南野陽子とかのアイドルしかしらない小学生時代に筋肉少女帯を見てしまったときに、なんだこの怖い人たちは・・・・!!!????
と理解不能で怖くて眠れなくなってしまったのですが、その時と同じく、イカ天たま初登場の瞬間「!!!????」と言葉にならぬほど衝撃的でした。やはり怖かったです。
しかしその日以来どっぷりハマってしまったのですが・・・・・  06/12/24(ことり)

昼間は溶けていて夜になると固まって人の形になる僕らだからね。ちょっと最初は怖いかもね。  06/12/24(石川浩司)

さいきん某動画配信サイトで、たまがイカ天に出演した映像をみました!
この当時、私が住んでいた地域ではイカ天が見れなかったので
15年以上も経ってから見ることができるなんて嬉しいような寂しいような(笑)
はじめて見たのは、やっぱり川鉄のCM(知久さんバージョン)
だったと思います。テレビの前で固まってしまったのを覚えてます。
その後、怖いもの見たさでコンサートへ行きました。  06/12/24(ミレイ)
この間もライブで共演した外国人から「最近『たま』の動画ネットで見ました。凄かった!」と言われました。  06/12/24(石川浩司)

もしたまを殆ど知らない人にたまの映像を見せたらどう感じるだろうとか、たまについてちょっと偏見を持ってる人に今一度たまの演奏シーンを見せたらどう認識が変わるだろうとか、想像するのも楽しかったりします。実際見せたことはありませんが。  07/3/6(作戦失敗)

やってみんしゃいみんしゃいみんしゃい。こちとら嫌われて元々じゃい! 意外な展開で話しがはずむかもしれないぞ。 07/3/6(石川浩司)

私がはじめてたまを見たのは、レコード大賞かなにかの、過去を振り返るみたいなコーナーでした。
ほんとにちょろっとしか出てなかったのにすごーく印象に残りましたね。見た目とい うより、歌詞が。
そのときは「さよなら人類」を演奏されているシーンだったのですが、「えぇ!?木 星?ピテ・・・なんだと!?」ってな具合に急にテンションあがっちゃって、すぐに TV消して歌詞を調べに行きましたよ。
今、こうして石川さんのサイトに出会えたのも、ピテカントロプスのおかげかもしれ ません(笑) 07/3/17(椿オイル)

たまは「共通の音楽趣味」で結成したバンドというより「共通のへなちょこ歌詞」で結成されたよーなものだからな〜。歌詞はかなり他のバンドより重視はしてたね。 07/3/17(石川浩司)

紅白の再放送を実家で見たのが最初です。
当時「さよなら人類」が巷で流れていたので、曲はなんとなく知っていて気にはなっていたのですが、貧乏学生ゆえ下宿にテレビを導入できず、イカ天も川鉄のCMもリアルタイムでは見らませんでした。
で、見たときの感想ですが、
「あれっこの人たちけっこう普通じゃん、良いかも」
おいおい、知久さん下駄履きだぞ、石川さんランニング一丁だぞ、なぜそう思うかな私・・・
当時の見てくれ重視のバンドブームにはついていけなくて、イケメン男子か女子がボーカルだったり、おそろいのきらびやかなステージ衣装だったり聞いたようなラブソング歌ってて、なんだみんなおんなじじゃない!
と、かなり斜に構えていたところだったので、たまの皆さんを見て、ほっとしたのでした。
いやむしろ、それまで持っていたこだわりが吹っ飛んでしまったのかもしれません。
そして初めて全曲?聞いて、演奏の様子、楽器の編成の面白さも見て、「この人たちはアルバムで聞くしかない」と「さんだる」を買いに走り、書店で見つけた「たまの本」を即買いし、以来たま無しの私などあり得ないまでになったのでした。  07/9/23(なかまち)

「バンドマンはかくあるべし」という暗黙の了解の元では異質だったかもしれないけど、日常ではさほど変わった人たちではない。ランニング一丁なんてアジアの肉体労働者なら、極めてスタンダードだからね(笑)。むしろ俺は「バンドマンはかくあるべし」の方がよっぽど恥ずかしかった。  07/9/23(石川浩司)

僕の初たまはアルバムを聞いたのが始まりでした。
テレビで見るのが最初とかじゃないのって珍しいかな。
確か最初に聞いたアルバムは「きゃべつ」だったと思います。
色濃い音楽でとても衝撃でした。その中でも、 Gさんの「こわれた」で深く衝撃を受けた記憶があります。
そのときの感想は「な、なんだこれは!」だったかと(笑)
そして順々にアルバムを聞いていってどっぷりとハマりこんだ訳です。
そして、初めて映像で見たのは、history of tama 15っていうビデオだったかな。
感想としては「この人たちが、あの<たま>かあ・・」って感じ。
世代が違うと、出会い方もずいぶん違うものですね。 ? 07/10/4(古時計)

最近20才前後の人にファンだと言われることも多い。世代的に俺たちがテレビに出てるのを見てないはずの世代なので「なんで知ったの?」と聞くと一番多いのは「親のCD棚にあった」次が「ユーチューブで見た」。
どちらにしろ、知らない世代が聞いて楽しんでくれるのは嬉しいニャ〜ッ。 07/10/4(石川浩司)

あの時代は猫も杓子もアイドル、の時代でしたので、私も何となく世間にならい毎月アイドル雑誌「明星」など愛読しておりましたところ、間に数ページ「たま」のデビュー特集が掲載されておりました。
それまでボーっとアイドルを流し見していた私の目がバッチリバチンコ!!
「なんだぁこれは!!」
いやぁ後のはまり方を思うと、本当にこれは衝撃的過ぎる出会いでした。
確か90年の4月頃。デビュー直前でした。
その後川鉄の「ピテカントロプス」でツボにはまったことを確信した私は、シングル「さよなら人類」のカセット版を、「さんだる」を、買っては没頭して聴き、与えられたばかりの一人部屋をあっという間に「たま」一色にし、絵を描いたり美術の時間に「たま」を彫刻してみたり、だぼだぼずぼんなど購入してみたり、家族も絶句するほどにはまり狂いましたとさ(笑)
惜しむらくはリアルで「たま」の「イカ天」が見られなかったことですが、転校直前で公私ともにバタバタしていた上、狭い家に生後3ヶ月の赤ん坊もおったので、どちらにしてもムリでしたなぁ・・・(泣)  07/11/1(梅桃ひよ子)

そういえば「明星」とかに出てたんだよなぁ。もろアイドルじゃん(笑)。 07/11/1(石川浩司)

滝本さんのライブに知久さんが遊びに来てて、
はじめて「ハダシの足音」のハモりを聴いた時は感涙しました。
今月は知久さん+滝本さんのライブに参戦します。 07/11/10(りあちゃん)

知久君はもるの好きだからね〜。はめるのはもっと好きだが・・・。 07/11/10(石川浩司)

はめるって何?ナニ??
すごく気になったので、教えて下さい(笑)  07/11/17(梅桃ひよ子)

ジ・・・ジグソーパズル! 1万ピースのでっかい猫のやつ!! 07/11/17(石川浩司)

そうですよねー常にはめてますもんねー。
逆に知久さんがはめてない時期なんてないんじゃないですか? 08/1/11(さっちゃん)

彼が高校生の時から知っているが、ズバリ、ない。・・・と思う。 08/1/11(石川浩司)

古本屋でたまたま見つけた昔の音楽誌のインタビューで知久さん「そのおかげで、ギターのビブラートもうまくなりました」。今だから笑える記事だけど、思春期のリアルタイムで見ていたら、多分、ショック死したと思います(笑) 08/2/12(梅桃ひよ子)

そうか、俺ももう少しビブラートがんばらねばなぁ。はあぁ〜っ。 08/2/12(石川浩司)

見た時じゃなくて聴いたときですが、夜な夜な踊り狂いました。
世の中にこんなすばらしい曲があったのかと。
最初聴いてた頃は4人ともボーカルだって知らなくて、 「曲によって声が違うなぁ」とか思ってました。

僕が「たま」を知ったのは、たまがナムコ・ナンジャタウンのもののけ番外地のテーマソング「ここはもののけ番外地」を歌っていたからでした。
そのころ僕はナンジャタウンにハマっていて、「ここはもののけ番外地」の存在を知りました。
どんな曲なんだろう?と思い、通学途中の赤羽にあったレンタルショップでCDを探しました。
そして発見!(たま Best Selectionを。)
さっそく借りて家に帰って聞いてみて『うおっ!なんじゃこりゃぁぁぁぁ〜!!!!!』となりました。
ただ、それ以来なんとなく好きになりまちあわせ〜ベストアルバム〜の方も借りてきて結構頻繁に聞いています。 ちなみに友達にも勧めたところ6人中、
3人:スルー 2人:たま中毒者 1人:たま信者
となったようです。  08/4/8(いわたか)

ナンジャタウンから入った人は珍しいかもね。ベスト盤以外も是非聞いてね。意外なお気に入り曲が見つかるよっ! 08/4/8(石川浩司)

私が初めて見たのは年末の2007年イカ天復活です。
20うん年生きてきて有名な『さよなら人類』も 薄っっっっすらとしか覚えてないという信じられない疎さでした。
まず初めて見た時「怖い・・・」と思ってしまいました。
今はまったくそう思わないんですが、なぜだか一瞬ゾッと・・・。
特に柳原さんが怖くて画面から目を逸らしてしまいました。
今では大好きなんですが、こういう衝撃の受け方もあるんですねー。  08/4/17(マキノな人)

怖いと感じるあなたの感性は正しい。
何故なら俺たちは・・・。
これ以上は言えない。 08/4/17(石川浩司)

のっちと手を取り合いながら観ました。
終わったとき、ファザーに何か言おうと思ったけど、何も言えなかったなぁ。
感動しすぎると言葉にならないものですね。
ただただ目を見開くことしかできなかった! 08/5/22(桃玉)

鼻や耳がかっと見開いたら怖いからね。 08/5/22(石川浩司)

小さい頃に昔のうた、ピテカントロプス、タンクトップ と記憶してたものに 20歳くらいになってこんなに素晴らしいもの!と興味をもつなんて当時は思ってなかった...笑 08/8/28 (きゃんふ)

最近の若い人はタンクトップって言うよね。俺達の世代ではダウンタウンの松ちゃんはじめ、必ず「ランニング」と呼ばれたものだが。 08/8/28 (石川浩司)

初めてたまを聴いたのは、保育園に行ってたとき 父の車の中で「さよなら人類」を聴いてただ「おもしろいなあー」とか思っておりました

? 13歳くらいのとき「さんだる」を買って聴いて、それからハマりました
1年後の今もDVDとか見てるとすごく楽しいです 08/10/12(わに)

たまを全部制覇したら、今度はそれぞれのソロ作品もいっぱいあるからね。
まだまだ先は長いぞ。目一杯楽しんでちょ〜っ。 08/10/12(石川浩司)

先日の約束ライブでは、「この人たち本当に解散していたのだろうか?」という印象でした。
ずーーっとブランクなくやってきて、これからも一緒にやっているみたいな。
だから、ライブが終った時もあまり悲しくなくて、不思議でした。 08/10/26(桃玉)

今回はホント、俺達にはあり得ないくらい真面目にリハーサルしたからなぁ。
一回こっきりだったから出来たことかもね。 08/10/26(石川浩司)

たまとの出会いは、1990年。当時8歳でした。
まわりが「たま」といえば「さよなら人類」っていう感じだったので衝撃も何もなく「こういう人たち」という印象でした。
振り返ると「もっと驚けよと」と思うのですが、極端に受動的なのは、今でも変わらないみたいです。

ああ、あとですね「柳原さんはきっとエロイ」と思っていました。
みんなそれなりにエロいんでしょうけれどネ。
なんでそう思ったのか記憶がなく、柳原さんのなにが8歳の少女にエロスを感じさせたのかも不明です。 10/2/28(くろ子)

ま、歌詞もエロいしCMでわざとイヤラシイ感じの流し目の演出とかしてたことも原因かもね。
たまのメンバーの中で誰が一番エロいかは微妙な感じだな。  10/2/28(石川浩司)

子供でした。多分6歳くらいかなぁ。大好きでした。さよなら人類しか知らなかったけど。 10/10/25(Sabina)

ほとんどの日本人はあの曲しか知りません。
平均的日本人です。  10/10/25(石川浩司)

デビュー直後は、たまをまともに見たことはなく、曲しか知らなかったんですが、かすかなイメージで、帽子を被っててピアノを弾いたかっこいい人がいるってイメージを持っていました。2, 3年後に初めてまともにミュージックステーションでたまを見た時、イメージが全く違って、なんかショックを受けましたが、それがツボだったのか、今でもたまファンです。 10/12/6(ちょんぼ)

ということは柳ちゃんの実際はかっこいい人ではない、ということですな。了解!  10/12/6(石川浩司)

俺が小学5年生の頃、友達が「たまの歌詞って、分かる人が読むとすごく良い歌詞らしいぜ」っていうから読んでみたのですが、当時の俺には「なんじゃ、この歌詞?」って感じでどこが良いのかさっぱりわかりませんでした。あれから20年が経ち、俺にもたまの歌詞の良さがわかるようになりました。大人になったなぁ、俺。 10/12/18(DO)

子供にはキ〇ガイの歌詞はなかなか意味不明だからなぁ。
その頃の感覚の方が正しかったりして(笑)。  10/12/18(石川浩司)

もっと前から知ってたのかもしれませんが、名前を知ったのは、小学生のときに見た「おかあさんといっしょファミリーコンサート」の録画(ハオハオを歌ってたとき)だったと思います。
そのときは「変なおっさんたちだな・・・」程度で見てたのに、まさか映画を見に行くまではまり込むとは・・・
今では友人らに布教してます。 11/3/29(ズミ天)

「ハオハオ」は解散のちょっと前くらいだったかな?
栗コーダーカルテットと一緒に出たんだよなー。 11/3/29(石川浩司)

初めてたまを見たのは、1991年頃だと思います。
当時は明星などを買っていて、それに載ってた気が・・・。
今は4人共大好きですが、当時はまだ13歳だったのでやなちゃんの怪しい微笑みに嫌悪感を抱いていました。(ひどい)
知久さん、石川さん、Gさんのわかりやすい男性の魅力(かっこいい、かわいい)はすぐ受け入れられたのですが。
今見返すと、やなちゃんの怪しい微笑みはとても魅力的なんですけどね。
浮浪雲は毎週見てました。たまのプチファン・・・という感じでした。
ま、それはさておき。
たまの思い出と言えば、思い出すものがあります。

当時、私は母親(アルコール依存症)が精神病院に入院していて祖母の家に身を寄せていました。
父方に引き取られた姉のところに遊びに行った帰り道。
父が運転するカーステレオでは、姉が録音したたまの「さよなら人類」がかかっていました。
「楽しいコミックソング」と思っていたのに、「またひとりになる」と思いながら聞いているとメロディが妙に心に沁みて、とても悲しくなったんです。
私を祖母の家に置いて走り去る車を見ながら、ひとりで号泣しました。
祖母と同居する叔父がセクハラをする人だったので、本当は車に乗ってそっちに行きたかったんです。もちろん、誰にもそんなことは言えませんでしたが。

今でも「さよなら人類」を聞くと、ちょっとその時のことを思い出してウルッときますが、とても好きな曲です。 11/8/7(まりもはん)

曲はその人のいろんな記憶と重なって広がって行く。
歌は法律上は作った人の物でも、存在的にはその人の手を離れて個に入っていく。 11/8/7(石川浩司)

イカ天の再放送が初めて見たときでした。変な風貌に、おかしな歌詞、ただのコミックバンドではないかと思い、目をそらしてしまいました。しかし、あとから曲をきちんと聞き直して、あらためてたまのすごさ、素晴らしさに気づき、今では毎日のようにたまを聞いています。見かけだけで判断してしまった自分がなんだか恥ずかしかったです。  11/9/10(GOGOSHIDENKAI)

まあ・・・。しかも他の色物バンドのように「こんな衣装着ようぜっ」とか言って決めたわけではなく、すべて各本人の独断。
ある意味、本物のキワモのか・・・。 11/9/10(石川浩司)

初めまして、初投稿です。
先週のMステを見て初めてたまを知りました。
衝撃的でしたほんとに!
17なのでリアルタイムでたまの活躍は見れませんでしたが
ネットに残っている映像を毎日繰り返し見てます。 11/9/28(しいたけ)

是非ライブにも来てね!
10代の若いお客さんも意外といるよん。 11/9/28(石川浩司)

去年のことです。嘘つきバービーというバンドのフロントマンの方がインタビューで「ゆらゆら帝国とたまに影響を受けた」と言っていたので、元からゆらゆら帝国のファンだった私は「たまも聴いてみようかなぁ」と思いYoutubeで見ました。ミュージックステーションの動画だったかなぁ?ルックス面でも音楽面でも衝撃を受けましたね。さっそくAmazonで安く売っていたさよなら人類のシングルを買いました。 13/1/7(qdinibp)

「さよなら人類」はたまの楽曲の中ではある意味特殊な歌なので、是非いろいろ聴いてみてね〜。 13/1/7(石川浩司)

たまが歌を歌っていたファミコンソフト「星のカービィ 夢の泉の物語」のCMを見たのが最初でした。知久さんの声が印象的で一緒に見ていた母が、「この人達知ってるよ」と行ったのをずっと覚えていました。何年か後、井上陽水の音楽を聞いてた頃に図書館で竹中労さんの『たまの本』を見つけ四人の集合写真を拝見しましたが、満面の笑みの石川さんがなんだか得体の知れない感じがして怖かったです。 13/6/4(Sankaku)

巻頭の写真かな?
あれは写真館で撮ったものなのでわざと修正してある。
なので本当の顔とはちょっと違う。
あ、俺だけじゃなく全員ね。 13/6/4(石川浩司)

僕の初たまは、中学3年だった1990年。ラジオで流れてたさよなら人類でした。
おもしろいバンドやなあと思いつつも、コピーバンドとしてはかなりな難しさがあるなあと。ただ、最後の笛が一番耳に残ったので、以来ソプラノリコーダーを持った時は必ずて言って良いぐらいにやってました。
で実は僕が知っていた歌は、さよなら人類・オゾンのダンス・夕暮れ時のさびしさにの三曲だけ。しかもこれ、昨年春まで。
ところが、平成元年生まれの後輩とたまの話になり、「ついたーて叫んではるのが石川さんていう人で。そうそう、その人がパーカッションの人ですよ!」などと教えてくれました。
それまで、視覚的な情報は全くと言って良いぐらい知りませんでしたね。「パーカッションの人は肥ってるで」て聞いてたぐらいかなあ!  14/12/4(西大路)

この間共演した若い人は俺がギターで弾き語りしてるのしか観たことなかったらしく「パーカッションも叩かれるんですねぇ」と言われた。
時代は変わって来ている! 14/12/4(石川浩司)

昨年の2月頃(?)友達に勧められた時に初めて見ました。
始め見たのは「夕暮れ時のさびしさに」のPV。
Gさんが職人の様に弾いているベースの音にビビビッ。
知久さんと柳原さんのハモリ気持ちよい。
石川さんはなんか天使のようだ。
と初めて見たとき思いました。
その時はそう思った自分が恥ずかしかったらしく友達には言えませんでした。
ただ、良い!と言いました。 15/1/25(わお)

ありがとー。
「夕暮れ時のさびしさに」のPVから入る人も珍しいかもね。
あれPVなのに生録なのでCDとは演奏はもちろんアレンジもテンポも全然違うんだよねー。 15/1/25(石川浩司)

CDアルバム「ひるね」で『金魚鉢』『むし』を聞いたのが、キーポイント的な衝撃でした。
いつも散歩で通っていたなんでもない道を歌っていてくれていたような気がしました。

そして決定的だったのが、歌詞カードの石川さんの写真。何の変哲もない住宅街で「町田市」と表記された道路標識を持って立っていた写真でした。これを見たときに自分はたまを一生追っていくことになるだろうな、とどこかで確信しました。 15/3/13(Sankaku)  

何の変哲もないところでの写真をわざと使ったのは突然段ボールの一連のジャケットの影響がある。 15/3/13(石川浩司)

ミュージックステーションのスペシャル?か何かで、昔の映像としてたまを観ました。
石川さんの「ついたー!」で、スタジオが笑いに包まれていたのを覚えています。
ギターの人はなぜ変な姿勢で、ギターに口を近づけて歌っているの、、?と思ったのですが、数年後に石川さんの著作を拝読して、謎が解けました。 15/4/16(ひのこ)

ふふふ、そういうことなのよ。 15/4/16(石川浩司)

某音楽番組のダイジェストでチラッと見て「変な人たちだなあ(笑)」と思いました。それでさよなら人類を聴いてまた「やっぱり変な人たちだなあ(笑)」と思いましたが、関連動画にたまたまあった鐘の歌を聴いて愕然としました。
もうそれからずっと聴き続けてます。 15/11/14(安いドラム)

そういう人多いみたい。最初は「コミックバンド?」と笑ってた人がアルバムとか聴いて「こんなに深かったのか!」とはまる人。
もっともほとんどの人は「コミックバンド?」で止まっているのが残念だが(笑)。 15/11/14(石川浩司)

確かいか天の生放送は見ていません。その後「いか天」の総集編かなにかで、これまでのいか天を一通り見たとき、たまの曲が面白くてアルバムを探した記憶があります。インディでアルバムを出していると知ったものの、当時はネット通販もなく群馬の田舎ではレンタル店に置いてもなく(笑)、そのままフェードアウトしてしまいました。その年の年末年始テレビガイドで「さよなら人類」の歌詞が載っていて覚えた記憶があります。当時は年末年始のテレビガイドは欠かさず毎年買っていて、紅白出場歌手の歌が歌詞で載っていましたね。但し歌う曲が決まる直前の出版だったので必ずしも紅白で唄う曲が載っているわけではないのですが。
 その後、1/1のいか天大賞はおぼろげに見た記憶があります。わたしのいか天の記憶はここで止まっているので、おそらく後半のいか天はほとんど見ていないと考えられます。
 数年後、最近たまを見ないなーと思っていた矢先、ちびまる子ちゃんで復活。あ、一人いなくなったんだ、程度の知識でした。すいません。 17/2/24(わいわい)

いやいや、一般的な世間の認識もそんなもんでしょう。
俺だってランニングと「着いた〜」以上のこと言われることの方が少ないくらいだもん。 17/2/24(石川浩司)

井上陽水さんの楽曲に「White」というものがあります。陽水さんには珍しく自然の中にいる子供を歌ったものですが、その手の曲はこれ以降あまりなく、もっとこういう曲を聞きたいなと思っていました。
だいぶ様相も変わりますが、その「White」の世界をある意味広げてくれたのがたまでした。人気のアーティストはどんどん上の世界に行ってしまうのに対し、たまは何か僕らと同じサイドに立ってくれている。そんな感じが今でもするので、たまはやはり特別なのかもしれません。 17/6/25(Sankaku)

高所恐怖症なので上にはいきません。
ずっとここにいます。 17/6/25(石川浩司)

たまに出会う直前にブランキー・ジェット・シティーと言うバンドを聞いていましたが、カラオケでブランキーの歌を歌ったとき何か自分の感覚がいびつになっていくのを感じました。
何か嫌だな、もう少し子供にも受けるような音楽はないかな、と思っていた矢先に2002年のライジング・サン・ロックフェスティバルにたまが出ていて、そこからたまを聞いてみようと思いました。
当時メジャーな場からはもう離れられていましたが、CMソングなどを時々歌われているのは知っていました。
聴き始めてから早い時点で、これは僕にとっての大本命の音楽になりうることを直感しました。ちなみにたまの曲で一番最初にハマったのが、石川さんの「学校にまにあわない」です。 18/3/27(Sankaku)

おおっ、あの曲は時々「トラウマソング」とも呼ばれてるので嬉しいな。
長いので歌うと疲れるのだが(笑)。 18/3/27(石川浩司)

去年の秋頃、初めてたまを見ました!
私は浪人生で予備校に缶詰状態の日々の中、ふと「そう言えば昔、たまってバンド聞いてたな…」と思い出したのです。14年ほど前、幼稚園児の私は毎日のようにたまを聞いていました。
そしてYouTubeで何気なく検索してみたのです。さよなら人類を先頭にずらっとならぶサムネイルを見て、「あった!!」と嬉しくなりましたが、すぐに再生することは出来ませんでした。妙に緊張してしまって(^_^;)意を決して再生しました。
「う、動いてる・・・!演奏してる!歌ってる!」
その時の気持ちはうまく言葉に出来ないです。「懐かしいなぁ、うわーなんてかっこいいバンドなんだ!!」夢中で色んな動画を見ました。そしてその映像が自分が生まれる前の物だということにびっくりしました。え!?と思い色々調べて、たまの歴史を知り、石川さんのHPにも辿り着きました。
たまの曲を聞きながら、父と兄と3人でたまの真似をしてCDをつくったり、当時金魚が好きだった兄がカラオケでらんちうを歌っていたことを思い出しました。あっかんべー太郎のうたも一緒に歌ってました(笑)
「たまという船に乗っていた」も家にあったのですが通学中にも読みたかったのでHPから読ませて頂きました。読んでいてとてもワクワクしたし、暖かくて、切なくて、後半は自分でもびっくりするくらい涙が止まりませんでした。
4月15日のライブに行きます!!
受験前、こっそりチケットを取りました(笑)。無事合格することもでき、とても楽しみにしています(^ ^)
私はたまをリアルタイムで見ることは出来ませんでしたが、皆さんが今も音楽を続けて下さっていることが本当に嬉しいです!これからお金貯めて石川さんの生のパフォーマンスをたくさん見に行きます!
長くなってしまいすみません。どうかお体には気をつけて、これからものびのびと音楽や、楽しいこと面白いことを続けてください!  18/4/19(はんぺん)

ライブどうだったかな?
なんせ解散後15年経ってるし、年もとってるので全盛期のようにはいかなかったと思うが・・・。
良かったら「ザ・レポート」に感想を投稿してくださいな! 18/4/19(石川浩司)

中学校の頃の友達が、「お前に似ているバンドがいる」と言って、勧めてくれました 18/6/17(結局、どこが似ているのか、分からないままなのですが)。
YouTubeで「らんちう」と「さよなら人類(いか天の時の映像)」を見ました。坊主頭の人が風呂桶を叩き、時折叫び声を上げ…変な髪形で眼がキラキラしている人がギターを弾き、まともそうだけど変な雰囲気を漂わせている2人がベースとキーボードをやっているのを見ました。最初、ふざけているのかと思いました。養護施設の人たちかな?とも思いました(いろいろな人に失礼な言い方ですけど、ともかくもこう感じたのです)。だけど、どこか引き付けられるものを感じ、それから2、3か月ほど、この2曲や「学校にまにあわない」「マリンバ」「お経」「ロシヤのパン」などを、1日5回ずつくらいのペースで聴きまくるようになりました。そのころは高校受験の直前。勉強以外はしてはいけないような雰囲気の中、学校から帰るとたまを見て、ご飯の前にたまを見て、ご飯の後にもたまをみて、寝る前にもたまを見て…というような感じでした。そして、それから2年以上たって、とうとう僕はたま依存症というか、たまなしでは生きていけないようになってしまいました・・・。 18/6/17(未成年)

「玉無しでは生きていけない」と読んでしまった・・・。 18/6/17(石川浩司)

はんぺんさん、合格おめでとうございます。レポート、初めてのライブのときめきや興奮がビンビン伝わってきて、とっても瑞々しかったです!
私も、幼稚園の頃を思い出してYouTubeで「たま」の動画を検索したというのがきっかけです。
もっとも私の場合、幼稚園の頃に「たま」がメジャーデビューしてリアルタイムで流行っていたのを朧気に覚えていたという感じですが。
「そういえば『さよなら人類』って一曲通して聴いたことないな」と思って動画を見たら、「あれっ…この人達、4人だけでこの音を出してるの?バックバンドも被せの音も何も無しで?ヘナヘナな見た目に反して、もしかして凄くないか!?」→現在に至る。 18/7/1(ANA)

ライブでは余程何かの企画でスペシャルゲストが入ったことが数回あるだけで、あとはメンバーだけでいつも淡々とやってたなー。 18/7/1(石川浩司)

イカ天は、たいてい友達と電話でおしゃべりしながら見て楽しんでいました。たまのときは2人して黙っちゃった記憶。すごいの来ちゃったねって終わってからポツリとつぶやいただけ、それぐらい衝撃的だったのですが、あまりにも異質で好きとか嫌いとか考えられませんでした。アングラ界の妖怪、そんな単語で頭が埋め尽くされてしまいました。 19/3/12(美月)

審査員も「一体これをどう評価したらいいんだ」と迷ってた感じはあったね。 19/3/12(石川浩司)

昔、図書館のCDの貸し出しコーナーを利用していた時は、RCサクセションや泉谷しげるのアルバムをよく借りました。

たまの「さんだる」や、なんと「たま」(バンド名と同じ名前のアルバム)もありました。この時はアルバム「たま」のレア度や貴重さは分かっていませんでした。
東京都足立区、西新井大師の近くの演歌専門のCDショップで偶然「たま」を手に入れました。今は中古でも5000円ぐらいのプレミア価格になってしまうこともあるので運よく手に入ったと思います。 19/9/1(Sankaku)

柳ちゃん脱退後の最初のアルバムだね。「3人でもまだこの名前でやるぞ!」と気合を入れた一枚だったな。 19/9/1(石川浩司)

石川さんはやはりCDや作品を売り出すご身分として「なるべく新品を買って欲しい」と発言されたことがあります。
僕自身もある時期から本当に欲しいものは新品を買うように心がけていますが、それでも本当にいいものが中古の安い値段で手に入るのもなかなか快感でした。
「さんだる」「ひるね」「きゃべつ」が近所のブックオフで立て続けに手に入った時のことは今でも覚えています。

新品と中古品、やはり使い分けは大切です。 19/9/12(Sankaku)

俺も実は本も古本屋でしかほぼ買わないんだけど、ぶっちゃけ本もCDも中古品をいくら買ってくれても本人には一銭も入らないんす。ネットオークションなんかもそうだけど。
貧乏ミュージシャンには切実な、忸怩たる思い。
このシステムはなんとかしてほしいねー。 19/9/12(石川浩司)

石川さんはパーカッションを普通に立って演奏していると思っていました。ここのHpへ来て波照間さんだったかな、膝立ちということを書いていて、ええっとなった。
あまりテレビは後方から映しませんものなー。 19/9/26(わいわい)

おかげで膝を悪くした。年取ってからシワ寄せってやっぱりあるんだなー。 19/9/26(石川浩司)

自分は吉田拓郎をよく聞いてましたが、ある日いつも通り某動画サイトで吉田拓郎の動画を作業用BGMにしていたら、「夕焼けの下の子供たちは…」と関連動画でたまの「あたまのふくれたこどもたち」が流れて、すごく鳥肌がたって、そこでたまが好きになりました。 20/1/21(ポコポコ)

その曲を最初に聴く人は珍しいかもね~。でもたまの王道のひとつ。それにはまったのなら、他の曲もきっと面白く聴いてもらえると思う。 20/1/21(石川浩司)

僕が初めて聴いたたまの曲は、『電車かもしれない』でした。その時は「ああ、ヒガシマルのCMの人ってバンドやってたんだ。」くらいにしか思っていませんでしたが、その後親にさよなら人類を薦められて、聴く→いい曲だぁってなる→アルバム買うっていう流れでファンになりました。 20/3/8(ナタデンココ)

いろんな入り口があるよね。俺のライブを観てたまにはまったという人すら。それぞれがソロで活動しているから、いろんなところから来てくれると嬉しいなあ。 20/3/8(石川浩司)

僕が初めてたまを聞いたのは小さい時です。みんなのうたで流れた「そんなぼくがすき」がかなり印象に残りました。「そんなぼくがすき」のシングルが欲しいです。 20/6/13(Kotosan Dog)

中古CD屋さんとかにあるのかもね。NHK「みんなのうた」になった曲だね。 20/6/13(石川浩司)

某所で「History of Tama15」を買って、やっと動く「おいしいうそがいっぱい」と「舅乙女変化」を初めて拝むことができました。
前者は、大谷氏さんやカブラギさん、そして山下さんのアングラ舞踊さながらの踊りに酔いしれ、後者はGさんのパーカッションと石川さんの激しいギターに感激しました。
意外だったのは、河合ゼミでのライブ。
受講生の熱気がものすごかったです。
あと六調のノリノリな感じが好きです! 20/6/19(ズミ天)

いろいろやったよねー。
ただデビュー直後の映像はその時だけ事務所に入っていて、事務所をやめて独立したんだけど、その事務所が倒産する時に全部廃棄処分にしたと言われた。なので一番売れていた時代の映像だけが無いんだよね。
ちなみに残ってる膨大なビデオからの選曲は、一週間映像を見続けて、ほぼ俺がひとりでやったのよーん。 20/6/19(石川浩司)

今年の5月、初めてたまを見ました。
ユーチューブで「さよなら人類」を歌うたまを。
さよなら人類という曲の一部だけは知っていましたが
たまが実際に歌っているところを見るのと、1曲全部聞くのははじめてでした。
なんでこんなすてきな人たち今までちゃんと知らなかったんだろう!
4人が楽しそうに 20/8/1(そう見えた)演奏しているのが何よりとても心ひかれました。
心が揺さぶられるってよくある表現ですが久し振ぶりにそれを体感しました。
ただの好きやいいなとは全然違う、心の動揺。
今はちょっとずつCDやDVDを集めてたまを聞いています。
リアルタイムでたまのファンになれた方がうらやましいです。  20/8/1(だだん)

実際楽しかったよ~。これを機会に、いろんな曲を聴いてくださいな。
そして良かったら、それぞれ今やっているソロやバンドなども聴いてくださいな。全員が30年以上やってるから、膨大にあるよ~ん。 20/8/1(石川浩司)

2002年にたまに出会って、最初にハマったアルバムは『ひるね』でした。
アルバム全体を通した一貫性のある雰囲気には大いに魅せられ、それは今でも続いています。

それにハマってしまうと、『きゃべつ』は最初、何か物足りなく感じたものでした。
特にこのアルバム最後の曲「こわれた」が、『ひるね』の「鐘の歌」に比べて最初はちょっと気持ちよく聴けませんでした。

それでもこのアルバムには「星を食べる」「満月小唄」「おなかパンパン」などの名曲が揃っています。 ここ最近は『きゃべつ』の魅力も見直し、積極的に聴くようにしています。 21/1/15(Sankaku)

時とともに好きなアルバムが変わることってあるよねー。まぁ自分のはよくわからないけど。 21/1/15(石川浩司)

特に『さんだる』『ひるね』『きゃべつ』、またそれ以降のアルバムも完成度の高さには、今でも驚かせられます。
更には最初の3作はたまブームの最中に作られたということも、さらに驚きます。
メジャーデビュー前のアナログレコード「しおしお」「でんご」などで、アルバムの作り方の理合いは習得していたのかな、とも思いました。

石川さんは、メジャーレーベルで作ったものには締め切りがあって、インディーズになってからの方が余裕をもって作れたと仰っていましたが、どのアルバム作品もそれぞれの持ち味が出ているのは、今聴いてもすごいです。細部に至るまでこだわりを感じます。  2021/3/26(Sankaku)

確かに最初の三枚とかはレコード会社もお金をボーンと出してくれたから、ミックスも1日一曲とかかけてたからねえ。ちなみに当時はミックスするエンジニアの日給だけで10万円以上だったからね。今ではとても無理。  2021/3/26(石川浩司)

皆さんの投稿を拝見して、自分の思い出も書いておこうかな…と思いました。
面出しで陳列されていた黄色い紙箱ジャケットを見つけたのは、「壊れかけのRadio」を買う職場の先輩につきあって、CDショップに立ち寄ったときでした。
人面模様の昆虫標本みたいなイラストと、なんとなく「さんだる/たま」と読める記号みたいな文字、裏返せば、内容の推測できない曲名リストと、不思議でバラバラな出で立ちの四人衆の写真。(西日本在住のため「イカ天」は知らず、動く「たま」を見たのはかなり後になってから)
少々恐ろしげで、隅々まで謎だらけ、そのまま離れることができず、気づけば財布をはたいて買ってしまっていたのでした。
以来、ゆるゆると大好き継続中です。流行に鈍感で、音楽もあまり聴かない自分には、奇跡の出会いだったな…と思います。「パスカルズ」につながったのも幸せです。
「さんだる」の頃は、学校職員だったので、「学校にまにあわない」をタイマーセットで流れるようにして起床していました。 2021/7/4(へびのかわ)

二枚目の「ひるね」のジャケットは俺が描いてるので買ってね~。 2021/7/4(石川浩司)

小6の時に、紅白だったと思います。先に「さよなら人類」のカセットテープ(初めて買ってもらった)を聴いて柳原さんの不思議な歌声に引き込まれました。これを歌っている人はきっと若くてカッコよくてモテるに違いないと思い…。実際に紅白でニヤニヤ笑みを浮かべながら歌う柳原さんを初めて見て、ちょっとナヨナヨしているけどやっぱりカッコイイ! 知久さんは人形のような?子供心に怖いような印象を受けていました。去年の11月にたまたま「イカ天」スペシャルの動画を見てから30年ぶりに「たま」の大ファンになっています。当時は奇抜なバンドだと思っていたぐらいでしたが、こんなに可愛いくてキラキラで最高な音楽を奏でる方達だったんだな、と。「たま」を知って良かったです。下の子供(小6)も「たま」の歌が好きです。 2021/7/4(sumire)

親子で聴いてくれて嬉しいな♪ 2021/7/4(石川浩司)

こんにちは。初めて投稿させて頂きます。
母親がたま好きで、物心ついた時からたまのCDがカーナビで流れていました。
その頃の私はたまのCDの音しか聞いておらず、文字として認識したのは「さんだる/たま」などのアルバムとバンド名や曲名のみ、写真などは見た事がなかったのと奇妙な楽曲群とも相まって、たまを人間だと認識していなかったような感じがします。4人いる事もバンドである事も知らず…
中学生になってからYouTubeで動画を見て、皆様が人間の姿をしている事にショックを受けました。
ルックスにびっくりされた方が多いようですが、私は逆で、もっともっと訳の分からないような姿形をしているのではないかと思っていました……。
この人たち、ちゃんと人間だったんだなあと…同時に、こんな凄いものを人間が作ったなんてと感激しました。  2021/8/12(塩屋)

ははは、直接会ったら割とまともです。まぁ普通かどうかはわかりませんが(笑)。
バンドは無くなったけど、メンバーは全員ソロなどで今でもやってるので、聴きに来てね! 2021/8/12(石川浩司)

なんだか初っ端から無礼で申し訳ありません…。昨年11月の3たまライブ、母と一緒に現地で聞かせて頂きました!前から2列目の左側の席で、石川さんがよく見えました。
しかしながらソロは場所が合わず、部活で万年多忙、さらなるコロナ拡大の3拍子でまだ行った事が無いですね……。
せめて大学生になって少し余裕ができたら行ってみたいものです…ときどき配信は買っているのですが、やっぱり生でも聞いてみたいですね。いつかいつかと言っているのはよくないですけど…。

初めて聞いた時の事は覚えていないのですが、小さい頃はなにやら変な声で変な面白い歌を歌うのがたまだと思っていて、例えば満月小唄や海にうつる月のような静かな曲が流れた時は  ああ、たまのCD終わっちゃったか、と思っていました。しばらくして石川さんの曲になったら  あれ、また始まった?と思ったり…笑 そんな調子だったので滝本さんの歌はほとんど記憶になくて、唯一覚えていたのが「こわれた」でした。 2021/8/22(この曲でアルバム「きゃべつ」は本当に終わってしまうわけですが…)

中学生になってから滝本さんの曲を聞いてみるとものすごく衝撃で、今では一番好きです。「星を食べる」の、綺麗なのにあまりにサラッとしていて何とも思っていなさそうな描写のその表現の凄さには度肝を抜かれました…… 2021/8/22(塩屋)

Gさんの曲は、派手さはないので最初はどうしても他のメンバーを見たり聴いたりしてしまうけど、じっくり聴くようになると面白さ、素晴らしさがどんどん分かってくるタイプかもね。
唯一、3人でのたまを見てから入ってきた人だしね。(今ちょうどwebアクションの「『たま』という船に乗っていた」がGさんと出会うシーンだね) 2021/8/22(石川浩司)

1995年にメンバーが脱退し、たまが3人になられた時には、「3人組のたまは受け入れられない」という人も少なからずいたようです。
私は割とすぐに慣れる事ができましたが、僅かな間にそんな気持ちにもなったことがありました。

特に脱退したメンバーに対しては、「『たま』というバンドで、これ以上にない楽しい表現形態を持ちながら何が不満なのだ!」という気持ちが今でもあると思います。

「さよなら人類」がたまのレパートリーではなくなり、私もちょっとばかり複雑な気持ちでした。
しかし脱退直後のアルバムは、何だかマインドが優しくなったような感じがして、そこらへんは心地よく聞くことができました。 2021/9/3(Sankaku)

元々Gさんのいない「たま」も結成から二年間はあったしね。
バンドも生き物だから常に変化するのはしょうがないんだよね。というか、何も変化しない方が不自然なのかもしれない。
一番問題なのは「嫌々やってる人が、メンバーの中にいる」という状態だからね。それだけは避けなければならない。 2021/9/3(石川浩司)

柳原さん嫌々やっていたんでしょうか。柳原さんって百面相役者っていうのか、うまく言葉が見つからない…たま時代と脱退後の歌う姿を見比べていると、曲風や歌声だけではなく全く別の人格になっているように見えるのには驚かされます。そういう特技がある。ので、色々な人格になってみたい、チャレンジしてみたいって思われていたのでは。決して嫌だったわけでは無く、その時その時で音楽を楽しまれていたんだと、ファン歴の浅い私なりに勝手に考えてみました。
ちなみに、4たまのメンバー全員に共通する事ですが石川さんて昔も今も善良そうな人っていう印象です。一度でいいから、4たまでライブをして欲しい!って強く思います。 2021/9/12(sumire)

いや、嫌々じゃないと思うよ。もっとも脱退を口にしたのはその年の正月で、でも年間スケジュールはもう決まっていたので、一年間はがんばってもらったけど、脱退ライブを観た人ならわかると思うけど、嫌々だったらあんな笑顔出せるほど器用じゃないからね。
4たまは常々言われるけど、柳ちゃんが絶対的NG。3人では時々やってるからね。柳ちゃんいわく「ひとつオファーを受けると、今までの関係から他のオファーもいろいろ受けなくてはならず、収拾がつかなくなる」とのこと。それもわかる。
長い音楽生活でいろんな主催者さんとやっているから「あっちでやったんならこっちでもやってくれ!」がどうしても増えちゃうからね。 2021/9/12(石川浩司)

内輪の話まで教えていただけて光栄です。なるほど。そんな理由が。お世話になった方々への対応に追われるかもって気を遣う柳原さんも素敵ですが‥せっかく一度きりしか無い人生だから、それはそれで絶対何とかなるから、4たまイベントとりあえずやってみようよ!!って私が柳原さんの身近にいる存在だったら言ってると思います。
諦めず願っていたら、そのうち本当に実現しそうな気がしています。
今度、上の息子(中2)が音楽の授業で、オススメの歌・音楽を紹介する課題があり、「たま」にするって言ってました。今流行りの歌にする人もいればビートルズなど昔のバンドにする人もけっこういて。「たま」について調べながらA4の用紙にギッシリ書き込んでいました。先生達は「たま」を知っているかもしれないけれど 今の中学生はあまり知らなさそう…これをキッカケに知って「たま」動画を観る中学生が増えたらいいなって思います。 2021/9/24(sumire)

なんせヒットしたの30年以上前だからね。中学生が知らなくて当然。俺だって、自分が生まれる前の歌なんてほとんど知らないからね。誰かが歌い続けるか、最近はネットもあるのでそこで情報発信も大事。なので意外にも親からやYouTubeなどで知った若い人もライブに来てくれるんだよねー。
音源もいいけど、迷ったら是非ライブへ。だんだん歳もとってきたので、いつまで生の姿を見せられるかは、本人にもわからないからね。ライブ会場で会ったら、是非声をかけてね! 2021/9/24(石川浩司)

また近々、石川さんに会いに行きたいです。
たまファン歴約1年、さらにコロナ禍で柳原さんのライブに数回行けた位です、今後3たまライブ等にも行ってみたいです。
3たまをやっていただけるだけでも有り難いのですが、、、30年前にブラウン管越しに初めて見た柳原さんに対する初恋の様なドキドキする感じを未だに鮮明に思い出す事ができて(そのわりに30年間忘れていましたが…)その柳原さんが入っていないのは、やはり寂しいです。声質など変化していて元通りとはいかなくても、柳原さんが他のメンバーと一緒に笑っている姿(4たま)をもう一度見てみたいです。 2021/9/30(sumire)

まあそれは柳ちゃんにメールなり直接ライブの時なりに言うなりしてくだされ~。なんせ他の3人は時々一緒にやっていて、柳ちゃんだけが入ってこないわけだからねー。
この間、Gさんと一緒にイシマツ(俺+ロケットマツさん)でやったライブも評判良かったみたいだし、パスカルズでは常に知久君とやってるしね。繋がりは今でもある。 2021/9/30(石川浩司)

今は消されているのですが、youtubeで「地方番組でのたま」とかいうタイトルで誰かが昔upされていました。
いかにも地方局という感じで、MCと女性アシスタントが「たまさんです」と紹介して、4人がスタジオに呼ばれて着席したのですが、みんなつまらなそうな顔をしていたのが印象的でした。あのぶすっとしたやる気のない表情はなんだったのだろう。。。
演奏したかどうかは記憶にありません。 2021/9/30(わいわい)

みんなミュージシャンという気持ちが強く、タレント的な扱いを極端に嫌ってたからかもしれないね。特にまだ若かったしね。
ある番組で「元気に笑って大声でヤッホーと言ってください」とかディレクターから指示があった時も、八方美人の俺以外は「そういう人間じゃない」と白けてたこともあったね。 2021/9/30(石川浩司)

変な人たち。失礼ながら当時、私が小学6年生くらいだった時の印象です。
声や表情などの印象から、そう思ったと思います。しかし病みつきになる感じが好きでした。そして、歌詞に出てくる興味深い単語、ピテカントロプス、二酸化炭素、ブーゲンビリア、サーベル、知床、ギロチン、オゾンなどなど。わからない言葉は辞書で調べていました。曼珠沙華は知っていたので、「あ、知っとる花や~」と思い嬉しく思いました。あと、どうして、「夕暮れどきのさみしさに、牛乳が似合うのか。」学校の帰り道によく考えていました。また、知床の「しれ」、富士山の「ふじ」という石川さんの間の手がとても印象的で好きでした。当時は音楽的な事も何も知らなかったので、言葉の方に気をとられていました。
また、リコーダーや鍵盤ハーモニカなどを使って見えたので、勝手に身近に感じていました。 そして、ずいぶん時が流れてから、すごい人たちだった事を知りました。失礼しました。 2021/9/30(ボフ)

ハハハッ、当時からいつでも「変な人たち」という括りだったよ。そして俺たちに続く変な人たちが続々と出てくると思ったら(コミックバンド的なものはあったけど)いなかったなあ。 2021/9/30(石川浩司)

柳原さん好きなんですけど、イカ天第一週目では腰が低くて完奏時もペコペコしていたのに徐々に表情がなくなり五週目になるとぶすっとしていたのがが気になった。 2022/11/11(わいわい)

昔から「モード派」と言われていて、その日に「おちゃらけモード」とか「二枚目モード」とか、どのモードになってるかで結構人格が変わると、メンバー内でも有名だった。なので何かのモードになってたのかもね。 2022/11/11(石川浩司)

子どもの時は、自分の一人部屋もなく深夜にHなテレビを見たくても見られず〔ココから本題→〕イカ天も見てなかったです。中1の時テレビで「さよなら人類」を聴いて良い曲だと思い、友&愛でCDレンタルしたか、マイクを使ってテレビの音声を録音したテープを聞いていました。見た目の印象は、歌う柳原さんの怪しいというか怖い〔ゴメンナサイ〕表情も何となく記憶にありますが、やっぱり知久さんと石川さんの風貌と知久さんの声のインパクトが強かったですね。なんか変な人達やな~〔ゴメンナサイ〕という印象でした。バラエティかなんかで知久さんがあの格好のままで街を歩いてる!と取り上げられていて爆笑したのを〔度々ゴメンナサイ〕覚えています。たまにハマったのは最近で、若いミュージシャンがリスペクトするミュージシャンを紹介する番組で、たまが取り上げられたのを見て、懐かしいと思いネットで色々見ていたら見事に引き込まれました。そしてコチラに投稿するまでになるとは...人生を踏み外した思いです。嘘。 2022/12/23(ひももん)

どんどん踏み外して愉快な日々を見つけておくれっ! 2022/12/23(石川浩司)

10年以上前、フジ系列で開局周年として放送された特番を見てました。
昔の曲ってこんな感じなんだなと昭和ソングなどを知り楽しんでいたところ90年代のゾーンに入るというところにそれはやってきました。
不思議な雰囲気のグループ(ちなみに4人グループだとキチンと把握してなかった)が不思議な曲調で不思議な歌詞を言葉に出したと思ったら坊主で白シャツ太っちょの男性が「着いたーーー!!」と叫んだのを。
そこから「たま」、「さよなら人類」、「ピテカントロプス」、「おカッパの髪型の男性(この曲を歌ってた人だと長年勘違いしてた)」、「坊主で白シャツ太っちょの男性」、「その男性がシャウトする着いたーーー!!」が脳裏に刻まれました。 2024/2/29(ラメール・ローラ)

ふふふ、ようこそこちらの世界にお越しやす! ♪こっちの水は深いぞ~ 2024/2/29(石川浩司)

たまの存在を知ってからおそらく1年も経っていない新参者で御座います。初めてみたのはYouTubeに誰かがあげていたさよなら人類の映像をなんとなーくポチッとしてみた時です。初めて見たときの感覚を今言語化するならば、人間ではないものに見えた、というのが正しいと思います。彼らは確かにそこにいて、演奏しているのだけど、私たちと同じように彼らも母親から産まれ、ご飯を食べたり、寝たり、誰かとお話をしたり、そういう人間の営みをしていることが全く想像つきませんでした。曲を演奏しているときだけ存在する、一人一人がたまのためだけに存在するように見えました。今はたまの本を読んだり、昔の映像を探ったり、現在の元メンバー達の動きも見たりして、彼らも私たちと同じ人間なのだということを受け入れることが出来ましたが、あの今まで経験した事の無い気味の悪さは時々思い出し、不思議な感覚だったなあと思います。現代はインターネットがあり、不思議な世界観を持ったものを幾らか見かけられる時代だけれど、インターネットのない時代、テレビから突如あれが流れてきたらそれはそれは衝撃だっただろう。 2024/7/6(ささくれ太夫)

ああ、そういう思い込みってあるよね。俺も友部正人さんと知り合って一緒にツアーで周ってた時、勝手に想像で天涯孤独で放浪しながらひとりで歌っているイメージがあった。それが確か名古屋公演の時に「今日は僕の両親も見にきているんだ」と言われた時、ビックリした。もう親なんてとっくにいないもんだと無意識に思ってたからねー。 2024/7/6(石川浩司)


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