話題182 見かけた芸能人(2)

***レス(発言は古い順に並んでます)***


何年か前、浅草の神谷バーで食事していると、離れた席で鳥肌実さんが若い女性と同席しているのを目撃しました。鳥肌さんは、前髪を垂らし、ステージ上で見る10歳以上若く見え、別人のようでした。一緒にいた友人女性はちょっとがっかりしている風でした。ファンだったのかな。 12/7/14(波照間エロマンガ島)

俺の元バイト仲間の奥さんが鳥肌実さんのマネージャーしてたな。もしかしたらその人かも?
うん、少なくとも俺達よりだいぶ若いんだよね。 12/7/14(石川浩司)

何年か前、日本に観光旅行にやってきた私のタイ語の先生のNさんを、原宿の竹下通りに連れて行ったときのことです。とつぜんNさんは立ち止まって、「DOMEさんが!!なんでここに?!」とつぶやきました。視線の先を見ると、イケ面のタイ人男性がテレビカメラの前で何かレポートしています。どうやら、タイのトップスターが日本を紹介する番組を収録しているところみたいでした。しかし、タイではトップスターでも、日本人は誰も知らないので、DOMEさんは嬌声をあげられるわけでもなく、日本人はそばを素通りしていくばかりでした。ただ一人、N先生だけは興奮して、写真を撮りまくっていました。その温度差が面白かったです。・・・そのときDOMEさんはどんな気持ちだったのでしょうか、ちょっと聞いてみたくなりました。DOMEさんのプロフィールはこちら。 http://wasashimithaistars.blogspot.com/2010/08/dome-pakorn-lum.html  12/7/28(波照間エロマンガ島)

あー、そういうことってあるだろーね。
デビュー直後、イギリスにレコーディングに行った時、知久君は日本では出国手続きの時パスポートすら見せずに顔パス。
逆にイギリスでは変な格好してるので念入りに調べられてた・・・。 12/7/28(石川浩司)

15年くらい前、東京の目黒に住んでいたとき、散歩している浅野温子さんをよく見かけました。化粧っ気がまったくなく、すれ違う直前まで浅野さんと気がつかないほど、風景の中に溶け込んでいました。
ある日のこと、朝散歩をしている浅野さんとすれ違ったのですが、その日の昼間、今度は渋谷の並木橋にあった会社の前で再び浅野さんとすれ違いました。いろいろな情報を綜合すると、浅野さんは目黒から渋谷まではよく歩いて移動していたようです。1日に2回すれ違うのも珍しいなぁ、といつまでも記憶に残りました。12/7/28(波照間エロマンガ島)

俺はおそらく浅野温子と十回すれ違っても分からない。
というか個性派の俳優女優以外は顔が全く覚えられない。共演したことある人ですら。12/7/28(石川浩司)

去年、NHKにお呼ばれして公開収録を見に行ったとき。
出入口で沢村一樹とすれ違いました。
背が高くてすらっとしていてかっこよかったですが、ジーパンにチェックのシャツというラフな格好だったので、大分イメージが違いました…。  12/8/21(すみれ)

まぁ私生活はみんなそんなものよ〜。 12/8/21(石川浩司)

今から25年くらい前、藤島部屋(二子山部屋を経て、現在、貴乃花部屋)の3軒隣のマンションに住んでいました。若貴兄弟はまだ入門前で、くそ生意気なガキ、・・・おっと少年で、よく通学時間が重なりました。当時は先代の貴乃花の故・藤島親方が健在な頃で、その厳しい指導のもと、幕内力士が次々と出世していく過程にありました。女将さんの憲子夫人も離婚前だったので、よく見かけました。・・・月日は経って、2012年8月、お笑い芸人のピースの綾部が、まさか藤田憲子(64歳)さんと噂になるとは、夢にも思いませんでした。熟女好きにもほどがあるだろうっちゅーの!!私が見かけた頃でももう既に熟女って感じだったのにー。。。世の中、まったくもって愛の形はわかりましぇん。  12/8/31(波照間エロマンガ島)

しかも若貴のポスターの前でやると興奮するとか・・・。 12/8/31(石川浩司)

以前、北海道へ出張に行った時のこと。羽田空港の搭乗ゲートで、中村玉緒さんと娘の奥村真粧美さんを目撃しました。また、別のベンチには当時北海道知事だった横路孝弘さんもいましたが、平日だったからか、有名人が近くに居ても、あまり気づかれていないようでした。私は、これから乗る飛行機が墜落して、彼らと一緒に死んだらニュースで名前を読まれるのかな、なんて馬鹿なことを考えながらぼーっとしていました。もちろん、飛行機は墜落せず、20余年後、タイに住んでいます。 13/3/31(波照間エロマンガ島)

飛行機とか新幹線とか有名人乗ってること多いんだろうね。
基本的に人の顔を見ないようにしている俺はほとんど気づかない〜。 13/3/31(石川浩司)

2012年の12月のことです。福岡国際マラソンに出場するいとこを応援するために、コースの中間地点あたりでいとこが走ってくるのを待っていた時のこと。何気なくふと後ろを振り返ってみると、「ん?私は今テレビ画面見てるんだっけ?」という変な感覚に陥った私。 振り返った先には、ガナルカナルタカの奥さん、橋本志穂さんの満面の笑顔があったのです。しかも、私の目と鼻の先くらいのものすごい近い距離。その時は他人のそら似の可能性も考えて、声はかけませんでした(ほぼ本人に間違いないとは思ってたんですが、小心者だったので 汗)。後でネットで彼女のことを調べてみたら、橋本さんは福岡出身で学生時代は陸上をされていたという経歴が。きっと陸上仲間の方を応援をしに来られてたんだろうなあ、とそこで本物だと確信しました。生で見た橋本さんの笑顔、とってもチャーミングでした。テレビでもよくニコニコされてて笑顔の印象がありますが、テレビと変わらずそのまま素敵な笑顔でした。 13/8/12(あさひ)

思ってもみなかったところに突然現れると驚くよね。
昔ガナルカナルタカさんのトーク番組にひとりで出たことあるなー。 13/8/12(石川浩司)

出通い先の旅行で八景島シーパラダイスに行った時、タレントの勝俣州和さんを見かけました。仲間が声をかけにいったけれど、プライベートだと気遣って断念。
印象的だったのは60mくらいの遠くからでも輪郭がはっきり分かった事。家族連れでなんか疲れている様な感じでした。・・・それだけです。(笑) 13/11/18(Sankaku)

テレビでハイテンションな人は普通にしてるだけで「元気ないんですか?」とか聞かれることあるんだよね。
イメージって強いからねえ。いつもそういう人だと思ってしまう。
思われてしまう。 13/11/18(石川浩司)

タイ生活も早いもので今年7年目に突入するので、日本の芸能人を見かけることは少なくなりましたねー。これだけ海外取材番組が多いのですから、タイで誰かを目撃したりしてもよいものだと思うのですが、たとえば、お祭り男〔宮川大輔〕とかイモトアヤコとかタイで見たことはありません。チェンマイ逃避組のメンバーが飛行機の中でタイロケに来ていたほっしゃんを観たとか言ってたのを聞いたことはありますが。 14/1/23(波照間エロマンガ島)

場所じゃないかなあ。テレビで紹介する定番スポットに行けばそれなりにいると思うけど、地元の人はまず観光スポットなんて行かないからねえ。
東京に住んでる人が滅多に東京タワーに行かないように。 14/1/23(石川浩司)

  テリー伊藤。

  小春日和の日曜日、うちから歩いて5分のコンビニで何か視線を感じて顔を上げたらすっぴんのテリー伊藤が。
パンコーナーの前にいて、私が気づかず近づいたのが自分目当てと思ったらしく、こっちは全くそんな気がなかったのだが無言で数秒見つめあってしまった。

芸能人の自意識はすごいなあとあらためて思ったことでした。
  ちなみにテリーさん、ホットドッグを買って週刊新潮を立ち読みして奥さんと去って行きました。  14/4/12(わにこ)

すっぴんって普段は化粧してるの!? 14/4/12(石川浩司)

わにこさんのを読んで思い出しました。私もテリー伊藤を見かけたことがあります。目黒に住んでいた時、家の近所の材木屋の前でそこの店主と談笑しているのを目撃しました。実は何十年か前、テリーさんに面接を受けたことがあるのでちょっとドキッとしました。当然向うは忘れているだろうけど、こちらは覚えているというパターンで。まぁ、そんなどうでもいい話です。 14/4/18(波照間エロマンガ島)

一体何の面接を受けたかが気になる・・・。 14/4/18(石川浩司)

最近違法薬物所持で逮捕された某有名ミュージシャンAを、桜新町の知り合いの経営している焼肉屋で目撃したことを思い出しましたよ。その時は、楽曲提供したローラースケートをはいた某グループの中心メンバーのMくんと一緒に焼肉食ってました。それからうん十年後、まさかAが捕まるとはその時は夢にも思いませんでしたけどね。しかし、捕まったAは自業自得だとしても、一緒にグループを組んでいたCは、気の毒ですねー。仕事なくなるんじゃないでしょうか。  14/5/31(波照間エロマンガ島)

ほとんどの作詞作曲はAがしてたらしいし、ぶっちゃけ人気もAの方があっただろうからね。
でも今までの稼ぎでそこそこは暮らせていけるんじゃない?
なんせ俺が暮らしていってるくらいだから(笑)。 14/5/31(石川浩司)

  人気急上昇中のモンドくんを、話題になる前から何度か見かけています。
お父さんのボギーさん[ミュージシャン]のライブ会場で、楽しそうに弟の天ちゃんと一緒に通路を走り回る姿が可愛かったです。
実は、本人は画家ではなく建築士になるのが夢なんだそうです[笑]。 14/5/31(デクノボー)

彼の今の勢いはスゴイ。テレビに新聞に。
去年のふなっしーの躍進ぶりを見てる気分。
マスコミって一度話題になると一気にいくからね。
もしかしたら今年の紅白の審査員席にモンド君は座っているかもしれない。いや、マジで。 14/5/31(石川浩司)

芸能人ではないですが、近所で仮面ライダーの撮影をやってました。好きなライダーはいませんでしたが、生の撮影シーンはとても新鮮でした。 14/8/7(ズミ天)

仮面ライダーって長いよなあ。ウルトラマンも。
みんな俺の子供の頃に生まれたヒーローなのが不思議だなあ。 14/8/7(石川浩司)

JR南武線武蔵溝の口駅の改札付近でお笑い芸人のホーキング青山を目撃したことがあります。大昔の溝の口駅界隈はスロープやエレベーターなど一切なく、しかも乗り換えの東急田園都市線溝の口駅まで離れていたので、車椅子での移動はさぞ大変だったろうなと思いながら視線を合わせました。 14/8/22(波照間エロマンガ島)

階段しか無くて無人駅だったりしたらどうするのだろう? 
早く空飛ぶ車椅子が出来ればいいのにねっ! 14/8/22(石川浩司)

友人の漫才師のワンマンライブを見に行ったら、斜め後ろにキッチュこと松尾貴史さんがお客さんとして座っていました。ライブの閉幕近く、松尾さんは舞台に引っ張り出されてました。けっこうカッコよかったです。テレビで見ているイメージよりも実物のほうが身長が高いと感じました。そう感じた有名人はほかには糸井重里さんがいます。どちらも175cmくらいあったような記憶があります。 14/8/25(波照間エロマンガ島)

糸井さんはテレビ番組でお会いした時、以前たま時代CDのキャッチコピーを書いてくれたことがあったのでお礼を言った。
しかしその後噂で聞いたのだが、当時在籍していた事務所はどうやら糸井さんにギャラを払わずに倒産したようだった。
糸井さん、すみません・・・。 14/8/25(石川浩司)

仕事帰り、会社近くの日比谷公園を歩いていると、ちょうど日比谷公会堂でコンサートがあったのでしょうか、瀬川瑛子さんが楽屋口から出てくるのに遭遇しました。瀬川さんはダイエットした直後で、とてもプロポーションがよかったのが印象的でした。あれ、石川さんはお会いして、性格が良くて好印象だったとか言ってませんでしたっけ? ちなみに瀬川さんの初期の大ヒット曲、「長崎の夜はむらさき」はわたしのカラオケの定番です。 14/8/25(波照間エロマンガ島)

一度だけ会ったというか近くで会釈しただけだったけどとても感じが良かった。
人によって態度を変えることのないような性格が滲み出てた気がする。
他の芸能人には感じない自然の善のオーラ的な。
・・・これで本当は性格がヒドかったら驚くなー。 14/8/25(石川浩司)

女優の南田洋子さん。
1975年頃だったか、ニッポン放送のクリスマスのチャリティー番組に募金しに有楽町のニッポン放送に行った時、南田さんを見かけたんです。そして家に帰ってきて、チャリティーパーソナリティーの欽ちゃんこと萩本欽一さんに応援メッセージを送ろうとニッポン放送に電話をしたら、電話に出たのがなんと、さっきニッポン放送で見かけた南田さんだったのです!超びっくりしちゃいました。南田さんは私の年齢を訊いたあと、「もう夜遅いから早く寝なさい」と言いました。そう、説教されてしまったのでした〔笑〕。それにしても、わたしが南田さんが出演した川島雄三監督の名作『幕末太陽伝』や今村昌平監督の『豚と軍艦』を観 たのは高校生の頃だと思うので、1975年当時はテレビによく出るおばさんタレントくらいなイメージしかなかったのですが、よくよく考えると大女優だったわけです。そんな、南田洋子さんと電話でしゃべったという話でした。 14/8/28(波照間エロマンガ島)

ほおっ、それは凄い!
でも若い人はもう南田洋子なんて知らないんだろうね・・・。
夫婦で大俳優・女優だったね。
いろいろ問題はあったようだけど。 14/8/28(石川浩司)

藤子不二雄Aさんを西新宿で見ました。ある日、三省堂書店ビルの前を散歩していると、藤子A先生が同年輩の人たちと一緒に近くの歩道橋の上から下りてくるのに遭遇しました。記憶の上ではゴルフバッグを持っていたような気もしますが、定かではありません。またベレー帽かハンチング帽をかぶっていたような印象もありますが、ベレー帽といえば元相方の藤子・F・不二雄先生のイメージがありますし、そちらも定かではありません。サングラスにもみあげ白髪で安孫子先生だということだけは認識できました。人間の記憶ってあやふやですね。 14/8/31(波照間エロマンガ島)

人の顔を覚えられないばかりで無く、基本的に人の顔を見ないようにしてる為、全然有名人を見つけられない・・・。 14/8/31(石川浩司)

  2007年3月6日の作戦失敗さんへ。わたくし、何故か永六輔さんの自宅住所を知っていますが、確かに作戦失敗さんの推測の通りであります。都内某所にお住まいです。ちなみにこの話題とはまったく関係ありませんが、わたくし、ずいぶん昔の天使イベントで作戦失敗さんと1回、お話したことがあります。覚えていないと思いますが。と、7年前のレスにレスするわたしでした。  14/9/21(波照間エロマンガ島)

多分作戦失敗さんは数年前に会った時、投稿引退のようなことを言っていたのでここはもう見てないかもしれないけど・・・。 14/9/21(石川浩司)

今から30年くらい前、原宿表参道の歩行者天国をぼんやり歩いていると、ベビーカーに赤ちゃんを乗せてアン・ルイスさんが歩いてくるのが見えました。赤ちゃんの顔とアンさんの顔を見比べるようにしてすれ違いましたが、今から思うと、あの赤ちゃんはのちに成長してロックミュージシャンになった美勇士さんだったんですね。ちなみにお父さんの桑名正博さんは、よく内田裕也御大プロデュースのジャパンロックフェスティバル〔日比谷野音〕とか、ニューイヤーロックフェスティバル〔浅草〕等の常連だったのでよく見ました。1970年代終わりの頃です。 14/9/21(波照間エロマンガ島)

美勇士と書いて「ミュージックん」と呼ばせるの、最近のキラキラネームのハシリだったという記憶。
俺もどこかの空港の喫茶店でアン・ルイスさんを見かけたことあったな。 14/9/21(石川浩司)

アン・ルイスさんは、1978年頃、TBSラジオの公開生放送「ヤングタウンTOKYO」で司会をしていて、当時高校生のわたしは、会場のTBSホールによく見に行ってました。鈴木ヒロミツさんとコンビで司会していて、アイドル歌手が出てきて持ち歌を歌い、インタビューされるという歌番組でした。アンさんは、どんな司会だったかというと、しじゅう鈴木ヒロミツさんにしなだれかかったり、肩を組んだり、手をつないだりと、かなりスキンシップをはかっているのが印象的でした。でも、ラジオだから声に出さない限り、何をしているかリスナーにはわからないわけで、ヒロミツさんはスキンシップされていても、そのことをまったく無視して進行を進めるのが面白かったです。公開放 送なのに、 アン・ルイスはよくやるなぁ、と感心しました。 あ、デビュー当時の岸本加世子さんも司会陣の一角にいたかな。出演した歌手では、デビュー直後の石野真子は覚えてます。 14/9/28(波照間エロマンガ島)

楽屋ではやってたのかな・・・。アンアンゆうてね。 14/9/28(石川浩司)

10年ほど前、JR京浜東北線の車中で故・緒方拳さんを目撃しました。緒方さんは真っ黒に日焼けした顔に、厚手の防水加工っぽいブルゾンを着て、荷物も多く抱え、まるで釣りに行った帰りのようなイデタチで立っていました。でも確かにオーラは強かったですが、スターのそれではなく、大自然の中で生活している人が都会に現われた、みたいな目立ち方をしていて、電車の中では違和感を感じたことも事実でした。あれはどこに行くところだったのか、ということをよく考えています。上り線だったので、まさかテレビ局に向かう途中だったのでは?などと想像したりもします。  14/10/9(波照間エロマンガ島)

あ〜、あの人はなんか本物という感じだよね。 14/10/9(石川浩司)

梅宮一家 五月みどりぐらいだろうか。梅宮一家は病院で見かけたので声かけれませんでした。 14/10/9(大空きらり)

俺も病院受付時代はいろんな芸能人の患者見たけど流石に守秘義務でそれは書けない〜。
あ、誰かのお見舞いでムッシュかまやつがいたことあったな。
何の変装もしてないであのままだったので一瞬ギョッとした。 14/10/9(石川浩司)

14/10/9の追記。そういえば緒方拳さんは、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」に最初にハラ軍曹役にオファーされていたんですよね。大河ドラマに出演とかでキャンセルになり、結局はビートたけしがその役を演じることになるわけですが。思えば、それ以来、以前だったら緒方拳がやるような犯罪者の役が、ビートたけしが演じるようになってしまい、1980年代以降の緒方拳は精彩を欠く印象もあるわけで、日本のショービジネス界に「戦メリ」が与えた影響ってけっこう大きいのだな、と思ったりもしました。  14/10/21(波照間エロマンガ島)

ちなみに坂本龍一の役は最初友川カズキさんにオファーがあったそうな。 14/10/21(石川浩司)

この話題「見かけた芸能人」、ミーハーな私は幼い頃から芸能人のいる空間の近くにいて、多くの芸能人を見てきたような気がします。まだまだ思い出そうとすればネタは出てくると思います。惜しむらくは、現在タイ在住なので、最近売れている日本の芸能人目撃情報がほとんどないこと。…これからもアナクロネタをばんばん投稿しますよーん。 14/11/2(波照間エロマンガ島)

  最近は田中角栄のモノマネしても半分くらいのお客さんはポッカーンだからね。
俺たちが子供の頃に影響受けた人なんて若い人が知る訳ないもんね。
逆に今のアイドルのモノマネしてもこっちが分からないしね。
こういうことではジェネレーション・ギャップを感じるねー。 14/11/2(石川浩司)

1980年9月頃、東海道新幹線の車中(東京〜新大阪間)で、女性漫才師の春やすこ・けいこさんを目撃しました。アイドルや芸能人をこきおろす毒舌漫才で知られていましたネ。でも、まだ全盛期ではなかったので、グリーン車ではなく普通車だったのが芸能界的ヒエラルキーを感じました。その時は、高校3年の試験休みで関西に旅行したのだと思います。 14/11/29(波照間エロマンガ島)

全盛期でもグリーン車に乗ったこと片手で数えられるほどしか無かったっす・・・。 14/11/29(石川浩司)

最近鬼籍に入られたジョニー大倉さんを20年くらい前に目黒の元競馬場で目撃しました。当時その界隈に住んでいた私は散歩していると、タクシー待ちしているジョニーさんを見かけたのでした。今から振り返ると元競馬場の近くに住んでいたと思われます。白いスーツに派手なアロハシャツをインナーに着込み、ロックンローラーらしいいでたちでした。あ、いつかFMの公開録音で、ジョニー大倉のライブを観たことあります。ジョニー大蔵大臣との競演を観てみたかったです。 14/12/12(波照間エロマンガ島)

うちの地元でもライブ最近やったらしいけど、お客さんほとんどいなかったという噂を聞いた・・・。 14/12/12(石川浩司)

学生の頃はよく公開録画やスタジオ観覧などで放送局に行っていたのですが、そこで感じた違和感は、芸能人がテレビ映り、テレビ栄えのためにする「ドーラン」という油性練りおしろいをしていること。テレビを観ている視聴者には普通に見えますが、収録現場ではその化粧の厚さにちょっと引いてしまうほどでした。最近はハイビジョンやデジタル放送など技術の進歩でテレビ用のメイクアップも変わってきているのでしょうけど、街中でテレビに出ている芸能人や文化人を目撃するたびに、「顔がどす黒いなー」と感じていた原因の一端は、このドーランのメイクアップによる印象もあるかもしれないと思ったものでした。  14/12/26(波照間エロマンガ島)

俺ですら塗られたものね。
「ドーランが無いと照明がテカってしまうのでお願いします」と言われて。
反論する理屈も持ち合わせていなかったので言われるがままになっておりましたー。  14/12/26(石川浩司)

東急東横線都立大学駅の駅前で小山田圭吾さんを見ました。私は柿の木坂から駒沢公園方面を散歩するのが好きで、日本にいる時分はよく歩いていたのですが、その日は散歩を終えて都立大学駅に着いた時に駅前の本屋さんの前で小山田さんを目撃。3秒くらい目が合いました。小山田さんの同級生と私が友人ということや、私の弟が小山田さんの軽音楽部の1年後輩ということや、小山田さんの担任の先生が私の母の親友であることなど話しかけようかと一瞬思いましたが、当然話しかける図々しさを持ち合わせるわけもなく、通り過ぎました。 14/12/31(波照間エロマンガ島)

俺なんていろんな場所で一般の人より有名人を見る機会は多いはずだが、なんせ顔覚えられない病なのでほとんど分からない。
まぁいちいち分かっても変な緊張するから嫌なんすが。 14/12/31(石川浩司)

西暦1984年5月4日夜、静岡県浜松市で行われた浜松まつりで、山車を引っ張って市中をまわる「練〔ね〕り」という伝統行事に参加した時のこと。休憩場所で唐十郎さんを目撃しました。樽酒を飲んで真っ赤な顔をして酔っ払って地元の人と談笑していました。唐さんというと、このときの情景と「噂の真相」かなにかの雑誌にすっぱ抜かれた、クルーザーの上で全裸で女性と2ショット写真がなぜか思い出されます。当時わたしは21歳の大学生で、友人の実家のある浜松に遠征し、まつりに参加したのでした。そのときの模様を書いたブログ記事はこちら。http://rive-gauche.jugem.jp/?eid=110#kara_juro  15/2/2(波照間エロマンガ島)

アングラでもクルーザーに乗れるような時代があったんだなー。
まぁ俺もフェスの会場まで出演者としてクルーザーで連れて行ってもらったことならギリあるけど。 15/2/2(石川浩司)

1989年頃、青山のコム・デ・ギャルソンのアトリエショップで陣内孝則さんを見かけました。たぶん結婚されたばかりでお若いモデルのような美しい奥様の服選びをソファーに腰掛けて退屈そうに待っていました。 当時私は就職3、4年目、いちばん洋服にお金をかけていた頃で、それで件の青山のショップに行っていたのでした。スーツやカジュアルの街着は、ほとんどコム・デ・ギャルソン、ジョルジオ・アルマーニ、ヒューゴ・ボスなど着ていたのですから、いかにバブリーで羽振りがよかったかわかりますね。笑ってしまいます。そこから転職しすこぶる貧しくなり、衣料品はユニクロ、ヨーカ堂、紳士服のコナカなどに転落するのに5年はかかりませんでしたが〔笑い〕。 15/4/3(波照間エロマンガ島)

俺はもう少し前のイベントでロッカーズ時代の陣内孝則観たことあるよ。
見事に客がいなかった。
俳優で成功して良かったな・・・。 15/4/3(石川浩司)

15/4/3の石川さん。あ、私もロッカーズは何回か観たことありますよー。陣内さんは俳優に転進してからはどちらかというと「二枚目半」というおどけたキャラクターで認知されましたが、当時は完全に「二枚目」の線でしたね。1980年前後は、福岡県からたくさんのバンドが上京して活動してましたね。こないだ鬼籍に入られたシーナ・ロケットさんのいたシーナ&ザ・ロケッツとかモッズなんかはよく見に行ってました。 15/4/9(波照間エロマンガ島)

めんたいロックね。福岡は九州の東京みたいなもんなのかな。ミュージシャンや芸能人多いよね。 15/4/9(石川浩司)

見かけたと言うか、TOMOVSKYさんにお会いしました。ビールを片手に、ハスキーボイス。不器用そうで優しい方でした。 15/4/16(ひのこ)

TOMOVSKYとはナゴムレコード時代からの付き合い。
セッションもやったなあ。
あとTOMOVSKYソロになる前のカステラも最高にご機嫌でよく聴いてたなあ。 15/4/16(石川浩司)

元女優・タレントで、現在ジャニーズ事務所代表取締役副社長の藤島ジュリー景子さんと会ったことがあります。彼女は当時15歳くらいで、「3年B組金八先生」やフジテレビのバラエティー番組に出演していました。当時は、彼女がまさか作家の藤島泰輔とメリー喜多川の娘だとは知るわけもなく、その後ジャニーズ事務所の後継者になるとは夢にも思いませんでした。人間の運命って不思議だと思いマス。どんなきっかけで運が変遷していくのかという。。。そういえば、その頃ふとしたことから知り合ったJ系の友人がいて、彼はS隊と同期でしたが、よく西麻布で遊んだのですが、Jの悪口大会でいつも盛り上がりました。  15/8/22(波照間エロマンガ島)

波照間エロマンガ島のまわりには特にそういう人が多い気がするな。
俺の小中高のクラスメイト等で有名になった人を俺は知らないなー。 15/8/22(石川浩司)

14/4/18の追記。そういえば、親しくさせてもらっている一回り上のお坊さんの友人Fさんがいるのですが、彼は高校時代、テリー伊藤さんの1年後輩で知己があったそうです。テリーさんは当時は応援団に所属し、武闘派で鳴らしていたとか。高校名は早稲田実業。 15/8/28(波照間エロマンガ島)

あの人も負けず嫌いっぽいものね。
「浅草橋ヤング用品店」の頃の画期的な様々な企画は大好きだったなー。 15/8/28(石川浩司)

15/8/28の石川さん。テリー伊藤さんがプロデュースした、テレビ東京の初期「浅草橋ヤング洋品店」の企画の過激さは群を抜いていましたね。私が覚えているのは「ヒッピーからヤッピーへ」という企画で、東京の何処とが言いませんが、路上生活者が多く住むエリアに行って、路上で生活しているおじさんに「ヤッピーになりませんか」とセレブリティーが着る高級紳士服を着せて変身させるという企画。これは差別的だと確か問題になったんじゃないかな。テリーさんが特殊漫画家の根本敬に近づいた時期で、根本さんの「人生解毒波止場」にはその企画が写真入りで紹介されており、今となっては貴重な資料たりえていると思います。
あとテリーさんがテレビディレクターから文化人へブレイクしたきっかけが「お笑い北朝鮮」という著書で、これもわたしはかなり面白く読みました。当時タブーだった北朝鮮を笑い飛ばし、茶化したという、のちの日本テレビの「ブラックワイドショー」などに受け継がれていく先鞭を打ち出していました。 15/8/31(波照間エロマンガ島)

「ヒッピーからヤッピーへ」面白かったねえ。
最近YouTubeで何のテレビ番組か分からないけどおぎやはぎが同じようなことしてた。「ホームレスに10万円を1時間で使えと言ったら何を買うか」これもなかなか面白かったね。
根本敬さんとはアマチュア時代一緒に何回かイベントやったなあ。 15/8/31(石川浩司)

バンコクのスーパーマーケットで買い物をしていると、テレビ番組のロケ中のオアシズの大久保佳代子さんを目撃しました。というか出会い頭にすれ違いました。びっくり! テレビで見るよりも美人だったので驚きました。その日インターネットで「大久保さんが1億円貯金をした」という記事を読んだばかりだったので、いっしゅん良からぬ想像をしてしまったことも事実です〔笑〕。 16/5/14(波照間エロマンガ島)

俺、元々大久保さんの顔好き。
いわゆる美人女優よりも全然グッと来る。 16/5/14(石川浩司)

見かけたのとは少し違いますが、大泉洋さんの映画にエキストラ出演した事があります。私はチビなので、大泉さんは背が高いなあと思いました。 16/7/1(猫のチップ)

この間山里亮太さんと共演して「でかい人だな」と思ったな。
いつもしずちゃんと一緒だと対比で小さく見えてたんだなぁ。 16/7/1(石川浩司)

会社の近所の蕎麦屋で「つのだ☆ひろ」さんを見かけました。
何度も見ているので、その蕎麦屋がお気に入りなんでしょうね。
その蕎麦屋には、石川さんのHPの出張ライブの案内に貼ってある出前の写真に似たような写真があります。
その蕎麦屋の店主の昔の写真で、TIMEだったか何かの海外の取材で撮ったらしいです。 16/8/23(邑楽)

♪つのだ☆ひろのメリー・ジェーン〜ヒットしたのはヒゲのせい〜(ヒゲのある暮らし/たま)
この曲の存在はバレないようにせんとな・・・。 16/8/23(石川浩司)

16/5/14の追記。この話を友人女性にしたら、なんとこの女性、大久保さんと以前同じ職場で働いていたとのこと!! OL時代の大久保さんは面倒見のよい部署のリーダーだったそうです。シンクロニシティーに驚きましただ。  16/11/7(波照間エロマンガ島)

頭いいのに顔が下品なのがエロいすな。好き。 16/11/7(石川浩司)

大久保さん見かけた方多いですね。
わたしの友人も、名古屋に遊びにいったときにロケ中の大久保さんに遭遇したそうです。
実物はやはりかなり綺麗だったそうで、「大久保さん、お綺麗ですね!」と声をかけたところ、「そう。わたしあんたのこと好きよ」と言ってもらえたらしいです。 16/11/19(ひのこ)

まぁ、趣味の世界の美人だね・・・。俺は好き。 16/11/19(石川浩司)

16/8/23の石川さん。1990年元旦に日本武道館で行なわれた「第1回輝く!日本イカ天大賞」。テレビで放映されたのをリアルタイムで視聴しました。
そのイベントで印象に残ったのが、見事第1回イカ天大賞を受賞、「さよなら人類」を演奏する石川さんのすぐ後ろに、多くの当日出演者とともにつのだ☆ひろさんが旗かなんか振っている映像が記憶に残っています。それを見てわたしは「あーなるほど、たまは、つのだ☆ひろのような日本のプロのミュージシャンにも認められているのだなー」という感想をもちました。という今から26年前の思い出でした。 16/11/19(波照間エロマンガ島)

後ろを見る余裕はなかったな〜。 16/11/19(石川浩司)

普段ぼんやりしながら歩いているので目の前に芸能人がいても気づかない人なの ですが、以前新宿の街を歩いていたら、隣にいた旦那が「あ、美輪さんだ!」と言った。
目の前を、レトロでオシャレな車が、ゆっくりと通過しながらUターンする所 だった。
運転席には、真っ黄色ヘアーの美輪明宏さんが座っていた。
私は元々、美輪さんのファンなのでとても嬉しかった。 16/12/3(7月4日の蟻)

俺もお話はしたことないが同じテレビ番組の収録ですれ違ったことがある。
やはりオーラが凄かったなぁ〜。 16/12/3(石川浩司)

16/12/3の7月4日の蟻さん、石川さん。1984年頃、渋谷の丸井の裏にあった輸入専門のレンタルビデオ屋さんでビデオを物色していると、とつぜん美輪さんが入ってきて「グレタ・ガルボのビデオはあるかしら?」って店員に尋ねたことを覚えています。そのとき狭い店内には美輪さん、わたくし、店員さんの3人しかいませんでした。オーラがすごすぎて転倒しそうになりました。  16/12/10(波照間エロマンガ島)

周りの人がどんどん転倒していったらドリフだね。  16/12/10(石川浩司)

15/4/9と16/12/10の追記。そういえば当時ザ・ロッカーズの陣内さんのMCで今も覚えているのは、メンバー紹介のときにギターの鶴川仁美さんのことを「美輪明宏の再来と言われた男」と紹介していたこと。当時は金髪でユニセックスな雰囲気を漂わせていた20代前半の美少年だったんですね。今Googleで画像検索すると、当然のごとく50代後半のくたびれたオッサンが何枚もヒットされてきました。現在も元気に活動されているようです。 16/12/26(波照間エロマンガ島)

まぁ本人が別に美輪明宏の再来になろうと思ってるのでなければねぇ。 16/12/26(石川浩司)

テレビのロケを除くと、新宿駅埼京線ホームで林家ペーさん。
もっと何人ものタレントさんとすれ違っているのでしょうけど、パッと名前が出てこないのですれ違っていても「似ている人がいるなあ」程度にしか分かりません。
ロケだったら、明大前駅で、ちい散歩の地井さんを見たことがあります。スタッフが4人くらいで同じジャンパーを着ていて、商店街の人が「ちいさーん」と声をかけたら、「よおっ」という感じで片手をあげて応えていたのが凄い印象に残っています。 17/1/30(わいわい)

ああいうの「ひとりでぶらりと歩いている感」を出してるけど実際は結構大人数の撮影隊で歩いているのが現実だからね。
なので実は演技も必要なんだよね。 17/1/30(石川浩司)

今から25年くらい前、自宅近所の目黒通り沿いのオープンカフェで工藤夕貴さんを目撃しました。まだアイドル時代でハリウッドに渡る前かな。ゴールデンレトリバーのような大きなイヌを近くに座らせてスムーチーのようなジュースを飲んでいました。
すぐに思ったのが「あれ、父親の演歌歌手の井沢八郎は八王子に住んでいるはずなのに、娘の工藤夕貴は目黒に住んでいるのか。別居しているんだな」ということでした。あとで調べてみると当時井沢八郎は工藤夕貴と同じ世代の16歳のデートクラブ嬢と淫行、そのほか隠し子の存在も発覚して夫人と離婚した、とありました。あったなー、そんなスキャンダル!とわたしは思い出し、工藤夕貴の可哀想な生い立ちに同情しました。
1989年ジム・ジャームッシュ監督作品「ミステリー・トレイン」での体当たり演技は今も記憶に残っています。好きな女優さんです。 17/4/3(波照間エロマンガ島)

台風クラブも好きだったな〜。 17/4/3(石川浩司)

忘れもしない、滝本さんのライブに石川さんがゲスト出演された日。

吉祥寺のマンダラ2の店の前で待っているときに、手前の店の角から出てきた「ジョージフェアリー(吉祥寺の妖精)」こと楳図かずお先生をお見かけしました。しましまの服を着ていて一発で分かりましたが、楳図先生の本は一度も読んだことがなかったので、声をかける勇気はありませんでした。 17/5/16(Sankaku)

吉祥寺では目撃情報多いね。
俺はなるべく人の顔を見ない様に歩いているのでまだ会ったことはない。 17/5/16(石川浩司)

1979年といえば私が高校2年生だった頃ですが、ある日港区赤坂界隈を歩いていると、当時第1シリーズ放送中の「3年B組金八先生」主演の武田鉄矢さんが役柄と同じグレーのスーツにショルダーバッグをたすきにかけて歩いているのを目撃しました。わたしはもしかしたら望遠でどこか遠くの場所から歩いている武田さんをアップで撮ってるのかな、とまわりをきょろきょろ見回しましたが、カメラは発見できませんでした。衣裳を着たまま帰宅したのかな、なんて想像しました。 17/10/12(波照間エロマンガ島)

俺はランニングシャツで家に帰ることはないなあ。 17/10/12(石川浩司)

1979年頃、楽器大好きだった17歳のわたしは、毎日のように渋谷や御茶ノ水の楽器屋に出入りして、ただでシンセサイザーやギターやベースギターなどを触ったり試し弾きする少年でした。その日は友人と渋谷道玄坂のヤマハに行き、いつものように楽器売り場で長時間過ごしたあと、ビルの上階にあったLMスタジオにふらりと行きました。なにげなくある練習スタジオの入り口の防音扉の丸いガラスから中をふっと見ると、いたんです!!リハーサル中のサザン・オールスターズが!しかも桑田佳祐と目が合ってしまいました。当時もうすでにビクターからメジャーデビューしている有名人だった桑田さんは不機嫌そうな表情でこちらを見たので、逃げるようにその場を離れました。
この体験をすぐに当時放送していた桑田佳祐の「オールナイトニッポン」に投稿したら運良く桑田さんにOA中に読まれるという体験までしました。以上、サザン・オールスターズの桑田さんを渋谷のヤマハ音楽スタジオで見かけたの巻きでした。 18/1/27(波照間エロマンガ島)

千駄ヶ谷のビクタースタジオをレコーディングの期間は半年ぐらい押さえっぱなしという噂も聞いたなあ。 18/1/27(石川浩司)

18/1/27の石川さん。そのビクタースタジオのすぐそばにある、お寺の墓所の真下を通る千駄ヶ谷トンネルは、心霊スポットとして有名ですねー。

何ヶ月か前に「初体験」に20代前半クラブで遊びまくっていた時代プロのカメラマンに写真を撮ってもらい、雑誌のグラビアページに出たネタを投稿しましたが、そのカメラマンのスタジオがこの千駄ヶ谷トンネルのビクタースタジオの反対側の原宿よりの出口近くにありました。鈍感なわたしは心霊体験をしたことはありませんが、昔からこのトンネルをめぐる怪異談はよく耳にしましたよー。 18/4/3(波照間エロマンガ島)

ああ、俺も聞いたけど鈍感なので気づいたことない。
昔はあまりに気付かなくて霊にむかつかれたほど(詳しくはこのホームページの「『たま』という船に乗っていた」を読んでくださいな〜)。 18/4/3(石川浩司)

1980年代半ば、新宿駅西口交番前で人と待ち合わせしている井出らっきょさんをよく目撃しました。それが午前3時とか午前4時とかとんでもない時間帯が多く、あれはテレクラで女性を引っ掛け待ち合わせしているのではないか、と推測していました。そのことを思い出したのは、昨今話題になったオフィス北野分裂騒動で井出らっきょさんの去就をめぐってのニュースを見てからですね。いい落としどころが見つかって円満解決すればよいのですが。 18/4/12(波照間エロマンガ島)

FBで水道橋博士やグレート義太夫さんと友達なのでそこら辺も心配。 18/4/12(石川浩司)

17/4/3の追記。そういえばこの「ミステリー・トレイン」は、テネシー州メンフィスのホテルを舞台に3組の登場人物のそれぞれの24時間を描いたオムニバス映画なのですが、第1話「Far From Yokohama」で永瀬正敏と工藤夕貴の日本人旅行者カップルが登場しました。永瀬は「メンフィス駅は駅舎が横浜駅よりクールだぜ」と言う科白があったのですが、「横浜駅は駅ビルはあるけど駅舎なんかないだろ!」と映画を観ながら画面に心の中でツッコミを入れたことを覚えています。監督のジム・ジャームッシュは冗談でこの科白を作ったのかな、とうがった見方もしてしまいました。 18/5/19(波照間エロマンガ島)

そういえば最近は大きな駅はどこも駅ビルになっちゃって「駅舎」という感じじゃなくなっちゃったね。ふむふむ。 18/5/19(石川浩司)

18/4/12の追記。新宿西口交番で思い出したのですが、そのすぐ近くの新宿スバルビルの地下1階に「新宿の目」という壁面オブジェがあり、よく待ちあわせに利用しました。最近ニヒル牛作家さんの知り合いから新宿スバルビルが取り壊されることを聞き、この「新宿の目」も撤去されることを知り、ちょっと残念な気持ちになりました。あ、「新宿の目」の前に立つと気圧の関係かいつもなぜか耳鳴りが激しく襲いいつも不快な気持ちになったことを今思い出しました。ご経験のある方、いらっしゃいますでしょうか。 19/1/12(波照間エロマンガ島)

その経験はないけど、なかなか不気味な目印だったよね。
嫌いじゃなかったな。 19/1/12(石川浩司)

16/11/19の追記。そういえば大学時代の友人が西新宿に実家があって、すぐ近所につのだじろうの弟がやってる美容院があり、当時よく髪を切りに行っていたという話を聞いたことがあります。西新宿界隈では、兄のつのだじろう、弟のつのだ☆ひろと並んで、つのだ3兄弟として有名なのだとか。

ということを思い出し、今確認のためにググってみると、つのだじろうは8人兄弟の次男でつのだ☆ひろは末弟なのだとか。3人兄弟どころか8人兄弟だったとですかー! ウルトラ兄弟みたいですね。ちなみにうちの祖父の家もその近所にありました。十二社特飲街では「遊び人のしんさん」として勇名をはせたとか。これはどこかに書いたかな。 19/2/15(波照間エロマンガ島)

長男は民族音楽ミュージシャンとして有名だよー。 19/2/15(石川浩司)

芸能人センサーが付いているのかと思うほどいろんな方を街中でお見かけします。某所でDAIGOさんを見た時はあまりのかっこよさにポーっと見とれてしまいました。新大阪駅で川原亜矢子さんをお見かけした時は妖精かと思うほど透明感があるオーラに圧倒されました。枚挙に暇がないのでここらでやめておきますが、何度もお見かけするのが川平慈英さん。多分ご近所さんなのでしょう、コンビニとかドラッグストアで頻繁に遭遇します。 19/2/15(美月)

埼玉ではまず見かけないな〜。さすが東京。 19/2/15(石川浩司)

2018年の後半でしょうか。
芸能人とはちょっと違いますが、ニヒル牛の店員もやっていらっしゃる美術家の島田あつしさんが、私の勤めているリサイクルショップ 19/4/2(所沢)にいらっしゃいました。後姿が似ているなと思ったらご本人でした。
そういえばあるさんのお母様(おかやん)も私の勤めている喫茶店に来てくれたことがあったそうです。
その時はあいにく私は外に出かけていました。私の上司たちがおかやんと何となく似ている人たちだったので一度会ってみてほしいと思い、おかやんにニヒル牛2でその喫茶店をお教えしました。私の所長がおかやんを道案内して差し上げたそうです。 19/4/2(Sankaku)

その話、聞いた。おかやんは、君に会いにいったんだよ。 19/4/2(石川浩司)

勤めていた会社の関連会社が東銀座の歌舞伎座の裏にあり、界隈には松竹関係の施設が多くある関係で、おつかいで出向くとよく歌舞伎俳優さんを目撃しました。いちばん気分が盛り上がったのが坂東玉三郎さんを見かけたときです。今から20年くらい前だから50歳手前くらいの頃なのかな。実年齢よりずっと若く見えました。そんな想い出。 19/4/19(波照間エロマンガ島)

最近俺が住む町に相撲部屋ができたので、しょっちゅう関取を見るなぁ。 19/4/19(石川浩司)

祖母がキンタロー。をATMで見たと言っています。あんな顔のデカイ子はキンタロー。しかいないわ!と・・・キンタロー。さんごめんなさい 19/5/2(おにぎりたろう)

片桐はいりさんかも。 19/5/2(石川浩司)

19/4/19の石川さん。わたしも相撲部屋のすぐ近くに住んでいたことがあります。お相撲さんの鬢付け油の匂いが付近に漂っていませんか? 19/5/12(波照間エロマンガ島)

今度鼻をくっつけてみます。 19/5/12(石川浩司)

19/5/2の石川さん。昭和時代の終わり、待ち合わせに遅れてきた片桐はいりさんを目撃したことがあります。わたしも待ち合わせで友人を待っていたのですが、その場所に片桐はいりさんが向こうからやってきてわたしのすぐ隣にいる女性に向かい右手を立てて「遅れてごめん」というポーズをとってきたのです。わたしに謝られたようでかなりびっくりしました。ちなみ片桐さんは、ほぼテレビや映画のイメージどおりの姿かたちをしていました。そんな思い出。 19/6/15(波照間エロマンガ島)

本物の顔はこぶし大に小さかったらそれはそれで怖いね。 19/6/15(石川浩司)

20代の頃ですが、大きな駅の中にあるCD屋でバイトしてました。
新幹線の改札から近い店だったので、よく芸能人が通ったりCDを買ってくれたりしてましたが、山崎邦正(当時)さんが山崎まさよしのCDを買ってた時は少しクスッとしました。 19/9/1(KPC)

ははは。山崎邦正さんはテレビで何度か一緒したけど優しかったなあ。 19/9/1(石川浩司)

十代目 桂文治師匠〔1924-2004〕。東京メトロ有楽町線の車内で何度かお見かけしました。1960年代の演芸ブームに乗って売れた落語家で、わたしが幼稚園から小学校低学年時に初めて識別した落語家でした〔当時の名前は二代目 桂 伸治〕。わたしは日本テレビの「笑点」よりもNETテレビの寄席番組のほうを好んで視聴しており、そこに出ていた桂 伸治師匠の大喜利の珍回答が大好きで、生まれて最初に好きになった落語家のひとりでした。

大人になり寄席に通うようになってからは、師匠の噺の中では「堀の内」という演目が好きでした。そそっかしい性格を改めるよう杉並・堀の内の妙法寺にお参りに行くよう妻に勧められた熊五郎が、行く先々でとんでもない騒動を引き起こすという古典落語の演目で、師匠が演じると爆笑の連続で心底江戸時代に引き込まれるんです。絶品でした。

晩年寄席へ通勤する西武新宿線の中では、足を投げ出して座っている迷惑な乗客に説教をしているのを沿線の女子学生に目撃される姿が「ラッキーおじいちゃん」という名前で呼ばれ、文治師匠を見ると一日いいことが起きるという、都市伝説化した存在とも言われていました。〔神田松之丞・談〕

そんな見かけた芸能人、桂 文治師匠の想い出でした。 20/1/21(波照間エロマンガ島)

落語家のことはあまり詳しくないが、うまい噺家は本当にその時代に連れて行ってくれるよね。歴史の教科書には載らない、庶民の生活の中へ。 20/1/21(石川浩司)

以前、「愛車遍歴」という番組を見ていたときに急に思い出したこと。 昔、目黒通りの油面か清水あたりの下り交差点で信号待ちしていると、ふと横の車を見るとそれが黄色いベンツで、なんと藤竜也が運転してたの! その車って、「愛車遍歴」リストで紹介されてるかなと見てると「あった!」 1984~98年まで乗っていたメルセデスベンツ280SE だ! その次にのったS320は盗難に遭ってしまったことまでカミングアウトしていた。 藤竜也はフリートークがすっとぼけていて良いな。こないだ見た同番組のミッキー・カーチスにも通ずるものを感じた。もちろん「愛車遍歴」はおぎやはぎの番組の中でいちばん好き。

そんなわけで見かけた有名人、黄色いベンツに乗る藤竜也の巻きでした。 20/5/24(波照間エロマンガ島)

車の中の人にまでよく気づくね~。好奇心旺盛のなせる技かもね。 20/5/24(石川浩司)

20代ある年のクリスマスの夜、都心の地下鉄駅のホームにフジテレビの某女性アナウンサーがひとりで電車待ちで立っているのを友人が発見しました。
「あれはこの世でいちばん寂しい女子アナだろうな」と彼奴が言った一言が印象的でした。野郎ふたりでつるんでクリスマスで歩いているおれらも人のこと言えるか、と思いましたがね。 20/7/14(波照間エロマンガ島)

その後、豪勢なパーティに行ったかも!? 20/7/14(石川浩司)

今から10年ちょっと前、東京メトロ銀座線の車中で映画・音楽評論家の今野雄二さんを見かけました。今野さんといえば1970~80年代、日本テレビ「11PM」水曜日にレギュラー出演し、司会の愛川欽也さんから「コンちゃん」のニックネームで呼ばれ、音楽・映画などサブカルチャー関連をたくさん紹介してもらった人です。また東京12チャンネルの「空飛ぶモンティ・パイソン」という、モンティ・パイソンを紹介する番組にも司会者として出演していました。2010年に66歳で首吊り自殺したのでわたしが目撃したのはその少し前だったのかな。

さて、わたしが驚いたのは今野さんの風体でした。ホワイトカラーのジージャンを着てオシャレないでたちだったのですが、髪と眉毛が真っ白で、異常に老け込んでいたこと。それが年相応の老け方ではなく、まるで漫画「AKIRA」に出てくる8歳で成長が止まり老化だけが進行した「ナンバーズ」の子供のような印象だったのです!あれはびっくりしました。そんな見かけた芸能人、今野雄二さんでした。 20/8/18(波照間エロマンガ島)

60歳くらいって、完全なるお爺ちゃんになる人もいれば、まだ青年の印象を残してる人もいるよね。
完全なるお爺ちゃんを長くやっていた印象のある高田渡さんが、56歳で亡くなったのってなんか信じられない。 20/8/18(石川浩司)

下北沢のライブハウス・Leteでのあかね・うつおさんのライブにロケット・マツさんがいらしたことがありました。
なぜか、マツさんを見ると心がなじんだというか、親近感を覚えました。

パスカルズの音楽にハマることを予見したような出来事でした。 20/9/12(Sankaku)

マツさんが一般的な芸能人かどうかは微妙だね。どこまでのミュージシャンが芸能人なんだろうね。例えばクラシックの大勢のオーケストラの中にいるひとりの人は、ある人にとってはスターかもしれないけど、一般的に言えば芸能はしているが芸能人とは言われないだろうからね。 20/9/12(石川浩司)

それは、コンビニ店員時代、私は鼻水がズルズルでした。
ふと、お客さんが
「風邪ですか?」と尋ねてきたので「はい、満性鼻炎です」
と答えると「お大事に」と言って会計をすませていきました。
ふと顔をみると、たまのメンバー 20/10/4(誰かは内緒)でした。

ビックリしました。 20/10/4(ズミ天)

たぶんあの人だなと思うけど俺も伏せておこう。店員に声をかけるような人はひとりしかいない。 20/10/4(石川浩司)

20/9/12の石川さん。「ほんそれ!」ということで

>例えばクラシックの大勢のオーケストラの中にいるひとりの人は、ある人にとってはスターかもしれないけど…

母の親友のお嬢さんが某オーケストラの正式座員のバイオリニストで、よくテレビ番組に映っていました。母がクラシック好きなもので「あ、○○ちゃん出てる出てる」と言ってよく彼女の所属しているオーケストラ演奏のテレビを観ていました。その女性はわたしと同年輩だったのですが、20代の頃知らぬうちに見合いさせられそうになった相手でした。わたしにとっては芸能人でもなんでもなく、ただの知り合いの「芸能はしているが芸能人ではない」人でした。 20/10/17(波照間エロマンガ島)

そうなんだよね。逆にロス疑惑の三浦和義なんて(多少の子役経験はあっても)推定犯罪者なのにテレビに出まくって完全に芸能人だったよね。 20/10/17(石川浩司)

1980年代後半、世の中バブル期でマハラジャ、Jトリップバー渋谷、ジュリアナ東京、芝浦ゴールド、トゥーリアなど大集客ディスコがあちこちに出来、それらへ出逢いをもとめてわたしは足しげくかよっていました。そこでよく見かけたのが当時落語家でTVタレントだった四代目桂三木助〔1957-2001〕。わたくし個人的には大嫌いな人間でした。落語は下手でただ名人の息子というブランドだけで夜の街でぶいぶい言わせているだけの輩、とわたしには見えました。上記のディスコの入り口付近で知り合いの黒服のスタッフに「今日はどう?」なんて聞いている姿をよく覚えています。結局桂三木助は落語家として飛躍できず、人生に行き詰まり自死してしまうのですが、名人の息子が必ずしも名人ではなかった、という芸事の悲劇を思い起こさせてくれる一例でした。古今亭志ん生と志ん朝親子の2代で名人というのは本当に奇跡的な事例で、これからもなかなか登場しないのではないかと思います。 20/10/17(波照間エロマンガ島)

隔世遺伝だからねぇ。大谷の孫はホルモン鉄道を継いでほしい。伝統芸能のように...。 20/10/17(石川浩司)

土地柄、峰竜太が来がちです。
グリムスパンキーの松尾レミちゃんは隣村の出身ですが、当然見かけたことはありません。 20/10/17(キット)

半引退した芸能人で地方暮らししている人も結構いるよね。
そこそこ社交的に地域の人と付き合っている人と、ほぼ地元の人と一切絡まない人がいるよね。 20/10/17(石川浩司)

2009年、東京の青山葬儀場で行われた忌野清志郎さんのお別れ会で、弔辞を送った人の名前が墓前にリストアップされていました。
ビートたけしさんや、パンクバンドのロリータ18号・石坂マサヨさんは名前を覚えていますが、意外だったのは山下達郎さん。
清志郎さんとどう接点があったのか分かりませんでした。 20/12/12(Sankaku)

音楽界は意外な繋がりもあるのよねん。
俺もまさかジャズや民族音楽、果てはアイドルと繋がりができるなんて思ってもいなかったもんね。 20/12/12(石川浩司)

コンビニであご勇さんを、みかけたことがあります。にこやかな方でした 20/12/26(ズミ天)

実はあご勇さんとはFBで友達なんす〜。向こうから申請があったのれす。 20/12/26(石川浩司)

17/5/16の続き
最初に楳図かずお 先生を見かけた数か月後にも、吉祥寺でイベントがあり、ライブハウスの前で待っていると、再び楳図先生をお見掛けしました。
15年以上も前、ある深夜番組に楳図先生がメインゲストで出演されたものは、録画したことがあります。
楳図先生に軽く「こんにちは」と声を掛けたら、向こうも軽く頭を下げてくれました。 21/3/1(Sankaku)

吉祥寺では発見情報多いね。あの独特のシャツのまま歩いてるらしいから、わかりやすいんだろーね。 21/3/1(石川浩司)

1年ほど前ですが、電車の中で吉野大作さんと思われる方を見かけました。サングラスだったのではっきりと断言はできないのですが、そのサングラス姿がまさに!だったのでついついチラ見をしてしまいました。  2021/3/26(美月)

それは声をかけてみてほしかったなあ。吉野大作さん主催のライブとかにも呼ばれて出たなあ。確か国語の教師でもあるんだよね。  2021/3/26(石川浩司)

そういえば麻布十番で亡き志村けんさんを見かけたことを思い出しました。あれはいつごろだったろう?1990年代かな。
一時期麻布十番に所用で行くことがあって、よく商店街を歩いていて何度か志村さんを見かけたのですが、完全に風景に溶け込んでいましたね。まったくあのまんまのイメージなんだけど、地元の人は気づいているのにそっとしておくような感じでした。あ、そうだ、当時はまだ地下鉄南北線の開通以前で、麻布十番の街って昭和の雰囲気漂う「陸の孤島」だったんですよ。だもんだから、芸能人が多く棲息していても、あまり外部の人間が来ないから、目立たなかったのかもしれないかも。東京観光に来た地方人がたどりつけない場所だったんでしょうね。都営バスしかアクセス方法がなかった記憶があります。わたしは麻布十番へはたいてい渋谷方面から都営バスかタクシーで行っていたかな。地下鉄の最寄駅は六本木で、徒歩で20分くらい。かなり遠い。鳥居坂を上り下りしてました。今は雰囲気変わっているんだろうな。 2021/4/29(波照間エロマンガ島)

俺はたぶん一度も行ったことないなー、麻布十番。 2021/4/29(石川浩司)

過去の日記を読んでいると、勤めていた銀座の会社のすぐ近くで女優の大河内奈々子さんを目撃したと書いてあり、そのときのことを思い出しました。身長が170センチ近くあるモデル体型で、なおかつびっくりするほど小顔だったのです。わたしが見かけた芸能人でバランスを逸するほど小顔だと感じたのは、大河内奈々子さん、宮崎美子さん、小泉今日子さんの3人ですね。そんな小顔芸能人を見たという話。 2021/7/4(波照間エロマンガ島)

岩崎宏美がイメージでは大柄だったのに、すごく小さくて驚いたなあ。
あと安倍なつみさんの顔も異常に小さかったなー。 2021/7/4(石川浩司)

1990年頃、東京の国立駅近くを歩いていると、自転車に乗った竹中直人さんを目撃しました。当時竹中さんは元アイドルタレントの木之内みどりさんとの仲が噂されていた頃で、「あ、自転車に乗ってこれから木之内みどりの家に行くんだな」と根拠もなく思ったことを覚えています。木之内みどりさんがアイドル歌手だったのはわたしが高校生の1979年頃ですからそのときは引退して10年以上経ち、その間ミュージシャンの後藤次利さんとの結婚・離婚をして完全に第一線を退いていたので、ゴシップ報道が流れたときは怪訝に思ったものです。しかしその頃から30年以上経ち、今に至るまで私生活についての報道がされないので、おそらくは夫婦生活はうまくいっているのだと思われます。
竹中さんはわたしの出身大学の5年くらい先輩でその武勇伝エピソードはいろいろ残っていました。大学から八王子駅まで往復するスクールバスの中で、マイクを使って毎日物まねのワンマンショーを行なって非常にウケていたというのは聞いたことがあります。わたしの同級生が映像演出研究会で竹中さんの何代かあとの部長だったのでそこからも情報を聞きました。そんな見かけた芸能人、竹中直人の話。 2021/10/15(波照間エロマンガ島)

竹中直人さん編集の「無能の人のススメ」というつげ義春関係の本に寄稿した縁で、竹中さんが監督した映画の試写会と打ち上げに出た。
なんかすっごい高級車で帰って行ったなあ。 2021/10/15(石川浩司)

1988年頃、出張で北陸地方へ行った帰り、たしか福井空港の搭乗ゲート前で東京行きの旅客機への搭乗を待っていると、女性アイドルの芳本美代子さん〔1969年生まれ、1985年歌手デビュー〕を見かけました。その日は日曜日だったので地方での営業だと思われました。というのは芳本さんのほかにもバックバンドのメンバーとおぼしき小型楽器ケースをもつ数人のミュージシャンらしき人物を見かけたからです。そして非常に驚いたのは、芳本さんはその中のひとりに手書きの手紙を渡す決定的シーンをわたしは目撃してしまいました。ぜったいにラブレターだと確信しました。手紙を渡すとすっと別の場所に行ってしまったところなどそんな強度を感じました。しかしながら、芳本さんは1996年に俳優の金山一彦さんと結婚したので〔のちに離婚〕、そのラブレターの相手との恋は実らなかったものと想像します、しらんけど。 2021/12/4(波照間エロマンガ島)

芳本美代子さん、歯が好きだったのに抜いちゃってガッカリ。 2021/12/4(石川浩司)

塩田丸男〔1924年生まれ〕。評論家、TVコメンテーター。1990年頃よく自由が丘で見かけた。テレビに出演するときはスーツ姿だったが、街中ではド派手なアロハシャツを着て悪目立ちしていた。そういえば最近見ないなと思って調べてみると、「1995年にフジテレビのワイドショー『おはようナイスデイ』に出演時に、NHKの連続テレビ小説の『春よ来い!』を途中降板した安田成美の降板問題に対して行なった発言で、出演していた全てのテレビ番組から降板する事態になった」とある。えー、私はこの事件はつい15年くらい前の最近の出来事の印象があったのだが、もう27年近く経っているんだね。しかも2022年2月現在、97歳で存命中。そんな塩田丸男を見かけたことを思い出したので投稿してみました。 2022/2/6(波照間エロマンガ島)

えー、なんかもうとっくに亡くなってると思ってた。テレビに出てたそこそこの歳の人を見かけなくなると、勝手に亡くなったと思っちゃうのかもね。
あっ、俺も死んでると思われてるか! 2022/2/6(石川浩司)

19/9/1の投稿に続く、CD屋バイトの小ネタ思い出箇条書き。

・「ガッツだぜ!」が売れた直後のウルフルズ一同が、新幹線の改札目がけて全力疾走していくさまを目撃。
・シングライクトーキングの人が自分のCDを手に取って「これ売れてる?」と聞いてきた。
・売れる前の藤原紀香がユーミンか安室のCDを買いにきた。よくわからないけど領収書を自分が書いて興奮した。
・よりによって自分が休みの日に黒夢がプロモーションに来た。 2022/2/6(KPC)

昔芝居で一緒だったユースケ・サンタマリアくんが「CDショップの店員バイトをしていた時、よくたまのCD売りましたよ」と言ってくれたなあ。 2022/2/6(石川浩司)

2022年2月1日に他界した石原慎太郎氏宅の玄関先にて行われた令息四兄弟の会見を見て思い出したこと。私は長男の伸晃氏を西荻窪のミスタードーナツで見かけたことがあったのだ。日記を探してみると下記の記述が見つかった。

今さっき、西荻窪のミスタードーナッツで友人を待っていたら、石原伸晃衆議院議員を目撃。秘書風の男と一緒にドーナツを食べていた。〔1997年9月3日の日記より〕

西荻窪にミスタードーナツなんかあったかなと検索すると、2004年2月29日に閉店したとの由。確か伸晃氏は西荻周辺が地盤だったんだよな。今となっては西荻にミスタードーナツがあったことなど誰も覚えてないだろうけど、そこで1997年に私は石原伸晃がドーナツを食べていたことを目撃したことは覚えていたのでした。 2022/2/14(波照間エロマンガ島)

そうか、ニヒル牛が開店した頃はまだあったんだね。記憶にないなあ。もちろん石原某も見たことない。駅前のラーメンの名店「いしはら」って何か関係あるのかな? 2022/2/14(石川浩司)

先日投稿した石原伸晃さん同様に芸能人ではなくて恐縮ですが、プロレスラーのジャンボ鶴田を1981年成城大学の学園祭で目撃しました。その時鶴田さんは全日本プロレスのジャージを着てお付きの後輩レスラー風の人とキャンパスをニコニコしながら歩いてました。私はその爽やかなお坊ちゃんのような笑顔から、そのとき何故かジャンボ鶴田は成城大学OBと刷り込まれて記憶したのですが、後から調べると中央大学法学部出身と知り、驚いたことを覚えています。
ジャンボ鶴田はそれほどプロレス好きでなかった私でも気になるプロレスラーで、早くして病気で亡くなったことは本当に残念でなりませんでした。 2022/2/28(波照間エロマンガ島)

芸能人と著名人の差って難しいよね。プロレスラーやミュージシャンでもタレントとそうじゃない人がいるしね。 2022/2/28(石川浩司)

14/8/31の追記。西新宿の三省堂ビルの前でお見かけした漫画家の藤子不二雄Aさんが2022年4月7日、ご逝去されました。享年88歳。Aさんの幻の作品「狂人軍」をいつか読んでみたいわたしでした。ご冥福をお祈りします。 2022/4/18(波照間エロマンガ島)

今ネットで連載中の「『たま』という船に乗っていた」もA先生リスペクトテイストだしね。
「狂人軍」読んでみたい! 2022/4/18(石川浩司)

以前中野新橋に住んでいたので、松村邦洋など太田プロ所属の芸人やたけし軍団の2軍構成員をよく目撃しました。今も昔も中野坂上以西の丸の内線沿線は、売れない若手芸人の巣窟のようなイメージがありますね。お笑い系芸能プロダクションも多いですし。 2022/12/23(波照間エロマンガ島)

中央線沿線より、さらに家賃が安いイメージだものねえ。 2022/12/23(石川浩司)

2022年12月、行きつけの中華料理屋に行ったら、テレビの収録が来ていました。〈TBS〉
有名なお笑い芸人や、有名ドラマに出ていた女性タレントなどがいました。このお店にはテレビの収録と縁があり、これまでもいくつかの番組や映画に使われていた事があったそうです。

しかし、女性タレントの顔は綺麗だったけれど、嫌に白くて〈最近の美白ブームか〉、それほど感銘は受けませんでした。化粧が上手いだけでは、本当の美しさには届きません。
収録スタッフたちも良い人たちで、タレントがいた時には店の中も賑わっていたけれど、彼らが撤収した後の静かな感じはやはり落ち着きました。  2023/2/16(Sankaku)

ニヒル牛もたまに取材で芸能人来るけどね。有吉弘行、バイきんぐ、さまぁ~ず、高田純次、石塚英彦などなど。
妻は佐藤栞里ちゃんがかわいくてとても良い子だった、と言ってたな。 2023/2/16(石川浩司)

むかし東京都中央区銀座8丁目に職場があったのですが、昭和通りの銀座7丁目と8丁目の間の大型歩道橋でテレビ番組のロケが行われていてよく芸能人を見かけました。TBSの金曜ドラマ「ケイゾク」出演中の渡部篤郎さんとそこですれ違ったことを思い出しました。それは渡部さんのスーツのパンツの丈が短く白い靴下が見えたので「ケイゾク」と認識。とするとあれは1999年だったのか。 2023/5/13(波照間エロマンガ島)

俺もランニングシャツで雑誌の路上取材とかしてると気づかれるが、時にはその場では「気づかれてないな」と思うものの、ツイッター等で「〇〇でたまのランニングの奴見た」とか書かれて「ああ、あの時...!」と思うこともある。 2023/5/13(石川浩司)

JR中央線上りの国立駅ホームにて目撃した、クールスのギタリスト、ジェームス藤木氏。
あれは30年くらい前だったか。国立のライブハウスでのライブの帰りだと思う、ソフトギターケースを背負って電車を待ってました。藤木さんは横浜に住んでた頃関内駅でもよく見かけましたし、頻繁に見かける芸能人の一人でありました。

クールス時代の若かりし横山剣さんにブーツにメチャクチャたくさんの酒を入れ「闇カクテル」強制一気飲みさせ、横山剣を酒の飲めない身体にしてしまった事件を聞いてドン引きしたのは、のちに聞いた話。不良中年過ぎる!怖っ! 2023/6/2(波照間エロマンガ島)

ミュージシャン界に怖い先輩いなくて良かった。先輩みんな優しいです。 2023/6/2(石川浩司)

もう時効だから言ってしまおう
私の勤めてたリサイクルショップに〇〇〇氏がご来店
三味線を買って帰りました。

私はパッと顔がわかったのですが 声をかけられませんでした。
びっくりしたお客さんの一人です。 2023/8/14(ズミ天)

へー、その後弾いてるのかな。ライブはともかく、レコーディングとかで使ってそう。2023/8/14(石川浩司)

自分が店にいて客として見かけたんだったらまだしも、スタッフで勤めてたんだったら守秘義務は永遠にあるでしょうよ。誰が時効を決めたの? 2023/11/30(波照間エロマンガ島)

これは難しい問題だね。そして時効はどうなんでしょう。もっともミュージシャンや芸人なんかも「楽屋で〇〇さんは~」なんてエピソードトークよくするけど、それもある意味「職業上知り得た秘密」だしね。判断が難しいね。 2023/11/30(石川浩司)

申し訳ないです 時効の件 軽率に投稿してしまいました
反省します 2023/12/23(ズミ天)

俺はこのくらいは大丈夫だと思うが・・・線引きが微妙ですな。俺も他のミュージシャンのことよく書いたりしてるけど、それも仕事中に知ったことがほとんどだからなー。 2023/12/23(石川浩司)

え?リサイクルショップに来店された〇〇〇さん?
〇〇〇なんて珍しいお名前のミュージシャン……申し訳ないのですが全く分かりません。
「守秘義務は永遠にある」と何やら絡まれているようなので、よほど有名な方なんでしょうね。まさか「〇〇〇」が伏字なんてことは……いやいや、〇〇〇が本名あるいは芸名なので噛み付いてらっしゃるんですよね。
それと、ズミ天さんが勤められていたリサイクルショップって、個人情報の保持が必要とされる公的機関または医療機関に属されている……んですよね?
ちなみに守秘義務の公訴時効は、秘密の漏洩があってから3年間となっています。つまり、2023/8/14から3年以内に〇〇〇〈本名または芸名〉氏が訴えを起こさなければ時効が成立。
今回のような重要度の低い顧客情報に関しては、ズミ天さんが秘密を保持する負担からも、秘密を知ってから1年の時効〈秘密保持契約の有効期間〉が妥当だと……あほくさ。 2024/1/11(テングザル)

なるほど、そういう法律なんですな~。 2024/1/11(石川浩司)


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