話題119 アート



先日「男はつらいよ」の何作目か忘れましたが、陶芸家のおじいさんが出てくる話で、そのひとが自分の芸術について寅さんに語っていました。でもと寅さんは酔っ払ってうとうと寝てました。そのおじいさんのお話は芸術家ってかんじでうーん納得っていうかんじでしたが、その話に全然興味なさそうな寅さんも芸術的でした。芸術(アート)とはなんなんでしょうか。

***レス(発言は古い順に並んでます)***


俺はアートは「なんらかの感情を動かすもの」だと思ってる。悲しみ、おかしさ、怒り、あと言葉では伝えられないけれど、何かを感じさせるもの。だから「これがアートだ」という主観的な物ではなくて、客観的な物。その人がその作品なりに何かを感じれば、他の人が何と言おうがアートだし、何も感じなければ、どんなに「芸術的に価値がある」と他人から力説されようが「その人にとって」それはアートではないと思うなー。03/9/22(石川浩司)

その人の主観によると思います。
私が個人的にアートだ、と思うのは、おっさんが山奥で作ったチャチな遊園地(けったいなマネキンが立ってるだけだったり、自作の変なロボットとか。某番組ではこういうところを「パラダイス」と呼んでいます。)や、よくそこらへんのお母ちゃんらが作るような「何に使うねんこれ」っていうような意味不明の人形、キルティングだらけ、謎の発明品など。03/9/29(たにし係長)

アート。なんでしょうね…。美術史を勉強していて展開される西洋美術や東洋美術をみると、やはりこれは芸術であるな、と根拠もなく思います。でもでも、何を見てもアートだアートだと大ハシャギする昨今の風潮はあんまり好ましくないような…。私の視野が狭いのかしら? 03/9/29(まりじ)

他人に何かを伝える力を持つ表現の形。だと思います。03/9/29(わにこ)

芸術的センスがない私の意見ですが、絵でいうと「写実的な絵」より幼稚園児が描く絵が好きです。
画用紙からはみ出していたり、人間より犬の方が大きかったり…。
本物そっくりなら写真で伝わります。絵だから表現できることってありますよね。03/9/29(るつ)

3つの要素があると思います。「感動するもの」「唯一のもの」そして「先入観」。芸術と呼ばれるものって、これらの要素が多かれ少なかれ、いろんな形で見え隠れしているような気がします。 03/10/13(作戦失敗)

自分が「アーっ」と思えるものがアート・・・(汗)。
一応真面目に考えてみたんですが。 03/10/21(かえる)

それ正しいと思うよ。広義での「アーっ」ね。いちいち本当に声あげてたら、ちょっと怖い。 03/10/21(石川浩司)

私にとって「んー、よくわからんなー」というものが多いです。説明されなければわからない。説明されてもわからない。作品を作った人にしかわからないもの。 03/10/21(めめ)

感覚だからね。言葉で説明出来なくたって、感じられるものはいい物。 03/10/21(石川浩司)

るつさんの意見に同感。主観と客観の使い方もアートにとっては大事ですもんね。 03/10/21(くにゅ)

自分的には「心にひっかかるもの」創るににしても鑑賞にしても。 03/10/21(あきたけ)

そうそう、まだまだ「ニヒル牛」での作品を見ても正直「もっと自由な発想の作品が欲しいと思う。他の人が何とも思わなくてもひっかかるものは沢山あると思う。 03/10/21(石川浩司)

「まだまだ」ですか。さすが豪腕プロデューサー。
わたしは、ニヒル牛ではなにかしらのパワーをもらって帰ります。「生きる力」(文部科学省用語)みたいなものを。
そういうのがアートじゃないかなと。
親しい友人に高校の美術の教師がいて、近所の美術館で大きい展覧会があるときは解説つきでつれていってもらうことがあります。たしかに、パワーを発散している(と私に感じられる)ものはありますが、大きいだけ?と思っちゃうのもありますね。見る人(聞く人なども)の経験や状態で、何をアートだと感じるかは違うとも思うし。
ちなみに奈良の博物館で高さ1m以上の「銅鐸」を見たときや、堺市で世界一の広さの墓である古墳を見たときや、有孔虫という大きさ0.1mmくらいなのにきれいなアンモナイト形をしてる貝を顕微鏡で見たときにも感動してしまいました。ヘン?03/11/04(かづ)

いやいや、すげー大きい物や、すげー小さいのにちゃんとしているものって、割と共通して感動するものかもね。 03/11/04(石川浩司)

基本的にモノづくりは好きなのですが、俺的にアートと言ったら生き方だと思う。
人生って長いようで短いから、自分自身がどうなりたいのか、どう在りたいのかを知ってアンテナを張り、行動を起こすといろんなドラマが起こる。それが形になることで作品が出来上がるのだと思う。
 その行動を起こす過程で何かを作って発表したり、事業を起こしたり、何か形になれば何でもいいと思うんですね。
 だから、ミクロからマクロレベルまで考えるとそれは人生であって、生き方で出来上がったアートだと思う。 03/12/1 PN/ポコニャック

そーなんだよね。技術なんてあとからついてくるから、まず細かいこと考えずに自分のやりたい事に猪突猛進。ガオーッ! 03/12/1(石川浩司)

直感的に「来たー!」と思ったものが、僕の中ではアートです。04/5/4(ペロ)

誰の本だったか失念したが「芸術は(広い意味で)人を驚かせることである」は妙に納得したことがある。04/5/4(石川浩司)

美術・芸術の範疇に入らないもの、たとえば洗剤の入れ物など量販品であったとしても、自分の好みに合ったものは何でも「アート」だと勝手に定義しています。日常のことでも見て聴いて心地好いものを選びたいなと最近はつくづく思います。04/5/10(のん)

ま、実際どんな商品もデザイナーが入ってる、ということもあるしね。最近は「壁や道のシミ」もアート的に感じると写真撮ってます。04/5/10(石川浩司)

皆さんの意見まとめちゃうと存在するもの全てアートって事ですかねー。 04/5/24(勾丞)

「貴方がそれをアートとして見られる才能があるなら」全てアートです。04/5/24(石川浩司)

感動するもの、かなぁ。
今日公園できれいな落ち葉を見て感動しました。
落ち葉を絵に書いたり写真に取ったりって言うのよりは、本物の落ち葉の持つ美しさや迫力がいいなぁと思いました。
子供の描く絵もパワーを感じます。小奇麗にまとまっている絵より、感覚的な勢いのある絵の方が私は好きです。 04/10/11(きぃ)

広い意味での「感動」つまり心のひっかかり。それは絵画だとか音楽だとか「芸術」というジャンルの中にだけあるものじゃなくて、自分がみつけさえすれば、その落ち葉でさえ芸術になる。アートは作るものだけじゃなくて見つける側の能動的な感性が必要だと思うニャ〜ッ。 04/10/11(石川浩司)

この世の中に表現されるもの全てがアートである。
なんちゃって。04/12/20(さっちゃん)

表現する意志のないものでも観る側の意志でアートになるものもある。自然に出来た妙な形の小石とか。 04/12/20(石川浩司)

自然に出来たお尻のオデキもアートです!05/1/17(ペロ)

もちろん! なかなか自分で見られないのが忸怩たる思いだが。 05/1/17(石川浩司)

アートはその人の人生とか生活が反映されてないとつまらないですね。だからたけしはつまんないです。アートのパイオニア気取ったり芸大の教授になるにおよんで結局この人のアートに対するこだわりはただの劣等感なんだなって感じです。おやじがペンキ屋という事実から逃げたいんでしょうか 05/3/7(正)

うーん、ま、教授とかの件はわからないけど、アートってある種の劣等感やマイナスの物から爆発するものの方が面白かったりもするんだよね。ニヒル牛の作家さんとか見てると劣等感が強そうな人の方が個性的で面白い作品を作ってくる割合が多い気がする。優れた表現者にはたいていそういう社会的不適応者としての劣等感意識のある人がジャンル問わずある気がするなー。 05/3/7(石川浩司)

アスキーアートも極めれば本物のアートになるんでしょうね。05/4/13(kyuuri)

>優れた表現者にはたいていそういう社会的不適応者としての劣等感意識のある人がジャンル問わずある気がするなー
 ぼくもその通りだと思います。本物はみんなちゃんと劣等感を認めることが出来るというか。でもたけしはその劣等感を認めることが出来ない感じ。小津の映画見るといつも、問題提起する人もまた問題を抱えてるんだなと思うんですが。たけしの場合は「ぼくは問題提起しますがぼくには何の問題もありません」と言いたげでイヤです。ぼくの言いたかったたけしの劣等感とは石川さんやつげみたいに自分自身に対するものというよりは他の表現者や芸術家に対する劣等感。ある意味妬みみたいに見えます。

あと荒れた生活送って女にだらしなければ芸術家さと勘違いしてる奥田瑛二監督の映画も見たんですがエセアートだらけで見てて恥かしくなりました。でも見方変えて勘違いが楽しいつっこみ映画としたら最高でした。で、とどめに聞いたことのない国際映画祭の賞もらってるとこがステキ。ある意味奥田みたいな人は必要だと思いました。05/4/13(正)

オノ・ヨーコのアートは、、、分らなかった・・・。未熟だ。05/4/18(ペロ)

ま「前衛芸術」なんて「分かった!」と言ったら負けみたいなものなので。 05/4/18(石川浩司)

ニヒル牛の作家になりたいぴょ〜ん。05/7/4(ペロ)

作品さえあれば誰でもなれるよ〜ん。05/7/4(石川浩司)

今、映像作品を考え中です。でも時間が・・・。05/7/11(ペロ)

時間が戻って子供に!? ペロ、俺にもタイムスリップのやり方教えてくれっ! 05/7/11(石川浩司)

自分的には、岡本太郎さんが生き方も考え方もアートっぽいと思います。著書を読むと増々「凄いな」って思いました。
あとは誰が作ったどんな作品でも、自分が「好き!」って思えば、全部芸術だと感じます。結局自分の感覚が基準ってことでしょうか? 05/8/3(かなめ彦)

やっぱり岡本太郎は全身小説家ならぬ全身アートだったね。子供の描いた絵を見て太陽が赤く塗られているのを見て「本当に君には夕陽でもない太陽が赤く見えるのかっ!!」とまじで怒っていたのには感動を覚えた。 05/8/3(石川浩司)

せっかく悩み相談でもお答えいただいたのに、 悩むりあちゃんです。
私はまだまだひよっこで、 しかも褒められてぐんぐん伸びる立場なので、 褒めてもらえなかったりするとへこんでしまう・・・
わたしはアーチストに向いてないのかにゃー。。。 07/4/2(りあ)

いやいやそれは当然だよ。俺だって未だにそう。お悩み相談はあくまで「あぁ考えた方が良いよ〜」ということで。俺も批難とか浴びるとすぐ落ち込むよ。誰だってそうじゃない? 俺ももちろん誉められて伸びるタイプなので、みんな遠慮なくグァングァン誉めてくれ! さり気なく誉めて、正面きって誉めて、陰でこっそり誉めて、掲示板で誉めて、ミクシィで誉めて、ラジオで誉めて、テレビで誉めて、朝起きたら誉めて、トイレの後にも誉めて。誉めて誉めて誉め殺してぇぇぇ〜っ! 07/4/2(石川浩司)

わしの知り合いの人は自閉症なんだけど、その人はいつも絵を描いている。会うたびにわしに絵を見せてくれる。毎日絵を描かなくちゃいけないと思ってるみたいで、一週間先の絵まで描いていたりする。
たまにわしにも絵を描いてくれと言うので、描いてあげたりする。するとわしの描いた絵に色をつけてプレゼントしてくれる。
そして今度は自分の描いた絵に詩を付けてくれと言ってきた。なので今その絵に詩を付けてるところ。
心の交流ならず絵の交流とでも言うんだろうか?やってて楽しいです。
こういうのもアートだと思うんです。それにくらべて世間で言うところのアートって威張ってる気がする。不思議です。  07/9/23(2代目水牛)

俺も威張ってるアート大嫌い。なので素人もプロもごちゃまぜの無審査のニヒル牛を作ったのです。  07/9/23(石川浩司)

アートとは。うーん。「表現するもの?」
当たり前すぎる答え。
自称アーティストりあちゃんでした。 07/10/4(りあちゃん)

表現したものを他人が何かしら(喜怒哀楽)感じてくれるものかも。 07/10/4(石川浩司)

芸術作品って素人にはよくわからないようなのが多くないですか?
玄人受けというかなんというか…。
そういう一部のレベルの高い人間だけが「すごいすごい!」と騒いでいるのもどうかと。

かと言って大衆受けするようなものって逆に薄っぺらいような気もするし。

芸術性と大衆性を合わせ持った作品って案外少ないのかも?
でも「たま」はお世辞抜きに凄く良いと思います。
僕がえらそうに言うことじゃないけど…。 07/11/1(ミッヒー)

アートを言葉で語ろうとするから難しくなっちゃうんだよね。そもそもアートは「言葉では表現しきれないもの」をあらわす手段なのだから。
なので感覚というか感性というものがあって、これに合致すれば感動が生まれる。
ただ何ぶん感覚というものは人によって違うし、ある種それぞれの趣味の領域もあるので、どの作品を素晴らしいと思うかは本来自由なのだ。
なので評論家が「すごい」といくら言っても自分にとって面白くなければゴミと同じ。
逆に「これは駄目」と評されたものでも自分が何か感じ取ることが出来る作品なら、それはあなたにとって立派なアートとなるのだ。
アートは作った本人だけではなく、観る側もいて初めて成立するものだと思う。 07/11/1(石川浩司)

? 今、完全に「なんだアートとは」と思っているところで、どんどんわからなくなります。自分で作品を作っているときもどんどん考えすぎてもう出来上がったときにはこりゃ楽しくないものになっていました。でも最近ちょっぴり抜け出してきた感じで素直に自分がやりたい、どうしようもないと思ったものを認めてあげると 楽になりました。こうでなくちゃ、とか意味がなくちゃとかそんなことより出てきたものを信じるようになると今までの作品よりとても好きなものが出来ました。でもよくわかんないけどね。 07/11/1(そのふ〜ど)

わかんないままでいいんだよ。

むしろ、
分かってしまったらそこでおしまい。

混沌として自分でもよくわからないんだけど「いい」と思った作品を作るしかないと思うなー。 07/11/1(石川浩司)

「表現者はコンプレックスのかたまり」ってのは僕もすごく思います。

僕もコンプレックスの多さには自信ありです(笑)
根本的な変えられない部分が人よりも劣っているという意識が昔からあるので。
だから根性ねじまがって、物事を斜めとか裏側から見る性格になっちゃいましたよ…。

そういう意味では表現者向きかも!? 07/11/10(ミッヒー)

そうかもね。まっすぐに物を観てたら他の人の視点と同じだから逆に芸術的には観られないかもしれないもんね。コンプレックスの勝ち! 07/11/10(石川浩司)

そうそう、アートってやつはなんか作ってみようかなって思ってると、なんだかわからないけど、自分の中から生まれてくるんですよね。
そのなんだかわからないものが、かまってるうちに完成していって、出来上がった直後はなんだこれ?
って思ったりするけど、だんだんいとおしくなってきて、あーもうかわいくてたまらん!ってなるんですよ。だけど、それを他人がどう評価してくれるかは、人それぞれ違うから結局は自分が作っていて楽しいものとか、表現していきたいことができればそれでいいんじゃないかなって思います。 07/11/10(2代目水牛)
そうそう。なのだけれど趣味でやっている場合はそれでいいのだけど、プロになると辛い。「何を作ってもOKがもらえる」などというのはよほどの天才以外には無理。たいていクライアントの注文とのバランスの中で作らなければならない。みんなそこに苦しむんだよね。 07/11/10(石川浩司)

これはアートだ、って定義付けっていつもよくわからないです。意外に「どうだ、これがアート様じゃ!」っていうようなアートポジションのものにドキドキしなくって、まったく関係ないそのへんにあるようなものに「芸術的だわ・・・・!」とか感動することもあるし、アートってなんだよって考えれば考えるほどよくわからなくなります。
「素晴らしく感動を与える創作物」がアートならば、偉い人が「アートです」って選定しなくっても、そこらじゅうにアートは転がっているように思います。07/11/28(ことり)

そして「見る人の視点こそアートだ」ということを教えてくれたのが赤瀬川原平。「トマソン」の定義などは、まさに意図されなかったものを芸術にする「見る側がアートにしてしまう」方法。俺はこれには随分感化された。07/11/28(石川浩司)

見る側が防御を外す事ですね。
何がアートかわからないけど、これすげー!でもいい。
感覚に対して無防備になること。
そうする事で『見る』ってことが楽しくなると思うし、自分なりのアート観が生まれるのではと思います。
そしてそういう人に作品を持ってもらえれば、作り手も嬉しいだろう、と。 08/4/8(でーひー)

そうそう、アートは見る側もあって初めて完成する。「びっくり(広義で)のないものは芸術ではない」と誰かが言ってたけど、まそにその通りだと思う。
でも価値の分かる人が必ずしも芸術作品を買えるわけじゃない。というか分かりそうもない人ほど購入に血道をあげる。悲しいのぉ。 08/4/8(石川浩司)

最近何でもかんでも「アート」と名付けられて、使われすぎて何かうさんくさい響きの言葉に聞こえてしまうのは、私だけでしょうか…。「アートの祭典」とか。アートって名付けておけば、何かオシャレな感じがするし儲かるかもっていう考えの人が中心になってやってそうで嫌だ。考えすぎかしら。 09/11/1(ぴよまる)

どんな言葉でも使われ過ぎると安っぽくなるよね。
愛とか、もう冒涜されまくり。
行政がよく使う「ふれ愛広場」とか、もういい加減にしてほしい。
シャレにもなってないし、かえって不愉快。  09/11/1(石川浩司)

アンディ・ウォーホルは「僕はビジネス・アーティストか、アート・ビジネスマンになりたい」と言っていました。
俺は“芸術”よりも、“芸術的なもの”の方が好き。 09/11/9(DO)

俺もそうかも。音楽と演劇と舞踏と言葉をおちゃらけで包んだような表現をずっとしていたいと思ってるんだよね。
もう少しビジネスになる方法はないものか・・・。  09/11/9(石川浩司)

よくわかんないけど、見たり聴いたり触ったりした時に、うおぉぉぉってなって、うれしくなる。 11/3/29(黄色いさんた)

うん、それだけでいいんだよ。感情が揺さぶられればアートとしては成功だと思う。 11/3/29(石川浩司)

最近よく分からなくなってきたのは「作品を人前で発表する」という事。これは一体何なんでしょうか?そうしてそれを見たり聴いたりするという行為も一体何なのか?
楽しむため、それだけでいい気がしますけども、楽しむ事がそんなに大事なのかな、という気もしてしまうんです。
表現せざるを得ない人が表現する、してしまうというのなら分かるんですが、「創造的な」表現をしなくたって生きていける人がアーティスト面してるのには立腹してしまいます。勿論人それぞれなので、話を聞いてみない事には分からない事もあるんでしょうが。
でもだからと言って、深刻なものばかり真剣なものばかりというのもくたびれます。大真面目に遊んでいる丸坊主の方のような人が増えると良いですね!!
結局のところ、好きかそうでないかしかないのかな?何でか分からないんだけども突き動かされる、とか。理屈じゃないんでしょうね。 11/3/29(餡麺麭)

極論すれば、説明がなくても何かを感じとれるものが、その人にとってのアートだと思うんだよね。
なので同じ作品でも、受け取る人によってアートなものとそうじゃないものがある。 11/3/29(石川浩司)

すべてのものがアートになり得るんですね。本当に、すべてのものが。
アーティストと名乗ってる人達は、他の人がまだ気づいてないものに気づくのが上手かったり早かったりする人達なのかな、と思いました。
だから実は、すべての人がアーティストなんだー!! 11/4/7(餡麺麭)

「見る者の視点がアートを作る」は赤瀬川原平あたりから学んだことだな。
風景写真なんかも「元々あるものの、どこを切り取るか」がアートだもんね。 11/4/7(石川浩司)

10代の頃からアートとは何かについてずっと考え続けてきました。その中で手がかりを与えてくれたアーチストの一人にオノ・ヨーコさんがいます。彼女の芸術論で私が影響を受けた言葉をちょっと長いですが引用します。

〔引用開始〕
マーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」と言ったけれど、私は「メッセージはメディアである」と言っているんです。私たちはみんなメッセージをもっています。つまりコミュニケートしたいものを。「好きだ」というんでもいいし、「嫌いだ」というんでもいい、「愛してくれ」というのでもいいのです。そのメッセージ自身がメディアなんです。こういうふうに表現しなければ芸術でないとか、こういうふうにうまく言わなければコミュニケートできないとかいうのではなくて、どんな方法でも、あなたがコミュニケートしようとするその方法が芸術なんです。
どういうコミュニケートの方法が芸術としていいか悪いかとかいうのではなく、すべての人がメッセージをもっていてそれをコミュニケートする、ということがとても大切だと思うんです。「メディアはメッセージである」というのは、もっとインテレクチュアルなアーティスティックな発言です。「メッセージはメディアである」というのは、ごく普通の、一般大衆の、労働者階級でも何でも人が言おうとしていることすべてがメディアである、ということです。「メディアはメッセージである」というのは、まだメディアを問題にしているわけですから、非常に知的なのです。しかしメディアなどというのは、メッセージ自身がメディアだということを、私はいいたいわけです。今、コミュニケートしているのは特権階級の人だけでしょう。コミュニケートできない人は、自分はお金がないから、自分は才能がないから、自分はコネクションがないから、などと理由づけて、欲求不満になっています。欲求不満があるから暴力が起きるんです。その暴力がなくなれば平和になりますね。だから、平和への道というのはコミュニケーションだというんです。トータル・コミュニケーション、つまり世界中のすべての人が完全にコミュニケートしている状態ならば、それはそのまま完全な平和であるわけで、そうなれば平和など何の意味もなくなってしまうでしょう。そういうわけで、今度のショーは社会的に大きな意味があると思います。社会的に意味のない展覧会などというものは意味がないですね。
・・・・・・昔は、自動車を持っている人はごく一部の人だけでしたから、いまに世界中の人がすべて、自動車を持つときが来るだろうといわれてました。そんなときはもうすぐです。残るのは、コミュニケーションだけです。自動車はだれでも持っているけど、コミュニケーションできるのはごく一部の特権階級だけというのではなく、すべての人が、一生に一度は世界中の人にコミュニケートできるチャンスをもつということ、そういう公平もなければならないと思います。そしてその前に、すべての人が、切実にコミュニケートしたいと願う自意識をもつことが大切なので、私が今度のショウでいちばんしようとしたことは、人びとにそういう自意識をもたそうということなんです。スピーチでも私は、「私は特に才能のある芸術家ではないが、切実にコミュニケートしたいと願っている」と言ったのですが、言いかえれば、すべての人に才能はあるけれど、切実にコミュニケートしたいと願っているかいないかという違いがあるだけで、切実なコミュニケーションの願望だけが、イマジネーションを生むということです。 〔引用ここまで〕

オノ・ヨーコさんのこの"Message is media"というインタビューは1971年にされたもので、初めて読んだとき非常に感銘を受けました。コミュニケーション不全が欲求不満を生んでいる現代で、世界中のすべての人が完全にコミュニケートしている状態になれば不満はなくなり、完全な平和な状態が訪れるようになるだろうということ。現在コミュニケーションのチャンスが公平に近づいてきたインターネット時代をある意味予見した言葉である気もします。 しかしながらそれから40年経ち、まだ人類は迷走しています。
けれども、切実なコミュニケーションの願望だけは常にもっていたいです。このウェブサイトに今こうやって投稿していることも、何らかのメッセージを誰かに伝えたい、共有したい、という「アート」な行為ではないかと私は考えています。 12/1/24(波照間エロマンガ島)

御意!本当にそう思うね。
ところで義姉が最近仕事でヨーコさんにインタビューしたそうだが、その時の雰囲気はこの界隈では有名なモダンガールのKさんに非常に良く似ていたらしい。 12/1/24(石川浩司)

きっちり同じ形で積み重なる紙皿とか、お菓子のパッケージとか(日本のパッケージは世界でもかなり上の美しい印刷。丁寧なつくり)にもアートを感じます。手作り一点ものもいいですが、これだけきっちり同じに作るのにどれだけの人の手がかかっているんだろう、すごいなあと思います。
あと飼い主のひいき目で、ペットの文鳥のぴよまるの姿はどこから見てもキュートすぎるのでグッドデザイン賞をあげたいです。 12/8/16(ぴよまる)

生物ってグッドデザインのもの多いよね。
海の生き物なんか、相当シュールな画家でも思いつかない形をしている奴もいるしね。 12/8/16(石川浩司)

やっぱ人から見られなきゃアートじゃないっていうことなんですよね、とココを読んでいても思います。どんなに素敵なものをつくってもそれが誰にも見られなければそれはアートではない。だからアートは媒体(メディア)とオノヨーコさんもおっしゃったような気がします。  15/10/20(Sabina)

ただアウトサイダーアートで有名になったヘンリー・ダガーの様に死後発見される人もいるよね。
もし発見されなかったらアートじゃなくなるとこだった。
また赤瀬川原平のように一般の人が何も感じないものに「視点」を与えることでアートになるものもあるからね。
写真なんかも「風景をどう切り取るか」だしね。
それを作る人だけじゃなく、見る者が発見するアートっていうのもあるよね。  15/10/20(石川浩司)

発達障害者のアート力は凄いって言いますよね。一度見ただけの風景などを全く同じに書けるとか、電車が走っている所を一回見ただけなのに、電車の細部や周りの景色、色彩までほぼ正確に模写できるなんて凄すぎ。 16/12/3(わいわい)

山下清がそうだったんだよね。
いろんな風景画はその場で描いたんじゃなくていつも旅から帰ってきてから思い出して学園で描いてたんだよね。 16/12/3(石川浩司)

16/12/3の石川さん。最近山下清の「ヨーロッパぶらりぶらり」という紀行文を読んだのですが、ヨーロッパ旅行でスケッチした絵をもとに日本でものすごい細かく絵を描いていた様子が描かれていました。

話はちょっとずれますが、このヨーロッパ旅行に随行したのが山下清の才能を発見し指導した式場隆三郎博士という精神病理学者です。実はこのトピックを書いている数十分前に話題169で三島由紀夫の「仮面の告白」について書いていたところ、この作品にも式場隆三郎博士が関わっていることを知りシンクロに驚いたしだいです。三島由紀夫は「仮面の告白」発表後、自著を献呈し、自身の性的不能について式場博士に意見を仰いだとのことです。あれ、どこかで読んだ名前だなーと思っていると、山下清といっしょにヨーロッパに行った式場先生だ、と気がついた。山下清と三島由紀夫がこんなところでつながっていたことにびっくりしました。 17/12/31(波照間エロマンガ島)

多分天才にしか興味のない博士だったのかもね。
トキワ荘もそうだけど類は類を呼ぶということもあるしね。 17/12/31(石川浩司)

17/12/31の石川さん。最近、故・赤瀬川原平さんや藤森照信さんが活動していた素人建築探偵の「縄文建築団」について調べていたところ、東京都江東区門前仲町二丁目にあった怪建築「二笑亭」についての項目にこの式場隆三郎博士の名前が出てきてびっくりしました。この建物は関東大震災後の1927年から建てはじめ1938年に取り壊されましたが、近所からはお化け屋敷と呼ばれて気味悪がられていたそうです。施工主は深川の地主の渡辺金蔵という男性で、思いつくままに設計図もなしに大工に建物を建てさせたものの、途中で変更に次ぐ変更で異様な形に建て増しされた住居ができ、しまいには家族も耐えられなくなり別居、渡辺も脳病院に入院してしまったとのことです。この怪建築の解体寸前に式場博士は建物の中を調査に入ったというのです。調布にある自宅を建て増し続けた漫画家の水木しげるさんも興味をもったそうで、1996年に雑誌連載された「東西奇ッ怪紳士録」にこの「二笑亭」が取り上げられているとのこと。2018年はこの辺りがわたくしの興味の中心になりそうな予感があります。 18/3/17(波照間エロマンガ島)

「二笑亭奇譚」俺も買って読んだ。
その現代版が高知の沢田マンションなのかもね。 18/3/17(石川浩司)

先日、金沢の21世紀美術館に行ってきました。
とってもオシャレな空間にぽつりぽつりと偉大な作品が展示されています。
結構見に来ている人も多く、場所柄か外国の方も多くいらっしゃいました。
ただ、自分には全く理解できませんでした。
大きな木をうす〜くうす〜く切って元通りにした作品。
本をめくる作品。
とても意味があるものなんだと思いますが、自分のレベルが達してないのでしょう。
わかりませんでした。芸術って難しいです。   18/6/3(よこよこ)

芸術はわからなくていいんだよ。感じれば。 18/6/3(石川浩司)


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