話題143 オススメの本(2)


最近、純文学がしんどくて読めません。図書館で町田康の「告白」を借りてきたのですが、あ…これテーマが重苦しそうだ…となって挫折しました。町田康のような「読ませる」作家でダメならもう何も読めやしないとしょげています。
随筆ならまだ何とか読めます。内田百がオススメです。大学時代、「阿房列車」シリーズに影響を受けて飛行機よりも高くつく寝台列車の旅をしたのは楽しい思い出です。 19/1/24(ANA)

俺も「阿房列車」シリーズ大好き。ほとんど何も起きないのに読めちゃうね。
小説よりも旅のエッセイが一番好き。 19/1/24(石川浩司)

ジェームス・クックの「太平洋探検」〔岩波文庫・上下巻〕。これは好きで繰り返し読んでます。いわゆる「キャプテン・クック」として高名な18世紀イギリス海軍の軍人であり探検家の太平洋航海日誌。でも彼は文筆家ではなく航海技術と測量術や海図作成に長けた軍人船長なので、記述はたんたんとしていてそこが逆にリアリティーの効果を生んでいます。オーストラリアが大陸であることを発見した第1回目の航海では、オーストラリアやニュージーランドの沿岸で現地民のアボリジニに遭遇した描写はとてもビビットだったり、船員が死ぬ場面では、○月○日、誰々死亡。・・・というたんたんとした記述が続きます。ちょっと記憶が薄れてますが当時は長距離航海によるビタミンC不足で壊血病になる船員が多くあり、航海の後半は死人が多く出ていたようですね。
また、わたしはハワイが好きなので、以前はハワイに行くとクック船長の足跡を辿る旅をしました。結局はハワイ島で原住民に殺されて生涯を閉じるわけですが、今も興味のつきない歴史上の人物であります。 19/1/31(波照間エロマンガ島)

足跡を巡りすぎて殺されませんように! 19/1/31(石川浩司)

木下直之『股間若衆』とその続編『せいきの大問題 新股間若衆』。ある日、著者は銅像を見たそうです。全裸の男2人が肩を寄せ合っている像ですが、ふと銅像の股間に目をやった著者は気づきましたーー「あれ?チンコが無い!」それを皮切りに全国の銅像の股間を調べていくと、「曖昧にもっこり」「木の葉で隠れる」「根元から切断」「股間が溶けている」など、様々なバリエーションがあると分かったのです。そこを起点に、「裸の銅像」にまつわる諸々が議論されていく、ふざけているようで実は真面目な本です。ちなみに、タイトルは『古今和歌集』『新古今和歌集』のパロディです。風流ですね。 19/3/12(←どこがだよ) 19/3/12(未成年)

面白そう! アートの考現学だね。 19/3/12(石川浩司)

石川さん、興味を持ってもらえてうれしいです。下記サイトに概略が出ています。(木下直之全集:http://www.a-quad.jp/kinozen/index.html)最近読んだ本では、反町茂雄『一古書肆の思い出』が良かった。国宝級の古典籍(江戸時代以前の貴重書)を幾度となく扱った、世界的な古本屋さんの自叙伝ですが、名品が次々と発掘されていくさまに大興奮しました。 19/4/2(未成年)

渋い未成年(笑)。 19/4/2(石川浩司)

19/4/2の石川さんへ)よく言われます。体は高校生、心は老人の未成年です。さて、最近読んだ中でピカイチなのが、栗原康『アナキズム』(岩波新書、2018)です。本書の主張のすべてに賛同できるかはともかく、「なにものにも、自分にすらも支配されずに生きていく」という思想は、とても大事ではないかと。あと、文体がいいです――「やめられない、とまらない。テメエのことはテメエでやれ。ついでにテメエをふっとばしてやれ。やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ。いまのあとには、いましかねえ。そしてさらなるいましかねえ。いま、いま、いま。死んだつもりで生きてみやがれ。死んでからが勝負。やることなすこと根拠なし、はじまりのない生をいきていきたい。アナーキー!」――と。お堅い岩波新書の文章とは思えない、なんですか、この躍動的で暴走した文体。 19/5/12(未成年)

口語体の文章は俺も好き。東海林さだお、椎名誠なんかもそういう感じだよね〜。 19/5/12(石川浩司)

最近江戸時代の洒落本とかを読み始めました。式亭三馬という戯作者の作品にはまっています。『浮世床』という、髪結い床の話が有名ですが、ここではあえて『酩酊気質』を推します。「酔っ払い図鑑」みたいな本で、「酔っぱらって長い説教をし、周りを退屈させる『異見上戸』」「これといった訳もないのに、人の迷惑も気にせず、一人騒ぐ『さわき上戸』」等々。本文では、各々が宴席でした話が書いてあるのですが、酔っ払いの口調がそのまま再現されていて(ろれつが回らず、「ひゃひゃいけん(拝見)・・・」「ひゃばかいながら(憚りながら)」と言ってたり、「げっぷ」とかも書いてあります)、腹を抱えて笑ってしまいました。しかも、「ここは舌が回らない感じで読んでください」「尊大で気取ったように読んでください」などと、読み方も書いてあるという凝りよう。 19/5/22(未成年)

音楽でも例えばツイッターで「#楽譜に出てくる謎の指示選手権」で検索してみると、すごい指示がいっぱい出てくるよ。見てみて。 19/5/22(石川浩司)

中村真一郎『雲のゆき来』。中村真一郎は福永武彦とも親しかったそうですから、石川さんも読まれたことがあるかもしれません。この本の魅力は多々ありますが、最も素晴らしいのは、小説全体がきれいな円環構造になっているところです。前半3分の1くらいは、元政という江戸時代の僧侶・漢詩人・歌人の話が延々と続き、「影響の三段階説」だとか何だとかという批評が続き、読者は若干の困惑(自分は何を読んでいるのか?これって小説だったっけ?というような)を味わうのですが、それが伏線となり、きれいに後半の展開に回収されるという快感。ここまで構成が練られた小説、僕はまだ見たことがありません。文体もいいです。ふわふわとしつつも、落ち着いて、留まるところには留まっている感じ。

「詩的で知的な冒険」というキャッチコピーがよく似合う、最高の小説だと思います。 19/6/15(未成年)

読んだことないなあ。俺はその前半で挫折してしまいそうだが...。 19/6/15(石川浩司)

写真集なのですが、篠山紀信の「人間関係」という写真集、良かったです。 19/7/2(もんぢゃ)

俺は当時大ヒットしたタイトルはうろ覚えだが「123人の女友達」的な写真集はやっぱりすごく女性の魅力を引き出していたな〜。
ちなみに俺たちも一度だけ篠山紀信さんに撮ってもらったことある。「月刊カドカワ」という雑誌の表紙写真。
他のカメラマンと違って、すごいスピードで撮って「はい、おしまい」と拍子抜けするほど早かったな。やっぱり天才なんだろうな。 19/7/2(石川浩司)

19/6/15の石川さんへ)たしかに、同級生には勧められない本です。でも、僕はこの本から、文学作品・芸術作品としての小説の読み方(鑑賞法)を教わりました。ただストーリを追うのではなく、文体を味わい、精緻な描写に唸り・・・と。読むのは大変ですが、一回読むと一生楽しめる作品だと思います。古本屋で発見したら、ぜひ買ってみてください。 19/7/19(未成年)

世界中に何億という書物があるのだろう。自分が深く入り込める書物と出会えたことは幸せだね! 19/7/19(石川浩司)

筒井康隆『文学部唯野教授』。ん〜と、そうですね、文学部に行きたい!と思ってる僕が読むべき本じゃなかったです。おもしろかったんですが。あと、この本が某国立大学文学部教授の本棚にありましたが・・・ 19/8/16(未成年)

高校生の時に読んだなあ。筒井康隆はほとんど読んだ。 19/8/16(石川浩司)

そうですか。石川さんも読まれたのですね。ただ、『文学部唯野教授』はあくまでフィクションですから。僕の知り合いの大学教授は、みんな人格・学識ともに優れた素晴らしい方々です。 19/9/1(未成年)

うーん、大学教授もいろんな人がいるからねえ。特別人格が優れてる人が多いとは思わないな。 19/9/1(石川浩司)

「いつか春の日のどっかの町へ」という、大槻ケンヂさんの文庫本が久しぶりに良かった本です。
年齢的に周囲の人が亡くなっていくという話と、大槻さんが40歳を過ぎて初めてちゃんとギターを練習して、恥をかいたり失敗したりという話との対比が印象的で、でも生きている限り新しい事に楽しんで取り組んでいく事の素晴らしさが胸を打ちました。 19/9/12(KPC)

あれ、その本って俺が文中に登場してる作品かな?
大槻くんのライブのゲストに俺がパーカッション転がして行った時の話。 19/9/12(石川浩司)

篠田節子『斎藤家の核弾頭』〔1997年〕

毎年2月タイ・チェンマイに来る友人から新潮文庫版を数年前にいただいて読みました。著者の篠田節子さんは直木賞作家で名前は知っていましたが、それまで読んだことのなかった作家です。1960〜70年代に多く書かれた筒井康隆のスラップスティックSF小説にタッチが似ていて、ぐいぐい引き込まれあっという間に読了。読後、この面白さは何なんだろうと半日くらい余韻に浸って過ごしました。
2075年が舞台なのですが、その頃日本は「国家主義カースト制」によって超管理社会となっていて、国民が身分制度のようにクラス分けされています。その中で国家の陰謀によってどん底にたたきつけられる斎藤家が国家に反逆するという物語です。現在とリアルで陸続きな地平があるように思える薄気味悪さを感じ続けました。読んでいるあいだ、ハリウッドの近未来SF映画を脳内で想像しながら読書したオススメの作品です。他の作品もバンコクの古書店で何冊か買い求めて現在「つん読」状態にあります。 19/9/17(波照間エロマンガ島)

おっ、この作家、名前しか知らなかったけど筒井康隆好きの俺としては興味わいた。ブックオフでも漁ってみっか〜。 19/9/17(石川浩司)

北杜夫『楡〔にれ〕家の人びと』〔1964年〕

わたくし波照間エロマンガ島が1972年、小学4年生のときに視聴していたNHK銀河テレビ小説の同名のテレビドラマがあまりに面白いので、そこから興味が広がり手に取った長編小説。自分の読書体験の原点がここにあるといっても過言ではない。実在した北杜夫の実家の精神病院の経営者一族の何代にもわたる群像を描いた作品。第一部の主人公の病院創始者の楡基一郎は北の祖父がモデルで、この銀河テレビ小説版では宇野重吉が演じていたが、それより7年前の1965年にTBS水曜劇場枠で製作されたドラマでは東野英治郎が基一郎を演じ、そちらのほうが変人きわまりない人物で抱腹絶倒だった、とドラマ好きの父が盛んに述懐していたことを覚えている。しかし宇野重吉も奇天烈なキャラクターを存分に演じきっていた。
新潮文庫版は前後編2冊となっていて、小中高大そして社会人になってからも定期的に読み返すほど大好きな作品だった。北杜夫は「どくとるマンボウ」シリーズや「ぼくのおじさん」、「怪盗ジバコ」などユーモア小説やエッセイにも優れた作品が多く、この「楡家の人びと」も含めて北杜夫〔本名・斎藤宗吉〕まわりの斎藤家の人々はずっと身近な存在として近しく感じていた。

この基一郎の婿養子である徹吉という人物が出てくるのだが、この人物はもちろん大正昭和の大歌人の斉藤茂吉がモデルである。だが、そちらの文学者の一面はまったく描かれずに、基一郎亡き後に病院経営に汲々としている小人物としてのみ描かれているのがとても面白かった。週一回、信濃町の慶應大学病院の図書館に調べ物に通うのだが必ずといっていいほどそこで居眠りをしてしまう描写など覚えている。その他出てくる登場人物が出る人出る人、こんな面白い人間どこにいるのかというくらい魅力的に描かれていて、彼らが起こす珍騒動の無類の可笑しさを含め、すっかり小説内世界に耽溺してしまうほどだった。そしてそれらの登場人物が大正から昭和へと激動の時代の変化に否応なしに巻き込まれついには戦災に遭い、焼け野原になった東京に立ち尽くすところまで淡々と描かれていく。三島由紀夫が「日本の近代文学史上もっとも重要な市民小説である」と評価した作品でもあった。 19/9/26(波照間エロマンガ島)

北杜夫のユーモア小説はほぼ読破してるけど、この「楡家の人々」は大作だったのでついつい大変そうで手に取らずじまいだったんだよね。読んでみようかな。 19/9/26(石川浩司)

『骨山バイク店』Dennis Ivanov 著、2019年刊


2019年10月、ニヒル牛で行なわれた「Dennis Ivanov マイペンライグラフィックス展」に出品されたデニスさんの新刊。これは石川浩司ファンは必読の一冊です!! 事実を基にした文章と写真とで構成されたフィクションというのでしょうか。「日本人が海外で遭遇した、些細なトラブルについての記録」というリードの文言から始まる3人の日本人の物語。

最初に「骨の章」。われらが石川浩司さんが2012年2月タイのチェンマイにて左足首を骨折したときのてん末が、あますことなく詳細に書かれています。実はわたくし波照間エロマンガ島もその現場に遭遇していたので、この2012年2月チェンマイの空気が書物となって作品に結実したのは本当に喜ばしいと思いました。当時の石川さんの日常は「おれの日常クイズ」のこちらのページで見ることができます。 http://ukyup.sr44.info/q12.html

次に「バイクの章」。これまたある年、チェンマイにやってきたうら若き三線弾きの中川樹海〔きみ〕さんを主人公にしたレンタルバイクをめぐるトラブル話。これはタイ在住11年のわたしとしては小ずるく外国人観光客からカモる悪いタイ人がいることは先刻承知なので、とても心が痛みましたね。

そして最終章は「山の章」、2010年代毎年のようにスコットランドのエジンバラで開催される演劇フェスティバルに参加していた日本スタンダップコメディアンの第一人者、清水宏さんのある年のエジンバラでの戦いの記録。これが感動的です。最後のくだりはデニスさんの術中にはまり読みながら泣いてしまいました。清水宏とデニス・イワノフの真剣勝負が垣間見られるのです。プロフェッショナルとはこういうものなのかもしれないな、と感心しました。

デニスさんはブログの文章を読んでも本当に文才豊かで感心するんですよね。大好きなアーチストであります。http://dennis-ivanov.jugem.jp/  19/11/24(波照間エロマンガ島)

俺も自分が散々な描かれ方してるのに、電車内で吹き出すほど笑ってしまった。
ちなみにニヒル牛で買えます。それ以外で売ってるところはたぶん今のところないかもしれないす。 19/11/24(石川浩司)

〔2010年6月25日~2017年9月3日のTweetより〕
椎名麟三「寒暖計」読了。タイトルは感心しなかったが読むとすぐに文学的感興に引き込まれていった。1959年作だがテーマは全く古びてない。あと「小松商店員」とか「土屋大学生」など、昨今の芸能人容疑者の通称〔例「島田司会者」「稲垣メンバー」等〕と同じ人称の使い方をしているのに驚いた。

椎名麟三「寒暖計」について筒井康隆は「下層階級の卑小な現実と原水爆のような社会問題を重ね合わせ」たと紹介し、つづけて「・・・それに、ロリコンと原水爆という組み合わせもいい。椎名麟三の小説には、こういう美しい女の子がよく登場します」と評価しています。

アルフレッド・ヒッチコックは「舞台恐怖症」で嘘のフラッシュバックを使い観客を欺いたことを失敗だと「映画術」の中で反省している。最近椎名麟三の「寒暖計」を読んだとき、何故かこのことを想起してしまった。椎名は読者を欺くまでは行ってないが、あるトリックによるどんでん返しをプロットに使っていたのだ

最近よくRTされる椎名麟三の「寒暖計」についての呟き。よく出来た短編小説だ。そして主人公が変態にして犯罪者。救いの無さが心惹かれてならないんだ。〔引用、ここまで〕

10年ほど前に読んだ椎名麟三の『寒暖計』。10年経った今でも記憶の中にどす黒い想い出として深く残っています。上記にあるように「ロリコンと原水爆」という組み合わせ、主人公が変態にして犯罪者。救いの無さ……、ぜひ一読をお勧めいたします。 20/1/21(波照間エロマンガ島)

おお、興味わくね。どんなことでも何かを与える書物は素晴らしい。
本当に生理的に駄目なら読者は読書を止めることもできるのだから。 20/1/21(石川浩司)

氏家幹人『江戸藩邸物語 戦場から街角へ』。表題が「江戸藩邸」となっていまずが、江戸時代の武士の暮らしについて述べられています。友達の家の前で切腹する少年、何度怒っても、仕事中に居眠りする家臣に手を焼く殿様、座り方を間違えただけで追放される武士、藩邸に駆け込んできて、保護を求める人殺し、酒乱のあまり解雇される武士・・・。色々な武士の生きざまに「武士は大変だなぁ~」と思いました。 20/3/31(未成年)

まあ形はいろいろ変われど現代もあんまり人々の基本は変わってない気もするな〜。 20/3/31(石川浩司)

  高校から大学にかけてフランツ・カフカの作品を読みまくった時期があったのですが、その中で『城』はとりわけ読後感がすごく印象的で記憶の奥底に沈殿し、今でもときおり姿を現します。小説を読み終えた瞬間、わたしは「ぎゃゃぁぁぁぁーーーー」と絶叫し、狂い笑いへらへら笑いが数分続いたのです。「こんなん、ありかよーー」とか「すっげえ小説だなーーー」とか夢にうなされるようにうわごとをつぶやいていました。これ、未完なことが最高に良いんです。完結してないことが。この「王様」の映画関連のトピックで最近、内田吐夢の遺作『真剣勝負』について書きましたが、未完の作品ということでかえってその余白が観客にゆだねられる。それと同じ効果をカフカの『城』でも与えられているとわたしは感じたのです。自分の人生で読んだ小説のなかで、もっとも「カタルシス」を得た作品でした。読みにくさ、とっつきにくさは天下一品なのですが、わたしはなぜか挫折せずに小説の迷宮を探り進むように読み進め、そして終幕にたどりつきました。
「カタルシス」とはアリストテレスが「詩論」で論じた言葉で、「悲劇が観客の心に恐れと憐れみの感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果」、すなわち「精神の浄化作用」という意味なのですが、その後さまざまな分野で使われるようになりました。 20/4/18(波照間エロマンガ島)

語る死す。寺山修司は田園に死す。 20/4/18(石川浩司)

桂川甫周『北槎聞略』。江戸時代後期の船頭・大黒屋光太夫の漂流記です。駿河沖で遭難した光大夫一行が、アリューシャン列島に漂着して、色々あった挙句、最後にはロシア帝国女帝・エカチェリーナ2世と面会し、女王の手助けで日本に帰還するという話です。漂流している時の極限の生活、仲間の死、異国の人々との遭遇と心の交流、次々と起こる困難に、知恵を絞って立ち向かう光大夫一行・・・とても興奮しながら読みました。 20/5/2(未成年)

「おろしや国酔夢譚」とは違うのかな? 20/5/2(石川浩司)

邦枝完二「曲亭馬琴」〔1937〕。
1790〔寛政2〕年、曲亭馬琴が山東京伝の自宅に弟子入り志願に訪れるもそれを断られるという、文学史上に残る雪の日の出来事を描写した短編作品。京伝の自宅から馬琴の住む長屋に舞台が切り換わるところは、すぐれて演劇的だと思った。
若年だが海千山千の素質十分ありの馬琴の人物造型が良い。このときは長屋暮らしの放蕩無頼の貧乏人だが、才気煥発の片鱗だけは見え隠れする。これは邦枝完二の筆力にほかならないだろう。邦枝家は千代田区隼町にあり、徳川直参の家柄だったという。1892年生まれの邦枝はこの風景を想像できた筈だ。
隼町界隈は谷になっていて、そこに貧乏旗本や御家人の安普請の家が並んでいた様子は十分想像できる。それにしても赤坂見付から隼町、三宅坂にかけての地形は、江戸城が天然の要塞たる条件を兼ね備えた立地であることをこれほど如実に表す例もないと思う。  20/6/13(波照間エロマンガ島)

歴史が苦手だっので、歴史物はその人の背景がわからずなかなか手が出ない...。 20/6/13(石川浩司)

20/5/2の石川さんへ)「おろしや国酔夢譚」の元ネタの一つです。

さて、だいぶ前に永井荷風「四畳半襖の下張り」を読みました。言わずと知れた戦後春本の最高傑作です。とある好色な老人の性遍歴が、江戸戯作を思わせる擬古文で綴られています。擬古文なら平気なんですけど、意味の分からない隠語が結構出てきて、読むのが大変でした。「居茶臼」とか、「鈴口」とか。パソコンで調べながら読んだので、検索履歴が凄いことになりました。ところで、いくら調べても「腰を遣う」の意味が分かりません。どういう意味ですか? 20/6/13(未成年)

まあ、そのものズバリの行為のことだと思うけど。お互い腰を動かさなかったら、成立しないものねー。 20/6/13(石川浩司)

20/4/18の追記。
最近、長久允監督の『WE ARE LITTLE ZOMBIES』〔2019〕という映画を鑑賞したのですが、そのなか登場人物の科白にてフランツ・カフカの『城』について言及するシーンがありました。映画はわりと面白かったですが、作者が影響を受けているものを物語の中でなんでもつめこんで語らせるのは好きな方法ではないな、と感じました。自分の中で影響されたものを消化してあらたな表現の推進力にするのが作家ではないか、と思うのですがネ。 20/9/22(波照間エロマンガ島)

あ~、この映画観たいのにまだ観れてないんだよね。パスカルズのメンバーや友達の子供たちなど何人も出てるので。
早くアマゾンプライムに降りてこないかなあ。 20/9/22(石川浩司)

児童文学作家、斉藤洋さんの「ルドルフとイッパイアッテナ」シリーズの最新刊が2020年に出たのには驚きました。
調べてみたら最初の作品は1987年に出版。
そこから20年以上もかけて続いていることに驚きました。

物語の設定としては、猫が書いたと思われる原稿が作者のもとにどこからともなく届くというものですが、20年って猫の寿命を超えているのではないのでしょうか・・・。
私が幼稚園の頃にNHKの子供番組で毒蝮三太夫さんが朗読をされていました。
また、2016年のアニメ映画では、毒蝮さんもチョイ役で出演。

ここからは記録
「ルドルフとイッパイアッテナ」〈1987〉
「ルドルフともだちひとりだち」〈1988〉
「ルドルフといくねこくるねこ」〈2002〉
「ルドルフとスノーホワイト」〈2012〉
「ルドルフとノラねこブッチー」〈2020〉

図書館の児童文学コーナーの花形かもしれません。 20/11/19(Sankaku)

へ~、俺はさすがに1987年は26歳なので読んだことはないが、各世代世代で長く読まれてる児童文学というのはあるんだろーね。
俺も老後はそんな童話でも書けたらいいなー。 20/11/19(石川浩司)

福田恒存『人間・この劇的なるもの』〔1961年〕は新潮文庫で170ページ足らずの薄っぺらい本で、わたしは通勤電車や旅の機内、車内でパラパラめくって気がついたところをノートして過ごすことが多い。非常に有意義な読書体験を与えてくれる。

自分の弱さを告白するといふのは、一見しほらしいやうに見えますが、じつは一種の思ひあがりにすぎません。誠實さうに見えて、じつはずるいのです。〔「自己批判」といふこと〕

至言です。自分を馬鹿だ、間抜けだ、クズだと卑下してばかりいる人間こそ、安易に逃げ道を作り物事に直面しない、もっとも思い上がったずるい人間であるということ。そういう人間を私は心底軽蔑します。

〔おまけ〕
福田恆存ちょっといい話
ある日、大岡昇平が福田恆存(つねあり)の家に電話をしたらお手伝いさんが出て、「先生は只今お風呂に入っていらっしゃいます」といった。それでは奥さんは?と訊いたら「奥様も只今入浴中です」 という答えが返って来たという。
福田さんは座談会で相手をぐーの音も出ないほど論破するも、東大英文科教授にしかなれなかった頭の悪い同窓生に「福田は英語が下手でほとんどしゃべれなかった」と鼬の最後っ屁のような苦し紛れの悪口を言われたり、本当は茶目っ気たっぷりな奥さんと仲の良い上記のエピソードがあったりと、懐の深い評論家、翻訳家、劇作家、演出家であった。 21/3/12(波照間エロマンガ島)

「先生は只今お便所に入っていらっしゃいます」「奥様も只今脱糞中です」 だったらもっと凄かったね。 21/3/12(石川浩司)

高校生だった頃は、学校の図書室にも面白い本がたくさんありました。

さすがに高校の図書室とのことで、ある種ファッショナブルな本が揃っていました。
書店でもあまり見かけないような物でも、ポピュラー音楽の歴史 2021/3/19(ビートルズやエリック・クラプトンなど)の本などは特に面白かったです。
石田衣良さんの小説「池袋ウエストゲートパーク」のシリーズは今でも新作が発表されています。

今考えると、高校生ならではのオリジナリティーがあるラインナップでした。 2021/3/19(Sankaku)

俺の本が入ってる学校もあると聞いたことがあるなー。 2021/3/19(石川浩司)

マンガ、小説、ノンフィクション、宗教書、医学書、説明書、エロ本などジャンル問わず最近読んだ本についてどうですか?  2021/3/26(KPC)

これは新しい話題「最近読んだ本」でいただきましたが、こちらにまとめます。オススメじゃない本はあまり紹介しないからね(笑)。  2021/3/26(石川浩司)

別コーナーで「長文と短文」の通津ですが、最近面白い対談を見ました。田中邦衛さんが亡くなったので、図書館でブラウジングをしていたら、倉本聰さんと文化人との対談集があって、戸田奈津子さんだったかなあ? 以下のような会話がされていました。
倉「文章は短いほうがいい。以前朝日新聞で、600文字の原稿の仕事を長くやっていたら、どうしても1000文字くらいになっちゃう。それでいらない部分をとにかく消す。接続詞も形容詞もいらない。するとすっきりして名文になる。『僕たちは・・・』なんでなくても話は通じる」
戸「接続詞はいらないいらない笑」
映画のセリフを字幕にするとき、どうしても文字制限があって、その話題になりました。彼女は文字制限のため、直訳でなく意訳のが良いと強調されていました。私も石川さんも大好きな名編集者として名を馳せた宮脇俊三さんも「良い文はどんどん言葉をそげ落とすこと」と言われていて、同行の編集者や娘さんに教示されていました。 2021/4/29(わいわい)

俺も日々ツイッターは削って削ってツイートしてる。 2021/4/29(石川浩司)

『フーコン戦記』古山高麗雄

ここ数年東南アジア各国を旅行する傍ら、約80年前にかの地を侵攻した大日本帝国軍の足取りについて跡をたどり、思いをめぐらせることが多い。はじめはあまりに美しいこの自然の風景を日本人が鉄砲を担いで行軍したことなど想像すらできなかった。戦後の日本社会の平和の中で安穏として生活している自分にとって、かの戦争はなんだったのか、漠然とした興味はあるのだけど、なかなか目の前の風景と像を結ばない。敗戦後の日本軍捕虜収容所における人間模様を描いた『プレオー8の夜明け』という短編に出会ったのはそのころであった。
その作者古山高麗雄(ふるやま・こまお)の三作目の長編戦記が「フーコン戦記」である。大東亜戦争でもっとも悲惨をきわめた戦場だったひとつ、ビルマのフーコンの死闘から奇跡的に生き残り帰還、戦後50余年を経て老境に入った主人公がフーコンの戦いを振り返る。途切れ、欠落した記憶をつなぎ合わせて自分の動いた軌跡を記そうと白地図にマーキングをしていく。その作業を小説内時間で読者も体験する。フーコンで夫を失った戦争未亡人から提供された資料を読むことによって記憶を復元しようとするが、詳しい戦況や地名、作戦名など、一兵卒の主人公には知らないことだらけなのであった……。

戦争を記述することの困難についてこの小説は成功しているのではないかと思った。
「インパールもフーコンも、そして中国雲南省の拉孟 2021/4/29(ラモウ)、騰越、龍陵などの戦いも、天王山などというものではなく、みんな必敗の戦闘だったのである」
「フーコン作戦だの、断作戦だのは、軍の一番上の方で決めて、下達されるだけで、命令が下れば、何万人もの人間が、動き、死ぬ者は死ぬのである。俺はそういう者たちの末端の一人である」
つぶやきがつづく。それらは全体像がない。その態度は、「事後」から歴史を解釈するのとは正反対の立場で、大局的に語ることを努めて避けているようにも見える。地面を這いつくばる虫の視点から書かれているようにも思え、とても興味深い。全体像を見ることができない作業の中で同じ場所をぐるぐるまわっているような「戦争」を描いていることにものすごいリアリティーを感じたのであった。 2021/4/29(波照間エロマンガ島)

現在のコロナ禍とオリンピックをめぐる騒動も、まさに戦争だと思う。
如何に為政者に翻弄されるかという。 2021/4/29(石川浩司)

「デス・ゾーン」というノンフィクションを最近読んだのですが、いくらでも語れるすごい本でした。
「単独無酸素でのエベレスト登頂」に最後までこだわっていた栗城史多という人物についての証言集みたいな内容ですが、もう序盤からして意表を突かれ、開いた口がふさがりませんでした。
世の中には色んな人がいるとは思いますが、傍から見て言ってる事とやってる事が違う人や、実力が伴ってないのにレベルの高い挑戦をしようとする人がいる中で、栗城という人はそっち方面にとことんまで突っ走って戻れなくなってしまった人、と定義する事は出来ると思います。
でも、そんな彼をバカな奴と簡単に切り捨てる事は出来なくて、何故そうなのかと考える事がすでにエンターテイメントになっている向きもあり、未だ答えが出たとは言えない読後感のあるとんでもない本でした。 2021/4/29(KPC)

難しい問題だよね。命を伴う登山はともかく、表現活動でも「今、どっちにいく?」は重いあぐねることも多い。 2021/4/29(石川浩司)



2016年5月10日の日記より。
今日買った本。
つゆのあとさき〔永井荷風〕、恩讐の彼方に、忠直卿行状記〔菊池寛〕。

まず菊池寛の「入れ札」を読んだ。1990年代に柄谷行人がこの小説をテキストに「入れ札と籤引き」という論文を書いていたのを思い出した。
次「蘭学事始」。読みながら想起したのはNHKのドラマ「天下御免」で杉田玄白を坂本九が演じたとき、前野良沢は誰が演じたかということ。内藤武敏だったかな?早坂暁脚本だった記憶が。好きなドラマだった。日本史上では悪役で語られることの多い老中・田沼意次〔仲谷昇〕の颯爽としていたこと。主役の平賀源内が山口崇でね。山口崇は徳川吉宗を演じたドラマもあったな、あれは「大岡越前」か。早速wikipediaで検索すると1971~2年放映でビデオが残ってないんだって!記憶に残ってるだけのドラマかー。
「恩讐の彼方に」何十年ぶりかで読んだ。
20代の頃九州旅行で大分県耶馬渓町の青の洞門に初めて行ったとき、感慨深かったもんな。あ、ここかー、って。テレビドラマでは八代目松本幸四郎が演じていたっけか。

それにしても菊地寛がいなければ文藝春秋社もこの世に誕生してなかったわけで〔1923年に創刊〕、某タレントに「センテンス・スプリング」なんて言われなかったでしょうし、世の中不思議ですね。

閑話休題。
昭和四年の「断腸亭日乗」〔永井荷風〕より。酒館太牙〔たいが〕にて女給仕人美人投票の催しあり、と。ビール一壜で一票投票できるのだが、菊池寛は某女のために一五〇壜を購い一五〇票投票、翌日ビールを持ち帰ったという。「田舎者の本性露〔あらは〕にしたり」と荷風は痛烈に批判していた。昭和初期にもAKB総選挙があったのか。 2021/5/15(波照間エロマンガ島)

へ~、それも日本の根深い文化なのかもねー。 2021/5/15(石川浩司)

2017年4月14日の日記より。
三島由紀夫「蘭陵王」読了。三島由紀夫の最後の短編。1969年8月に陸上自衛隊富士学校で行われた「楯の会」の戦闘訓練の一場面を取り上げている。この短編の存在を今の今まで知らなかったし、タイトルの「蘭陵王」が雅楽の曲目であることも教養不足で知らなかった。
舞楽で使われる蘭陵王の面は顎を別に紐で吊り下げ、竜を象った恐ろしい相貌で名高いが、北斉の蘭陵王長恭がおのれの優しい顔を隠すために怪奇な面を着けて、五百騎を率いて出陣した故事にもとづいた曲だという。
学生で楯の会に参加した京都の大学生Sが携行していた横笛。夜間にSが作者に促されて演奏する「蘭陵王」の曲の調べが富士演習場の空気とともに現前化するような感想を持った。やはり三島の短編は素晴らしい。
Sが語った「横笛の音は篳篥〔ひちりき〕の音のまわりを、あたかもくねってまつわる蛇のように纏綿〔てんめん〕する。そして名人は横笛の極度の練習の果てに幽霊を見るそうだ」という言葉は、作者の創作ではなく実際にモデルの人物がそう語った強度を感じた。それというのも1999年に陸自総合火力演習を見学に陸上自衛隊富士学校に行きそこから当地の地勢を知りえたので、本作が心に響いたのかもしらん。
しかし、それにしても小説という表現の中で聴こえるはずの無い音楽が脳内に鳴っているかのような感興は、さすが短編小説の天才、三島由紀夫たるゆえんを感じたのも事実だ。
作者は忘れたが、自衛隊の富士演習場近くで昔の兵隊の幽霊が出る短編小説があって、その作品の怖さも同時に想起した。何という作品だったかなー。そんな三島由紀夫最後の短編について、でした。 2021/9/3(波照間エロマンガ島)

三島由紀夫というとどうしても自決があまりにも印象的でそれに引きずられがちだけど、文学的に本当に素晴らしい作家だよね。当たり前だけど。 2021/9/3(石川浩司)

吉本隆明「書物の解体学」〔1981年 中公文庫・刊〕。
吉本隆明が近現代欧米の思想家、小説家に関する論文を1冊にまとめた著書。その対象となったのは、バタイユ、ブランショ、ジュネ、ロートレアモン、ミシェル・レリス、ヘンリー・ミラー、バシュラール、ヘルダーリン、ユングの9人。大学生の頃、書籍を購入して読みました。結果的に本書はその後の「読書導入参考文献」となりましたが、あまり感銘は受けませんでした。その理由として決定的要因だったのは、

吉本隆明は英語やフランス語の原典にあたらず、翻訳書を読んで対象の文学者を論じているという点。

別に語学ができなくても良いのですが、せめて原典を直接対象者の母国語である外国語で読んで分析してほしかった。読み進めていくうちにかなり失望しました。吉本隆明は今となっては吉本ばななの父親として高名な文芸批評家として万人の記憶に残っていますが、1970年安保時にはその著書の「共同幻想論」は多くの学生に影響を与え「知の巨人」として有名な批評家でした。わたしは1980年頃、YMOの坂本龍一が言及していることから興味を持ち、著書に触れた次第。

〔ばっすいここから〕
夜更け、ぼくらは変装ごっこをした。ケイはぼくの背広を着込み、ぼくのステッキと帽子をとり、ぼくには彼女のドレスやその他の品物を貸してくれ、ぼくが化粧するのを手伝って呉れた。
同じようにして、女子学生とぼくの友人も衣装を交換した。
こうしてできた二組のカップルは、ミュージックホール的な出し物を演じいちゃつくふりをした。
ぼくが女装をしてこっけいなどころか、むしろそれが似合うのを誇らしく思った。
ぼくを口説くようなふりをしながら、ケイはぼくの名前をミシュリーヌと呼んだりしたのだが・・・。
長椅子の上で眠っているのかいないのか?
たえずひやかしたり、寝返りを売ったりしているフクロウ〔女子学生のあだ名〕のそばに、ぼくらも横になったが、演技のキスはいつのまにか本物のキスに変わっていった。
ミシェル・レリス「成熟の年齢」〔ばっすいここまで〕

わたしのセクシュアリティーに多大な影響を落としたレリスの文章の一節を吉本は引いていました。これを読んで自分の性遍歴は長足の進化を遂げたことを59歳の今、ここに告白します。 2021/12/31(波照間エロマンガ島)

ばななさんはライブに来てくれたり、朝日新聞で対談したこともあったけど、吉本隆明はほとんど知らない。というか俺にはきっと難解で理解できないんだろーなーと思っちゃってなかなか触れられないんだよね。 2021/12/31(石川浩司)

『評伝 黒澤明』堀川弘通 〔2000年10月〕
『生きる』『七人の侍』など世界映画史上に残る黒澤作品に助監督として参加し、名作の製作現場に立ち会った堀川弘通〔のちに映画監督〕による黒澤評伝。堀川は一九一六年生まれ、黒澤の七歳年下にあたる。一九四〇年にPCL〔のちの東宝撮影所〕に入社した。

映画評論家やジャーナリストなどがクロニクルに作品を論じるのとは異なり、製作現場で助監督で仕えた監督として、あるいは監督に昇進してからは映画人仲間として見た、黒澤の実像をあますとこなく活写している。現場の仕事仲間から出た言葉というものはとても重厚で、説得力のあるものだと実感した。ただ礼賛するだけではなく、時に黒澤明の限界も述べているあたり、一段高いところから全体を俯瞰する客観性を感じ、感心した。

黒澤ファンでなくとも日本映画ファンであるならば、これほど面白い読み物はないだろう。特に巷に数ある「黒澤本」では近づけなかった、黒澤明の本当に作りたかった理想の映画像に対する、現実には作り得なかった映画像とのギャップが痛いほどよくわかった。日本国内の経済状況ともけして無関係ではない、商業映画を配給する映画会社で「作家」の映画を作りつづけるということの困難さと残酷さがここには記録されている。1960年に黒澤プロダクション設立以降の『赤ひげ』〔1965〕~『暴走機関車』〔1966〕頓挫~『トラ!トラ!トラ!』〔1970〕解任~自殺未遂までのプロセスはあまりに切なく残酷な記録である。

以前より自分が知りたいと思っていた黒澤の極私的な事柄についても、堀川は推論と匿名でぼかしながらも、あれこれ紹介してくれた。ここに詳述できないので箇条書きにとどめるが

●黒澤の自伝『蝦蟇の油』に書かれなかった兄の死の真相
●黒澤が兵役を免除された真相はやはり思ったとおりだった。
●高峰秀子とのロマンスと破局についての真相〔これはほかの人が書いているのと変わらなかった。古今東西共通でステージママの過干渉がロマンスをぶちこわす〕
●矢口陽子への求婚を横恋慕した人がだれだったかについて、本書でまた少し真相に近づいた
●東宝争議において「十人の会」のできた経緯と詳細について
●『羅生門』のチーフ助監督、加藤泰の解雇の真相〔堀川の解釈〕
●『素晴らしき日曜日』主演の沼崎勲が大根役者すぎて、演出設計を変更〔「第4の壁」に訴える実験的演出の誕生〕
●大映の永田雅一、松竹の城戸四郎など、当時の映画会社のトップに対する印象
●問題人物、プロデューサー本木荘二郎についての件り〔いかに黒澤に資金を調達し、いかに黒澤から排除されていったか〕

これらについて詳述しており、後世の映画研究資料として第一級の分析であることを認識した。 2022/1/14(波照間エロマンガ島)

黒澤ファンには必読だね~。 2022/1/14(石川浩司)

人はだれでも瞬間瞬間なにか取り留めのない妄念のようなものが思い浮かんではすぐにそれが揮発して忘却される、そんな連続した瞬間を生きているとわたしは考えます。2015年8月20日、バンコクのオフィスにてわたしは以下の妄想をFacebookに入力しました。

〔以下、ばっすい〕 仕事中とりとめのない妄念を書き連ねる。最近三島由紀夫の「豊饒の海」4部作について想いをめぐらせることが多いのだが、第3作「暁の寺」第1部で大東亜戦争末期、空襲により焼け野原となっている渋谷南平台の松枝卿の邸宅前を主人公の本多が歩いていると、綾倉家に仕えていた〔第1部「春の雪」〕老女中の蓼科〔当時90歳以上〕と偶然再会するシーンが好きで、それは小説のリアリティーとは別途の、タイムスリップして別次元から蓼科がとつぜん現れるような幻覚を感じさせる三島の筆法について考えているのだが、この物語には時空を超えた場所からひらりと登場人物が降臨してくるようなシーンが多く散見され、通読後、拾い読みをして反芻できるので楽しい。これは何なのだろうか。
また、三島とは関係ないのだが、ラジオ関東「Go Go Niagara!」で大滝さんが素人時代のサエキけんぞうさんのリクエストはがきを読むときに、確か「渋谷区南平台のさえきごえんのすけさん」と読んでいた記憶がよみがえることを連続して想起した。ラジオネームが杉浦茂の漫画のキャラクター「コロッケごえんのすけ」ではあったかなかったかについてはイマイチ記憶が微妙であるが。。。それよりハルメンズは千葉のバンドなのに、何故サエキさんは南平台に住んでいたのか? 単なる記憶違い? よくわかんない。うん、まったくとりとめない。そういえば南平台といえば、三木武夫元総理の自宅もあったな。南平台から代官山にかけての途中に西郷山公園という公園があって、これは西郷従道が西南戦争前に兄・隆盛のために買ったのだが、隆盛が戦死したので鉄道省の施設になったあと公園になったということは覚えているのだが、この公園で1995年頃、友人のゴルフ雑誌の編集者に乞われ、グラビア撮影をしたことを思い出した〔被写体はわたし〕。この公園の近くに1950年代、国鉄スワローズの合宿所と練習場があったことは今Wikipediaで知ったが、ということならば、金田正一がこの近所の目黒区青葉台に家を買ったことも理解できる。ノンプロ野球選手役の鶴田浩二主演の川島雄三の「天使も夢見る」〔1951年〕も西郷山公園と思しい場所でロケしていた。
〔ばっすいここまで〕

明治末年の西郷従道の一家が松枝家のモデルに一部使われていたことは今検索して知りました。思惟が何かから何かへ跳躍するキテレツさは、毎晩夢で体験していますが、そういう「何か」をもっともっと突き詰めて考えていきたいと思うわたしなのでした。 2022/1/29(波照間エロマンガ島)

確かにその「何か」の線の一種の快楽の正体、知りたいね。 2022/1/29(石川浩司)

志賀直哉「清兵衛と瓢箪」〔1913年〕。何故この短編小説に惹かれるのかあまり深く理由を考えたことはなかったが、子供が大人を差し置き「渋好み」という域に到達するほど趣味の世界に知悉することの痛快さや、親の無理解と抑圧を子供の側から怨嗟の情としてよく表現されていたことなどに魅力を感じていたのだと思う。

あと今思えば、清兵衛のぶっきらぼうな台詞まわしや作品世界は渡辺和博の漫画作品に通底する世界観を感じる。大人顔負けのメカ好き子供が広島弁しゃべってナマな感じがよく出てるキャラクターが出ていたり。ナベゾの漫画、日本に置いてあって今は読めないけど久々に読みたいなり。

「清兵衛と瓢箪」だが多くの読者がほとんど知らない世界であるところの「瓢箪」をよくぞここまで興味深く描写したというのも小説の魅力に入ると思う。たとえばもし現代の世界でこれが瓢箪ではなくてエレキギターだったらとしたら、文字だけでその魅力を書き出すことは容易ではないだろうということ。 2022/3/14(波照間エロマンガ島)

むーっ。志賀直哉読んだことあったかなあ。なんせ読書家ではあったけど、子供の頃から「著名作家の本は読まない」という反逆児だったからなあ。 2022/3/14(石川浩司)

何年か前わたしは司馬遼太郎の対談集「日本人を考える」の桑原武夫〔フランス文学・文化研究者〕との対話で、ある興味深い泉鏡花についてのエピソードを発見したので紹介します。

泉鏡花といえば、日本の耽美派文学の極北として近代文学史にその名を残す大作家です。明治後期から昭和初期までの活動期間に多くの名作をものしました。その文体は江戸文芸の流れを踏襲し、幻想的でロマン主義的な作風で知られていました。その鏡花に以下の作品があると言うのです。

〔以下、ばっすい〕
司馬: まあ、候文がすたったとともに、文章の型も崩れましたが、それ以後、論理的表現能力のある国語文章が出てきますね。そういう意味での文章日本語は、第二次大戦後に確立したのではないでしょうか。明治時代の文章家は、それぞれが我流で書き言葉を使っておりましたでしょう。泉鏡花なら泉鏡花手製の日本語で。鏡花が大正末期だったか「東京日日新聞」に、工業地帯のルポルタージュを書いたのを古本で見たことがありますが、鏡花手製の文章では、鏡花的世界は表現できますけど、どうにも煙突やガスタンクのある街がとらえられなくて、悪戦苦闘してついに空中分解しているような格好で。〔ばっすいここまで〕

なんと司馬遼太郎は、候文〔そうろうぶん〕の崩壊とともに論理的表現能力のある国語文が登場したと言うのですね。その意味で候文的旧式の日本語様式の中にあった泉鏡花は、日本の近代の工業地帯のルポルタージュが書けなかった、と。この文章をいつか読んでみたいと思いました。何か面白い表現のヒントが見つけられるかもしれません。 2022/5/7(波照間エロマンガ島)

嵐山光三郎のABC文体とかも一時プチ流行したね。 2022/5/7(石川浩司)

石川さん最近twitterに見た映画上げているじゃないですか。本好きのワタクシとしては、映画みたいに昔の一日一冊のような読んだ本をあげてほしい。 2022/5/7(わいわい)

一日一冊読書の時は、ほぼ映画は観てない。同様に現在「コロナ禍チャレンジ~今まであまり映画を観てこなかった人生なのでそれを取り返してひとり見まくろうキャンペーン」期間中の現在、本はほとんど読んでません。
さすがに毎日映画も観て本も読んでたら、このホームページの更新や、仕事時間すら無くなりますからね(笑)。 2022/5/7(石川浩司)

私は面白エッセーが好きです。最近嫁はんが図書館で発掘してきた女性エッセイストで抜群に面白かったのが北海道在住の酒飲みの北大路公子さん、それから大阪の料理レシピブロガーの山本ゆりさん。ともに日常で巻き起こる様々な事件を圧倒的語彙力とセンスで読み手を本気で笑かしにきます。

ご近所さんとの雪かきの確執や酒席での失敗を赤裸々に語る北大路さん、レシピなのに笑うところが用意されているという大阪のノリ満載の山本さん。電車で読むのはお勧めできません。文章で声出して笑ったの、久し振りでした。笑いに飢えている方は、ぜひご一読を。 2022/6/10(オポムチャン)

俺も読むのは面白エッセイ、旅エッセイばかり。名前、覚えておこうっと(と言ってるけどたいていすぐ忘れる)。 2022/6/10(石川浩司)

『0メートルの旅』という本が良かったです。南極への新婚旅行の第1章から、コロナ禍の外出自粛中に自宅のエアロバイクとGoogleマップで日本縦断する最終章まで、だんだんと自宅からの距離が近くなるという構成の旅エッセイ集です。
この本を石川さんにオススメするのは、旅エッセイだというのも理由ですが、筆者の岡田悠さんの「自分が興味を持ったことなら周りが呆れてもしつこくやり続ける」という姿勢に共感されるのではないかと思ったからです。

唯一の誤算?は、「つかみ」であるはずの第1章で南極で泳ぐくだりが出てくるのですが、それを読んだとき「あぁ、わいわいさんと一緒だな。」と感じてしまい、衝撃が薄くなってしまったという点です。
最終章はWeb記事を紙の本向けに再編したものなので、ご興味があれば試しに元記事 

〈https://omocoro.jp/kiji/267252/〉をどうぞ。 2022/6/26(ANA)

いつか時間があったら読んでみよう。旅のエッセイは大好物ですからな~。 2022/6/26(石川浩司)

遠藤周作「留学」〔1965年〕

同テーマを扱う三篇の短編小説の連作。『ルーアンの夏』、『留学生』、『爾〔なんじ〕も、また』。フランスに留学した古今の日本人がヨーロッパ文明に対峙し、圧倒的なキリスト教の文化的圧力に苦悩し挫折する姿を絶妙な筆致で描いていく。自身も留学経験のある遠藤周作の文明批評、芸術論にもなっている。

三者三様の留学が描かれる。
1.支援を得て戦後すぐにフランスカトリックの宗教留学をする日本人
2.安土桃山から江戸時代初期に渡欧した間に国策の変更でキリシタン禁止で棄教した日本人
3.日本の大学の文学部講師でフランスへサドの研究に来た日本人

『爾〔なんじ〕も、また』は多少観念的図式的なものを感じたが、総じて興味深く読書した。以前だったらこの本は手にとるのを拒絶したかもしれないが、今回すとんすとんと腑に落ちた。
表現者のありようについての下記の記述が痛烈に私の心に刺さった。

〔引用ここから〕
「自分も一流品を創りたいという欲望はだれだってあるだろう。しかし、俺たちの中にはどう努力しても一流になれぬ二流の人間がいる。二流の者には一流の芸術品を生涯かかっても創れはせん。これはほとんど宿命に近いものだ。寂しいけど、自分が二流である場合、それはいつか、自認せねばならんもんだよ。巴里というのは俺の短い滞在でも自分どの程度の才能があるかを残酷なほど見せつけてくれる街だよ。自分の才能の限界や運命がここに来てわからぬようなら、それは鈍感という奴だ。そんな鈍感な連中がモンパルナスやモンマルトルにうようよいるよ。だがね。こいつらはやがて復讐を受けるんだ。二流のくせに一流の生き方をしようとした復讐を受けるんだ」〔引用ここまで〕
〔2017年7月10日の日記より〕 2022/7/15(波照間エロマンガ島)

遠藤周作はキリスト教関連以外の、ユーモアエッセイの狐狸庵シリーズはほぼ読破してるんだけどなー。どーも宗教に興味が湧かなくて。 2022/7/15(石川浩司)

「『たま』という船に乗っていた」の続編が作られるそうです。石川さん頑張ってくださいね→「続『たま』という船に乗っていた」→「新『たま』という船に乗っていた」→「後『たま』という船に乗っていた」→「『たま』という船に乗っていたPART2」→「『たま』という船に乗っていた その2」→「『たま』という船に乗っていた 完全版」→「『たま』という船に乗っていた改」→「『たま』という船に乗っていた NEW」→「『たま』という船に乗っていた増補改訂版」→「『たま』という船に乗っていた令和編」→「『たま』という船に乗っていた2」→「『たま』という船に乗っていた Vol2」→「『たま』という船に乗っていた season2」→「帰ってきた『たま』という船に乗っていた」→「もう一度『たま』という船に乗っていた」→「『たま』という船に乗っていた 後日談」→「特『たま』という船に乗っていた」→「新編『たま』という船に乗っていた」→「『たま』という船に乗っていた・上」→「『たま』という船に乗っていた・松」→「『たま』という船に乗っていた第二章」→「正編『たま』という船に乗っていた」→「断章『たま』という船に乗っていた」→「『たま』という船に乗っていた・続き」→「『たま』という船に乗っていた EPⅡ」→「後拾遺『たま』という船に乗っていた」→「『たま』という船に乗っていた第二部」→「新章『たま』という船に乗っていた」→「前編『たま』という船に乗っていた」→「『たま』という船に乗っていた 第2巻」→「別冊『たま』という船に乗っていた」らしいですね。 2023/2/25(わいわい)

ちなみに3月に発売される「『たま』という船に乗っていた」の増補改訂版には「たまという船を降りてから」も加筆しましたよん。是非読んでほしいっ! 2023/2/25(石川浩司)

田部井淳子「それでもわたしは山に登る」〔文春文庫 2013年〕
女性として世界で初めて世界最高峰のエベレスト登頂、および七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる登山家の田部井淳子さん〔1939-2016〕の登山エッセイ。生死の境を彷徨った危険で困難な登山体験がたくさん出てくるかと思いきや、そんなことはなく、登山においての人間関係の難しさ、リーダーシップについての自戒等がたくさん書かれていて、これは登山のことだけではなく、仕事のマネージメントや人生訓としてぐいぐい引き込まれて読んでいった。面白かったです!何気なく書店で手に取った一冊ですが、機会があれば他の著書も読んでみたいと思いました。 2023/2/28(波照間エロマンガ島)

結局「対人」がどの世界でも難しいし、ネックになるんだよね。なのでいくら勉強できてもそれがスムーズじゃない人は社会生活が大変そう。田部井さんの本、それだったかどうか忘れたけど読んだことあるな。 2023/2/28(石川浩司)

翻訳家の岸本佐知子さんのエッセイとても面白いです。
世の中にはこんな変なひとがいたのかと呆れるやらワクワクするやら。 どこまでが虚でどこからが実なのか分かりませんが、一つ言えるのは岸本氏どっちにしろ天才ですよ。
岸本氏も出てくる人もどうかしていて脳がしびれます。ぜひ一読を。 2023/2/28(もち)

へー、その人はしらないや。機会があったら読んでみる。変人だ~い好き。 2023/2/28(石川浩司)

庄野潤三「喪服」〔初出『近代文學』1953年1月号〕読了。20枚程度の短編。1950年のクリスマスイブに大阪・難波のバーでのちょっとした出来事が描かれている。当時は日本に駐屯していた在日米軍が朝鮮戦争に従軍しているという状況があり、関西から駐留軍が減少している時期にあった。そんな中、店で2人の軍服姿の米国軍人と1人の黒い服を着た日本人女性が飲んでいるのを見かける。そして何年かぶりかで再会した、かつて近所に住んでいた父の友人の愛娘と結婚した男性と筆者との会話。戦争という「大状況」とご近所さんという「小状況」のコントラストが、自然っぽく配置されている。そして、遠目に見える黒い服を着た女性についてある想像をするというところで小説は終わるのだが、その考えの跳躍が酩酊しながらも多分筆者が確信したことを書いているのがわかるので、小説として楽しめた。
なお、この作品は芥川賞候補になるものの受賞は逃し、庄野は翌年の「プールサイド小景」で芥川賞を受賞、同じ時期デビューした作家とともに「第三の新人」と呼ばれるようになったのは歴史的事実。 2023/6/2(波照間エロマンガ島)

たまもデビューの頃はよく「新人類」という言葉を使われたなあ。 2023/6/2(石川浩司)

黒柳徹子「窓ぎわのトットちゃん」。
1981年「窓ぎわのトットちゃん」発刊時、19歳の私はすぐに本書を買い求めました。なぜならトットちゃんの幼少期と我が母親の幼年期の人生がリンクしたことを知っていたからです。
個人的なことを言わせてもらうと、私の大叔父は音楽教師で「窓ぎわのトットちゃん」に登場する、トットちゃんが退学になった赤松小学校にずっと勤めていました。1945年学童疎開で児童が地方に疎開する中、アメリカ軍の空襲に備え火災から学校を守るため、一家全体で疎開はせずに大岡山の家にてずっと戦火から逃げずに一家は小学校を守ったのだそうです。
母や母の従兄弟たちは、トットちゃんと直接の交流はありませんでしたが、トモエ学園のトットちゃんの同級生の二世たちの中、私が中学生時に学習塾にて知り合いだった子供が何人かいたのです。その紹介がされているのを本書で発見したとき、私はびっくりしてしまいました。確かに昭和10年代、母とトットちゃんは自由が丘駅から北千束駅までの界隈ですれ違っていたのでしょうね。そんな親しみを込めて本書を読んでいました。2023年、トットちゃんがアニメ化され、石川さんも声優として出演されたことを聞き、特別な感情を持つに至った次第です。 2024/1/11(波照間エロマンガ島)

この本、空前のベストセラーだったよね。読んでないけど。中上流家庭だと思うのだけど、それでも戦時中はあんな暮らしをしていたんだなあ、という映画でした。 2024/1/11(石川浩司)

石川さんがテキトー日記で読みやすいとオススメしていた、東海林さだおさんのエッセイを図書館で借りて初めて読んでみましたが、確かに読みやすくて面白かったです。
昔から読んでいた椎名誠さんのエッセイなどでも名前は聞いていて、知ってはいたもののなんとなく読まないままで来ていましたが、これから先、少しずつのんびりと色々読んでいこうと思いました。 2024/1/11(たちつ亭と~助)

漫画家で文章もあれだけうまい人も珍しい。独自の文体を持っているよね。 2024/1/11(石川浩司)


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