石ヤンのてきとー日記(写真は下記日付をクリック)

99/12/22:
99/12/25:
99/12/30:

12月31日

 恒例となってきた、大晦日のオールナイトライブ「トーキョースットンキョー」のvol3を吉祥寺のスターパインズカフェで。出演は斉藤哲也ユニット、割礼、大谷氏(シロヒトリ)、エコーユナイト、栗コーダーカルテット、あらきなおみバンド、ワタナベイビー、原マスミ、たま。たま以外でも、大谷氏の時はブルースマンや掃除機男、カウントダウンの時はウオッチマン(「伝言板」であれはウオッチマンじゃなくて、クロックマンでしょ、と言われた。た、確かに。でも、もう3年間もウオッチマンと言い続けたので、大人の意地として、間違えを認めるわけにはいかない。首からぶら下げた時計、俺の体を腕に見立てれば、ウオッチマンさ!)になり、ワタナベイビーや原さんの時はバックをし、各バンドの間には司会もあったので、ほとんど休む暇なし。なので、最後に本業のたまをやったら、曲のテンポがバンド全体であまりにも遅くなっていて、自分達ながら苦笑してしまった。昔から長時間ライブとかをやると、本人たちの意識はあまりないのだが、どんどんテンポがスローになっていく傾向があった。体が疲れてくると、自然にゆっくりとしたテンポの方がカラダに気持ちいいので、「なりゆきナチュラル派」の俺たちはついついそれに体をまかせてしまうので、通常サイズ4分半ぐらいの曲が平気で5分を越えてしまうのだ。しっかし、遅かったなー。「ハダシの足音」も「あるぴの」も。もう少しで止まったぞ。

12月30日

 ということで、きのうはホテルにチェックインしたのが、すでに朝の5時。昼前、ホテルを出るも、せっかく大阪に来たのでホテルに荷物を預けて、町歩きに出かけることに。

 まずは、地図でみつけた「大物」へ。阪神電車に梅田からちょっと乗ったところだ。どんな大物たちが町を闊歩しているのだろうか。と思ったら、なんかあんまり町に人がいない。さすがに大物は町なんかうろちょろしないのかな、と思ったら今日は晦日だ。大物といえども、家で大掃除をしているのだろうか。大物だからきっと細かいことにはこだわらないで、「えぇい、この窓ガラス、汚れが目立ってきたな。よおし、捨ててしまえー。おぉ、風が直で、寒いわい。ワッハッハー」ってな感じだろうか。

 それから西九条というところに出て、珍しい「河底トンネル」に行ってみる。ここと九条という町の間には川が流れていて、橋の代わりに河底トンネルがあるのだ。そしてそのトンネルにはどちらからも自転車とかも乗れる大きなエレベーターで川底に降りていくのだ。ちょうど俺が乗った時、「施設」の人らしい人達も数人乗っていて「うわぁ、このエレベーターでっかいなぁ!」「うわぁ、川の下だよ、ここ!」と嬉しそうにはしゃいでいたのが、俺も嬉しかったなぁ。

 大阪ドームのあたりまで歩き、地下鉄で難波に出て、「王将」で飯を食い、道具屋街、電機屋街をうろつく。と、いつのまにか通天閣の近くのアレンジボール屋へ。俺はパチンコは全然駄目なのだが、このアレンジボールというやつがどーにも好きなのだ。昔ながらのひと玉ひと玉「手打ち」で、数字の書いてある穴に玉を入れていき、その数字が文字盤の縦や横で揃うと、コインが出てくるのだ。最近は寂れた温泉地でたまに見かける程度で、普通の町からはほとんど姿を消してしまった。なので大阪で時間があると、ついつい唯一残っているここに来てしまう。入ると、あいかわらず客も少ない。俺もこれに関しては懐かしさから入っているので「勝つぞ!」なんて気持ちもなく、「30分ぐらい遊ぼせてもらおー」と打ってたら、なんとすぐに7が3つ揃ってしまった。他の店ならともかく、こんな潰れそうな店で出すのはむしろいたたまれないような気がするが、出たものはしょうがない。店の親父に「とにかく、180枚出すから、打ってよ。」と言われて、結局、結果はわかってるものの、儀式として打っているようなものだ。案の定、打ち止めまで打ったら、コインの数すら数えることなく、「はい、7千円ね。」まぁ、一応景品交換所に行くという、これまた儀式は通過したが、東京だったら、暗黙の了解でわかっているとはいえ、店の人が現金の額は口にしないよなー。

 12月29日

 三上寛さんの、首を絞めてしまった!

 本日は、あこがれの三上寛さんとジョイントできる、ということで、張り切って新幹線に乗って大阪へ。今年の頭にも「石川浩司2days」をやらせてもらったレッド・ライオンに夕方到着。イベント自体は昼頃から「忘年会ライブ」として延々やっていて、そのゲストで俺と三上さんが夜からの出演で呼ばれたのだ。楽屋で三上さんと挨拶。以前、群馬のイベントで一緒になり、その時は即興でコーラス(雄叫び?)をつけたことはあるものの、正式な形のジョイントは初めて。

 ライブのMCでもしたが、俺の体の22、3%は三上寛(あえて敬称略)で出来ている。中学の時、たまたま古本屋でみつけた三上寛の「愛と希望に向かって撃て!」という文庫本で、はじめてアングラの世界を知り、そこからズブズブとはまっていったのだ。つげ義春に、寺山修司に、「ガロ」に。なので、その古本屋で三上寛の本を手に入れてなかったら、あるいは全然違う人間になっていたかもしれない。今頃は、背広を着てどこかをギクシャク歩いていたかもしれない。(そんなこたぁ、ないか!?)また三上寛はその強烈な詩の世界だけでなく、「コードが3つでも曲はできる」ことも教えてくれた。これも生まれながらの不器用自慢で、今でもFをごまかしながら弾いている俺には、青天の霹靂だった。「なんだ、それでいいんだ!」と。とにかく、多感な中学生時代の俺の一大ショックだったのだ。

 そんなこんなで、まず俺が4曲ほどソロをやり、三上さんが4曲ほど唄ったところで、3曲ほど三上さんの歌に「鳴り物」でセッションをすることにした。いつものおもちゃ笛とか、鍋とかも持っていったのだけど、なんか足りない気がして、近くの100円ショップに走り、プラスチックのバケツと、何故かビニールテープや、パンツに使うゴム紐も買ってしまった。

 そしてセッションは始まった。最初はいろんなオモチャの音とかをバリエーションで使おうと思っていたが、さすがに御大の歌が始まるや、そんな生っちょろい音ではどうにも太刀打ちできないことに気づいた。すぐに叩くはずだったバケツをひっくり返し、鍋をたたき付け、「生ノイズ」を出し続けた。ビー玉を客席にばらまき、ビニールテープを自分の体に巻き付け、うめきながら犬の鎖をジャラジャラさせた。そして、幼児退行パフォーマンスをしているうちに、ハッと気づいたら、俺はなんと三上寛さんの首を、ゴム紐で絞めていた。あこがれだった、俺の「心の師」の三上寛さんの首をパンツのゴム紐でギュウギュウに締めていた。まるで愛の裏返しのように・・・。

 打ち上げで三上さんに「あれ、男物のパンツのゴムだろ? どうせなら、女物の赤いゴムでやってくれなきゃ。」と言われた。・・・師匠、今度はそうさせてもらいやす!

12月28日

 スタジオのある駅を乗り過ごし。なんとなく冬木立を車窓からぼーっと眺めていたらなあんか見覚えのない景色になってきて、いつのまにか次の駅になってた。ひと駅乗り過ごしただけなのに、とてつもなく遠くに来てしまったような気がした。「西武立川」の駅は淋しいぞ。列車を乗り過ごしたのなんて、10年ぶりくらいだ。

 暮れも押し迫ってるのに、某CMのデモテープ録り。いやー、CMのことはなかなか具体的に書けないんだよねー。なんせ、完全に本番まで録って、「さぁいつから放映かな?」なんてちょっと楽しみにして待ってたのに「都合により、商品の発売が中止になりました」なんて言われて結局流れなかったこともあったしなー。

 あとは「たま通信」の取材。最近のライブについて話したのだけど、いやー思いだせねえ、思いだせねえ。おとといのライブにして、目の前に曲順表まであるのに、「えぇ・・・・っと、ネコさんがゲストでぇ・・・えぇと、あとなんかあったっけ?」と3人とも顔を見合わせるだけ。取材が終わってしばらくしてから「あっ、そういえば即興で『神田川』歌ったじゃないか!」とか「こまわり君の『死刑!』のポーズがどうだったか、みんなで前に出てやってみたじゃないか!」とか思い出したが、あとの祭り。うーん、脳の動きがかなりみんなやられてるな。くそっ、これも2000年問題か!

12月27日

 ついにテレビがおしゃかになってしもーた。居間にある、25型の大きいやつだ。どーも1年前ぐらいから、画面の上と下が切れてたんだよなー、ブラウン管の。だから、ゲームとかやっててもメッセージが読めなかったりしてウグゥー、と唸ったりしてしかし、「ま、負けるもんか!」と頑張って見てたんだけど、ここ2,3カ月は画面の上4分の1ぐらいがグシャグシャになり始め、人の首から下ばかり映る不気味な光景になることもしばしばだったけど「くっ、くそっ! やるなら、やりやがれ!!」と下半身だけの映像にさらにじっと耐えていたんだけど、ついに今日、ほとんど真ん中に一本、画面がすじのようになって、あとはもう真っ黒になってしもーた。つまりテレビで映画をやると、横長なので上と下が黒くカットされるでしょう(ワイドテレビは知らないけど)あれが、もっともっとすごくなったやつね。つまり、人が映ると、ほぼ、ベルトだけ。上半身アップだと、ほぼ、乳のあたりだけ。顔のアップだと、鼻だけ。って、クイズ番組の「わたしは誰でしょ〜!?」じゃないんじゃー。しかも当たっても誰も何もくれないんじゃー。くれるとしたら、哀れみの微笑みがせいぜいなんじゃー。

 しかたないので、ほとんど使ってなかった14型のテレビを設置してみたが、いったん大きい画面に慣れてると、小さい、小さい。ひとりで見るならともかく、妻とふたりで見るのには小さすぎる。なおかつそのテレビで恒例の「いただきストリート」というゲームで対戦してみたが、字は全然読めないし、でもそれを無理して凝視するもんだから、目が疲れる、疲れる。う〜む、2000年問題め、なかなかしょっぱなから、やりよるな〜。

12月26日

 紀伊国屋ホールにて、2回公演。昼はトークと他のメンバーの歌やカヴァー曲をそれぞれちょっとずつ歌う「ファンイベント」。夜は「お歳暮」のラク日。ゲストは斉藤ネコさん。いやー、やっぱり最後はどうしても気分的に盛り上がるねぇ。

 アンケートを読むと、「ブルースでGさんのあんなネタ言って、Gさん怒ってませんか?」なんてのがあったけど、おいおい、その辺はGさんだって怒ったフリをする演出をしてるんだから、あんまり真に受けるなよー。本当に怒らすことなんて言うわけないだろー。って、気づかぬうちに、ニッコニッコしながら地雷を踏んでることもあるから、一応、楽屋に戻る途中、「Gさん、まさか怒ってないよね」って、聞いたけど。「怒るわけねーじゃねーか。全然問題ねーよ!」で、なー、みろや。(ホッ)

 って、その「あんなネタ」ってなんだ?と聞かれても教えられない。だって、「石川さんのブルース、HPで見たのばっかり」とか書かれてるからなー。そんなこといったって、愉快なエピソードは極力、この日記に書くようにしてるんだから、しょーがねーだろー。って、書いた人、怒ってないからね。変に気をまわさないでね。って、誰もまわしてないか。あぁあぁ、小心者は気が休まらない。ふふふふ、でも明日は休みだぜ! だらだらするぜ! ふにゃふにゃするぜ! ハラホロするぜ! ロシア民衆歌の石橋幸(タンコ)さんが差し入れしてくれた洋梨が、んんんんんまいぜっ!!

12月25日

 ワッハッハー 今日のライブ(紀伊国屋ホール)はみーんなミスが多かったなぁ〜。しょっぱなのGさんの「鐘の歌」の無気味なコードの間奏にまずドキリとし(リハーサルでも間違えたことないのに)、「『夏です』と1回言った」では、斉藤君が格好良くピアニカでリードを吹くところで、パッと見たら、斉藤君はなにも持ってなくて、手ぶらだし。(実はオルガンを弾きながら、その部分だけピアニカをさっと取り出して吹くのだが、今日はコードかなんかがひっかかってしまったらしく、なにも・・・出なかった) かくいう俺も「東京パピー」の歌詞は間違うし、「ぎが」のラッパはいくら吹こうとウンともスンとも言わないし。(ま、ウンとかスンとか言ったら、そりゃもうラッパじゃないけどな) 

 ま、でもゲストの駒沢さんのスライド・ギターに助けられたかな、と。「サーカスの日」なんて完全にハワイアン調の曲になってしまって、知久君がさらに悪のりして、普段はマンドリン(じゃなくてバンジョーとの指摘を受けた。そのとーりです)なのに、さらにハワイアンを強固にする為にウクレレでかきならすもんだから、クリスマスというのに、やけに夏のビーチになってしまった。駒沢さんは、伝説の「はちみつぱい」とか「久保田真琴と夕焼け楽団」とかで活躍した人で、最近は「リングリンクス」でも渋いスチールギターを聞かせてくれるぞ。奥さんはふたまわりも年下だぞ。俺が中学生と付き合うようなものか。もしくは、知久君が小学生と付き合うようなものか。うーむ。

 あと、「南風」の間奏では、俺がデジタルカメラマンになって、知久君とかのライブ中の顔をアップで撮ったので、近々このホームページで紹介するかな。といっても、この日記のページにはあまり写真を載せられないので(何故なら、HTMLじゃなくて、ボタン押せばページが出来ていく簡易ホームページビルダーで作っているから、いろいろ制限がある)、また新しいコンテンツを作る、っていうことか? まだまだ他にもコンテンツの企画は頭の中に、たあんとあるというのに。大丈夫か?俺よ。ライブのMCのように収拾がつかなくならないか? 俺よ。でも楽しいからしょーがないんだよなー、俺よ。

 ワッハッハー。

12月24日

 クリスマスイブだけど〜 リハーサルなのさ〜 男だらけなのさ〜 汗臭いのさ〜 プゥゥーン〜 ここ10年くらいは、だいたい「お歳暮」の本番か、リハーサルかなのでクリスマス満喫、っていう気分にゃなんないよなー。まぁ人が働いている時にぐーぐー眠りこけてたり、酒飲んでウワッハッハーと笑っている時もあるんだから、しょうがないんだけどねー。

 それにしても、そんな個人的事情をさしおいても、なんとなく最近のクリスマスは盛り上がりにかける気がするんだけど、それは俺だけかなぁ。なんか昔はケーキとかもクリスマスぐらいしか食べなかったから、「わぁ、クリスマスケーキだ!」というはしゃぎもあったりしたけど、最近じゃ、しょっちゅうケーキなんて食ってて、特別の食べ物じゃなくなったもんなぁ。チキンも珍しくないし。この間なんて、スーパーでいわゆる骨付きもも肉が、100円で売ってたの食ったもんなぁ。100円で食えるものじゃあなぁ。せめて350円くらいはしてくれないと、大人だからテンションは上がらないよなぁ。プレゼントもなぁ。家の中じゃ財布が一緒だから、高価な物なんか妻にもらったら、「なんで無駄使いするんだよー」ってな感じだからなぁ。正月もそうだよ。かっては三が日なんてどこの店も休みだったから、ちゃんと食い物とか買っておかなくちゃ食いっぱぐれる! ってな危機感がまた逆に楽しくって、大晦日近くにスーパーでいつもはしない量のまとめ買いをして「元旦はこれを食べて・・・2日はこれを・・・」なんて考えるのがまた楽しかったのに、そんな楽しみも今はもうない。だいたいデパートは2日から初売りをするし、それ以前にコンビニエンスがいつだって開いてるもんなぁー。しらけるよなー。確かどこかの偉大な哲学者が「不便の方が便利よりだいぶいい」って言ってたけど、まったくそのとーりだよなー。

12月23日

山下由の結婚式。残念ながら、大分県の姫島という山下さんの実家の島で行われるので、時間の都合で出席できないので、たまのメンバーと一緒にビデオでお祝いコメントを送ったが、ちゃんと届いたろーか。

 しっかし、山下さんが結婚するとはなぁ。俺よりひとつ年上だし、なんとなく天涯孤独の漂白詩人、というイメージだったので、ちょっと意外だった。知らない人は俺の「プロフィール」を読んでもらえばわかるが、元々、山下さんとは、まだ「たま」が結成される前に組んでいた「ころばぬさきのつえ」というバンドでの相棒。現在も続いている「地下生活者の夜」というライブシリーズも山下さんとふたりで始めた。とにかくハプニング芸術の兄貴で、数々のパフォーマンスを見せてくれた。ポリエステルのゴミ袋で全身を包み、泥の沼に入って盆踊りを踊る。フォークギターを川に流す。川に打ち上げられた魚の死骸のポストカードセットを作る。500円札(今はもうないなぁ)をビリビリに破ってホームから投げ捨てる。鳥かごを頭に被って、白衣を着て歌う。その独特の詩の世界も天才的で、かって「たま」がデビューして、テレビで「たまが影響を受けた物」を紹介するコーナーでは、第二位が山下由だったほどだ。(ちなみに一位は「虫」だったが・・・)そんな山下さんが結婚・・・。

 ただ、山下由の作品は、常にイキモノと対峙して生み出されていた。時折彼には、イキモノだけが意味があり(いい意味でも、悪い意味でも)、それ以外の物は全部取るに足らないことのよーに思っているのじゃないか、と思う時がある。それは、シンガーとしての顔の他に「貝類研究者」という顔も持っている(他にすご腕の雀士、という顔もあるが)ことも関係しているだろう。そうだ、今日誕生日の一代前のてんのーさんから、研究で賞を頂いて皇居に謁見までした、という経歴もあるぐらいだ。話しがそれたが、結局有り体に言えば「できちゃった婚」というやつなのだが、新しいイキモノの鼓動には、山下由と言えども、「結婚」という似合わないイメージの中に入ることなど、なんでもないことだったのだろう。

 「なんじゃ、こりゃ!?」缶博物館、という新しいコンテンツを作成。(どうやら俺はイキモノよりただのモノが好きらしい)まだ数点しか載せていないが、元ネタはいくらでもあるので、今後の充実に期待してくれ!

12月22日

 昼頃、まっすぐ帰るみんなと別れて、名古屋近辺をビデオを持ってちょっとウロウロひとり歩き。まず、近鉄線に行ってみると、名古屋からふたつ目に「黄金」というところがある。こっこれは、黄金郷か、エル・ドラドか! と思って降りてみる。でもそこは小さな町工場が並ぶ、地味な町だった。確かに「喫茶 黄金」や「黄金マンション」はあったが・・・。足の悪い犬がヒョコヒョコ歩いているだけだった。黄金は、さり気ない町の日常にこそあり、という哲学的なことだろーか。次に、蟹江ケーゾーに会いに、近鉄蟹江というところで降り、JRの蟹江まで歩いたが、蟹江ケーゾーは居らず、腰の曲がった老婆がヒョコヒョコ歩いているだけだった。土管とかを見物した。それから「桑名の焼きはまぐり」で有名な桑名にも行った。確かに焼きはまぐりも売っていたが、高かったので、間違えたふりして駅近くのデパートの一階で焼き甘栗を買って「ありゃっ、これは桑名の焼きはまぐりじゃなくて、桑名の焼き甘栗やがなー!」とおとぼけようかと思ったが、ひとりぼっちだったのでやめて、ヒョコヒョコ住宅街をさまよい歩いた。

  12月21日

 大阪から名古屋へ移動、ダイヤモンドホールでライブ。しかしPAのオマちゃん(アマチュア時代からずっと一緒のスタッフ)は大変だ。この日、朝5時過ぎ起き。(前日はライブ終了後、片づけをしてから一緒に晩飯兼打ち上げをしたので、ホテル帰りは1時過ぎ)名古屋まで車で機材を運び、楽器、PAのセッティングをしてリハーサル、本番をこなし、休む間もなく後かたづけ、そのまま飯も食わずに東京戻り。深夜にスタジオに着いてから、ひとりで楽器・機材を全部降ろし、別の仕事の為の機材等を積み直し、朝から別の現場・・・って寝る時間がどこにもないじゃないか! オマちゃん、死ぬなよ!

 名古屋も、曲順は多少変えたが、大阪とほぼ同じ内容。「小象の・・・」「とかげ」がほとんどライブ初お目見えなので、まだキンチョーがある。でも一番キンチョーするのは、実はしょぼたまではすでに結構やってる「さよならおひさま」なのだ。全編に渡って笛を吹くわけだけど、笛はちょっと息の強さを間違えると、すぐにオクターブあがってピーって裏返っちゃうからな。しかも結構しっとりした曲なので「ピー」は、やっぱりいかんもんなぁ。でも「ラッタッタ」のあとだったりすると、息があがって、ちょっとぜいぜいになっているので、ビミョーな調整が難しい時があるのだ。だから、この曲をやってる時だけは、みんな俺の方を見るな! あと少々音が裏返っても、笑うな! 俺までおかしくなって、笛は、笑うと一切吹けなくなるからな。「ピー」ぐらいじゃすまなくなるからな。たのむぞ。「南風」の間奏では、サイトー君のキーボードの上にガムテープが見えたので、それを体に巻き付けてコマのように踊ったのがアッハッハーと楽しかった。「いい年こいてなにやってるんだ」とは意地でも思わないぞ。思うもんかー!

  打ち上げは「少年王者館」の人たちと。主宰の天野さんが感想やらを語ってくれるのだけど、天野さんの話しは話しの「気配」はわかるのだが、「理解」は難しい。身振り手振りで話してくれるのだが。でも、「理解」よりは「気配」の方が遙かに物事としてのランクは上だからな。かまわないんだ。

12月20日

 大阪・テイジンホールでライブ。「たまのお歳暮99〜東京フルーツ」初日。

 新幹線で、朝、大阪に。静岡を過ぎたあたりで、車内が異様な臭いに包まれた。新宿駅地下道チックの、はっきりいえば浮浪者テイストの例の独特な臭いだ。むむぅっ? まず、自分を疑ってみる。こっそりと、服やらなにやらをかいでみる。もしかしたら、どこかで何者かによって汚物がなすりつけられていないとも限らないからな。くんくん。くんくん。しかしどうやら俺ではない。しかし、臭いは近い。隣の座席の女性スタッフを見る。まさか、こいつでは・・・。しかしいくら彼女がトンマだといっても、まだ20代前半だ。その疑いはかわいそうだ。そして、その隣は、知久君だ。まさか朝から山でも駆けずりまわって虫でも捕まえるのに夢中になって、とんでもないナニカを衣服に付着させているわけじゃあ・・・。

 その時、隣のスタッフが言った。

「なんか、臭くない?」

そして、あたりをキョロキョロ見回し始めた。と、やがて彼女はその臭いの元凶を突き止めた。

「後ろだ!」

 そう、俺達のすぐ後ろの座席のおっさんが、靴を脱いでくつろいでいるのだが、その先端がダブついた靴下から、ものすごいデシベルの、ものすごいギガバイトの、ものすごいヘクトパスカルの臭いがあたりに発散されているのだ。

「むぐおぅっ!」

 その臭いはそれはそれは凄まじくて、化学兵器として軍が採用せんばかりの勢いだった。むぐおぅっ。俺も、普通のセーターをトックリセーターのようにグワオォォォっと鼻の所まで引き伸ばしていないと、とても生きながら得ない。むぐおぅっ。リクライニングの角度が隣と違っていたので、そこに隙間があるから余計臭うんだと思って、一所懸命角度まで合わせ直したけど、そんなもんでは全然かわらなかったしなぁ。むぐおぅっ。しかしなぁ、むぐおぅっ。「靴、履いてください!」とも実際には言いづらいしなぁ。むぐおぅっ。その仲間らしき人がまわりには沢山いるのに、その人たちは麻痺しているのか全然平気らしくて、注意をしそうにもないしなぁ。むぐおぅっ。むぐおぅっ。むぐおぅっ。まさに大阪までは「むぐおぅっ地獄」だった。スタッフなどは、結局耐えきれずに、トイレにかけこんだぐらいだからなー。新大阪に降り立った時、大阪の空気がこんなにもフレッシュでクリスタルだったことに、生まれて初めて気がついた。

 ライブはニューアルバム中心。「ラッタッタ」では、伝言板に書いたとおり、このサイトを見ている人だけが共有できる秘密の合図を送った。会場でも、知らない客同士が、他のお客さんにわからないようにちょっとだけニヤリ、と出来れば作戦は成功。本当はそんなお客を見るのも俺の楽しみだったのだが、よく考えてみりゃ、こっちにスポットライトが当たってる時は、客席はこちらからは暗くてほとんど見えなかったんじゃーっ。一体、何人ぐらいしていてくれたのだろうか?

「全裸でゴ・ゴ・ゴー」の時、ふいに思いついて、「しょうがないから ひとり牢屋で全裸でゴ・ゴ・ゴー!」と歌うところを「しょうがないから ノックとふたりで全裸でゴ・ゴ・ゴー!」と歌ったら、この日の深夜、臨時ニュースでノックが本当に家宅捜索されて辞職しちゃったのには驚いた。

 アンコールはたま15年の歴史でも初めて、ブルース〜お昼の2時に、そしてブルース〜おやすみいのししのブルース2連チャン。ネタはもち、前述の「むぐおぅっ地獄」でした〜。


12月19日

一日中、(といっても、朝方帰ってきたので、起きたらもう夕方だ)ホームページのリンクはり作業。いや〜地味に時間がかかるんだよねー。こういうのって。なあんかメモリが足りないのか、たまにフリーズしたりすると、再起動に3分ぐらいかかるしなー。尚、俺の知り合いでホームページを自分で持ってて、「何故俺のところにリンクはらんかっ!」という人は、まだ俺がそのページの存在を知らないか、聞いたものの、すっかりのーみそから耳の穴を通して地面にダッラーと垂れていってしまったか、もしくは俺が君に密かに恨みを抱いていて、意図的に避けているかのどれかだから、とりあえず連絡するよーに。

 今、缶ジュースコレクションのコンテンツを作ろうと思っていて、デジタルビデオの静止画を取り込もうとしてるんだけど、結構ブツドリ、ってムズカシーなー。影とかはいっちゃうしなー。簡単にできるブツドリのいいライティングの方法とか知っている人がいたら、メールか伝言板で教えてね。

12月18日

 「たま 若者文化にまじっちゃうぞDAY」としての一日。まず、夜は渋谷屋根裏で「サーロインステージ」というイベントに出演。若手バンドが5バンド出るライブの、特別ゲストとして、しょぼたまが呼ばれた。主宰は、「大正九年」という名前の女の子。「なんで、大正九年なの?」と聞くと、「好きなんです」という答え。それじゃーしょーがないよなー。「好き」は理由を超越したものだからなー。大正九年の本名も何故か知ってしまったので、マネージャーがわざと「○○さん!」と本名で呼ぶと、「やめてくださいー。キュウネンって呼んでくださいー。」と慌てていたのがおかしかった。「くらげちゃん」というバンドのアレンジがちょっと面白かったな。

 リハーサルから本番まで、時間があったので、時間潰しにみんなで有名な名曲喫茶「ライオン」に行く。巨大な木製のスピーカーが2階まで吹き抜けであって、そこで「レコード鑑賞」。座席は基本的に向かい合わせではなく、飛行機の座席状に一列にスピーカーの方に向いているので、ひとりづつバラバラに座って、本を読んだり、うとうと鼻チョーチンしたりした。その前時代的な落ち着き具合もあって、かなり居心地良かった。その後、ライスが岩壁のような変な盛られ方をしている「ムルギーカレー」でカレーを食う。Gさんは辛い物を食べると、食べて10秒後に必ず額から汗が馬鹿のように吹き出るので、見てて愉快。だって、絶対なんだぜ〜。今度みんなも、Gさんに辛い物をなんとかして食わせて、額をこっそり見てごらん。面白いぞ。

「地下にあるのに屋根裏とは?」という大いなる疑問に首を傾げつつも、渋谷は自分達の出演後、直出。六本木の「クラブCAKE」に向かう。そう、今日はライブの掛け持ちで、尚かつ、ふたつ目はたま(しょぼたま)初のクラブ(イントネーションなしの方ね、もちろん)に出演なのだ。巨大な渦巻き状の会場の色々なフロアにステージがいくつも組まれていて、クラバー達がいっぱい。といっても常設のクラブではなく、この日のスペシャル・イベントの為にどうやら結婚式場かなにかをクラブに設えたらしい。「おっ、チャッピー、元気してる?」ってなクラバーの会話にさすがにちょっと違和感をおぼえながらも、夜2時過ぎ、出演。俺達のフロアは何故か「実験音楽」のフロアだ。あれっ? ごく平凡な、普通の、淡々とした音楽のはずだが? 最初の曲は「326」と言って、俺はおもちゃとかでフリーに音を出せばよい。で、ステージに出て、ひょいと見ると、ステージの後ろの方に、この後に誰かがライブで使用するのか、丸いテーブルと、あろうことかガムテープがその上に載っていた。演奏が始まった瞬間、俺の手はいつのまにかそのガムテープを無断借用するや、ビーッ、ビーッというガムテープを引き出す音を楽器として、テーブルを床に貼り付けたり、知久君や俺の椅子をくくりつけたりしていた。

 ということで、どちらも3〜40分の短い出演だったけど、普段と全然違う客層だったので、面白かった。でも、見に来てくれた人はどうだったのかなー。もしもこのイベントに来た人でこの日記を見ている人がいたら、ぜひとも伝言板にでも感想を聞かせてくださいなー。よろしくねー。

12月17日

(この日の日記はコラムとして「DANRO」に転載しました。下記に飛んで読んでください)
https://www.danro.bar/article/11736495 

12月16日

 3日前、(日記参照)ワタナベイビーに、こう頼まれた。

「石川さん、16日リキッドルームでライブなんですけど、出てくれませんか?」

 もちろん男らしい俺は「おうよ」の一言で引き受けた。ということで、本日は1曲だけの本当の飛び入りゲスト。ワタナベイビーのアルバムにたまが参加した曲「1ラウンドでノックミーダウン」で出演。パーカッション等はなしで、ロックっぽいバンドのバックにのって、ラップ(アルバムには何故かそう表記されている。そうか、俺はラッパーでもあったのか。知らないうちに。ふふふふ。)というか、歌の合間の雄叫び&ダンス。たまのおとなし〜い客(別に嫌いじゃないぜ)とは違って、いわゆるノリノリの女の子たちがお客だったので、「キャー!」「ランニングー!」と黄色い歓声を久々に受けながらシャウトした。1曲だけなんで全力疾走したら、息がハアハアあがったので、たまのライブの宣伝等は、全部ワタナベイビーがしてくれた。恩に着るぜ、優しいぜ、ベイビー。

 この日は、憧れのキヨシローさんもゲストだったのでちょっとキンチョー。キヨシローさんは、楽屋ではキティちゃんの万歩計を腰につけていて最高にかっこよかった。ステージではすげ傘に浴衣で、刀を振り回していて最高にかっこよかった。ワタナベイビーのライブも意外に下品パフォーマンスでニヤリとさせてくれた。まぁ、まだこのコンサートシリーズは続くらしいので、ネタバラシはできないが、ひとりでなかなか馬鹿をやってて、たのもしかったぞ。

 リハーサルから開演までの間、時間があったのでマネージャーと歌舞伎町の老舗名曲喫茶「スカラ座」へ。本当の巨大な暖炉が燃えていたり、中野の「クラシック」ほどではないが、なかなか古き良き昭和モダン的で面白かった。そこの窓から見えるファッション・ヘルスに、あたりを見回しながら、ササッとひとり、またひとりと入っていく男達の背中が、うらぶれてて哀愁が漂っていたぞ。

12月15日

「お歳暮」のリハーサル。知久君は例のごとく遅刻。というか、「おっ、今日はバッチリ待ち合わせ(Gさんの車に乗せてもらう為、駅で待ち合わせしているのだ)に間に合うぜ!」と電車に乗ったらしいのだが、ボーッとしていて、気づいたら待ち合わせの駅をすでに電車は発車していた、というおトンマさんだったのだ。なので、俺、Gサン、斉藤君の3人は「しょーがねーなー」と言って、サンマ(3人マージャン)をする。と、なんと国士の13面(ダブル役万)をGさんからあがってしまう。

「お、親で1本場だから、Gさんよ、9万7千点だ。」

「お、おめっ、一回あがってるのに、13面待ちにするかぁ、普通。・・・こっ、この悪魔が!」と罵られ、ちょっぴり幸せだった。Gさん、早く精算してね。

 その後、知久君も到着、ちょっとだけまじめにリハーサル。今度のライブで初おめみえの曲もあるからな。さすがにやばいからな。と、突然Gさんがあたりをキョロキョロ見回す。

「どうしたの?」

「いや、フレットレスのベースが見あたらないんだ。」

 そのままみんなでスタジオの隅や、事務所の方まで探すが、ない。

「ないねえ。どこにも。あんなでかいものなのにねぇ。」

「車に積んだままかなぁ。ま、まさか前回使ったクラブチッタに忘れた、ってことはないよなー。そうだったらやばいなぁ。というかやばすぎるなぁ。しっかしどこ探してもないよ。一体どこいっちまったんだ!」

「もしかしたら、PAのおまちゃんが行方を知っているかもしれない。あとで連絡してみるよ。・・・とりあえず、他のベースでリハーサルを続けよう。」

 そして、リハーサルも終了、積み込みの為、楽器をかたずけていると、Gさんが叫んだ。

「ベース、あるじゃん!」

 そう、ベースは、あれほどくまなく探していたスタジオの隅でもなんでもなく、メンバー全員から、はっきり見えるスタジオのほぼ真ん中近くといってもいい位置に、ごく普通に置いてあったのだ。なんの隠れもなく、威風堂々といっていいくらい、それはケースに入って置いてあったのだ。

「・・・・・俺たちって、もしかして、もう人間として、終わってる?」

 そんなボケ老人の俺たちの、ライブの日は、近い。

12月14日

 今日はオフ。なのでなにしよーかなー、と思ってとりあえずインターネットしてたら、ありゃ、もう一日終わりだ。ふっひゃあ。ホームページ作るのは楽しいけど(またコンテンツ増やしたので、見てね)時間がいくらあっても足りんなー。このあいだ、机の上にあったマックを移動して、こたつの上に置いてるからなぁー。なんかアナログとデジタルの幸せな融合、ってな感じだなー。って意味が違うかーっ。でもいいぞ、こたつでマック。

 ってことで、今日はなんと家から一歩も外に出ず。ただし、ネットでだけは世界を縦横無尽にかけずりまわったけどな。世界のトイレの形状や方法が写真でわかるHPや、銭湯のHP。友部さんのHPも見つけた。あと、エスパー伊東のHPにもブックマークをつけてしまった。何故だ。尚、このHPはインフォシークの「芸能人・あ行」にも登録されたぞ。ふふふふ。

12月13日

 昼から、立川駅近くの喫茶店で、ワタナベイビーとたまで、某ファッション雑誌の対談。それから流れでワタナベイビー、俺たちのスタジオに来たので、一緒にセッションして遊ぶ。柳ちゃんの曲とかもやって、楽しい。

 それから「たまのお歳暮〜東京フルーツ」の曲目・曲順決め。これが最近、なかなか決まらない。「曲順ボード」というホワイトボードに、曲の書かれたマグネチックを並べ替えて曲順を決めるのだが、あーでもない、こーでもないとやっているうちに、ハッと気づくと何故かみんなテレビの「借金苦のアイスクリーム屋」かなにかを真剣に見てたりして「ちがう、ちがう。」とボードに戻る。ここがこう来て・・・、いや、この後にこれはないな〜とか言ってたと思ってたら、ハッと気づくと晩飯の中華丼をかっこんでいたりする。「おい、まじでやばいって! 照明のスタッフとかにも今日中に資料送らなくちゃなんねーんだよ!」とか言ってまた大慌てでボードに戻り、やっと決定は3時間後。すぐにリハーサルにとりかからなきゃなんない時間だったのだが、曲順決めですっかり疲労困憊した俺たちは、間髪おかずに演奏に入れるほど、若くなかった。

「よしっ。まずはハンチャンやって気分を変えよう。」

「そうだな。気分転換してすっきりしてからやる方が、結局は効率いいからな。」

 そういってマージャンをひと勝負する。今日はGさんが勝ち、俺と斉藤君は、「あーあ、やる気なくなるぜー」と言ってはみたものの、そこは大人。気分転換は出来た。よしっ。きっちりやることはやろーぜ。ついについに本日のメインエベント、リハーサルに突入だ! ・・・と、

「終電まで、あと1時間しかないじゃん! なんだよっ、この時計狂ってるのかよ!」

 しかし狂ってるのは時計ではなく、俺たちの方だった。あわてて手慣れていない曲を、泡を吹きながらリハーサル。

 さあ、今回のコンサート、とりあえず大阪・名古屋編のリハーサルは、あともう1日しかない。間に合うのか? それとも間に合わなかったら、全員でステージで狂ったように踊り続けるのか? 自分たちのノーナシを呪って、ビンタの張り合いショーでもするのか? もしくは開き直ってただただ2時間、ステージの上でゲラゲラ笑い転げるのか? 

 その答えを知りたい人は、すぐにインフォメーションを見て、ライブに来るがよい。・・・なにっ。チケットが売り切れだったら困る? ・・・オヌシが良い人間なら、神様がちゃあんとついておる。オヌシの為にまだチケットの余裕をとっといてくれるはず・・・でも、ちょっとは急げよ。

12月12日

 横浜「グッピー」にてソロライブ。はじめてやらせてもらう店だ。共演は吉野大作さん。いつも、たまのライブだと20〜30代の女性が割合としては、多いが、今日は20〜40代の男性が大半を占め、独特の店の雰囲気を作っていた。それはよいのだが、吉野さんと俺のあいだに、山下(由)さんがゲストで2,3曲歌ったのだが、その時客から「もっと気合い入れて歌え!」とヤジが飛び、会場がちょっと不穏な空気になった。山下さんは別にダレて歌っていたわけではなく、フニャフニャ歌う、というのが彼のスタイルであり、大きな歌の持ち味なのだ。つまりそれは、こぶしを回して演歌を歌っている人に「そんな変な息使いせずに、きちんと声を伸ばせ!」と言っているのと同じなのだ。

 まぁでも、その後は特に問題なく俺のライブも終了。例のごとく山下さんにバックでパフォーマンスをやってもらったり、(金井)太郎さんにエレキギターを入れてもらい、ちょっとアバンギャルドな「小象の・・・」などもやった。

12月11日

 今日は水戸でライブ。朝11時ちょい前にPAのおまちゃんに車で迎えにきてもらい、阿佐ヶ谷で他のメンバーやマネージャーを乗せて一路常磐道。ライブの行われる「ガール・トーク」には3時頃到着。

 「ガール・トーク」は入り口がオブジェ風の回転扉になっているので、荷物がなかなか入らない。いつもなら、でかい木箱やらで運びこむのだが、回転扉のひとり分のスペースが狭いので、人が入ったらほとんどそれだけでキツキツ。なので、子供のお遊びのように、小さい荷物を一個ずつ持って、みんなで回転扉をクルックル回った。なんか楽しかった。

 でも店の中にはピアノがおいてある。「これはどうやって入れたんですか。」と聞くと、ピアノを最初に入れてから、回転扉を取り付けたそうだ。

 お店には楽屋がないので、開場してから開演までのあいだ、近くの「喫茶アラスカ」に行く。「トーフセット 780円」に惹かれたのでたのんでみる。内容は、豆腐まるまる一丁(切れ目なし)にクラゲがてんこ盛りにのった皿。ウインナーソーセージ6本とキャベツのサラダののった皿、ごはん、みそ汁、漬け物、みかん半個、コーヒーであった。さすが地方のボリュームは、東京のようにチャラチャラなんか、微塵もしていない。Gさんは「よく考えたら、俺、クラゲ嫌いだったよ」で、クラゲを全部はじいてた。

 ライブは本日は"しょぼたま"なので3人だけ。メニューは10月のゴーウエストシリーズと同じだが、なかなかミスが多くて、とまどい、緊張し、一瞬しょげ、馬鹿だからすぐ立ち直る様子は、音楽としては失敗でも、その人の本当の人柄が否応なく見られる、言葉どおりの「生きる」というライブの意味においては、充分楽しんでもらえたと思う。

 「ハゲアタマ」という曲を3番まで歌ったところで、俺のうしろの方に店のトイレがあったので、ノックをしてその中に入り、4番はそこで楽しく歌った。客には、かすかに個室から俺の歌(といっても実際はポエムリーディングだが)と水洗を流すジャーッという音が聞こえたはずだ。そのあいだ、知久君とGさんは淡々と即興的伴奏をつけてくれていたらしい。でも、トイレの中で歌うのはちょっと寂しいぞ。なんせ、客がいないからな。

 今日は客で、俺のホームページのベトナム旅行記でもおなじみの、健さん、くす美さんが来てくれる。健さんが、「水戸といえば、昔遊びに来た時にみつけた、面白い所に連れてくよ」というので、車に乗ってそこを探しに行くも、みつからず。「あれぇ、駐車場になっちまったのかなぁ」であきらめ、別れを告げる。

 俺だけ店に戻り、店のおごりのスパゲッティやピザをパクついていると、さっき別れたはずの健さんから電話が入る。「み、見つけた!」

 もう夜12時過ぎだったが、今度はメンバー全員で出かけた。

 それは、ホラー映画の世界だった。4階建てくらいのお城のような建物で(ラブホテルかソープランドだったという噂だが)そこに大きなトランプのクイーンが壁面にぶち抜きで描かれ、それがこちらを睥睨しているのだ。

 そしてここはまだ繁華街も近い町中だったはずなのに、そこだけポカンと、後ろが鬱蒼たる山なのだ。山を背景に、不気味なクイーン城が建っているのだ。夜中のせいか、まるきり異次元にでも入ったかのような光景だ。

 星がやけに沢山見える。流れ星が俺たちに何かを伝えるようにサーッと落ちた。

 と、マネージャーの溝端さんが、叫んだ。

「石川さん、ちょっとこっち来て、ここ、ここ、土が光ってる。なんでや、なんでや!」

 溝端さんは、関西人なのだ。

「ここ、ここ。ほら、ほんまに土が光ってる。なんでや、なんでや!」

 スタッフのおまちゃんが静かに答えた。

「それは、今溝端さんがした立ちションが、この先の道路からの電気に照らされて、キラキラ輝いているだけです」

 それはともかく、この「夜のクイーン城の眺め」は、絶対、水戸の裏観光地・3つ星として、人々に知らせるべきだ、と思った。

 それから一路東京へ。阿佐ヶ谷で最近俺たちの友だちが何人かで始めた「8039」という飲み屋に顔を出す。今日は、元たまのマネージャー、これまたベトナム旅行記でおなじみの上杉あやがバイトで入っているのだ。いつもの「カルーアミルク」をかっこよく飲み、4時頃、帰宅。

 12月10日

 今朝は、10時までこのホームページをまた作ってた。本当は途中でもう寝よう、と思ったのだけど、なんか色々考えてたら、目がギンギラギンにさりげなく開いて寝られる雰囲気じゃなかったのだ。で、結局「今月の物々交換」「へなちょこリレー物語」「プロフィール」の3つのコンテンツを足して、ふぅーと思ったら、もうおテント様は天空高くうっひゃっひゃっと舞い上がっていた、という寸法だ。で、そしたらかえってふわふわと酔っぱらったみたいな状態になっちまっていて、「そんじゃ、ついでに一回、ブツかぁ〜」とひとりごと言って、「東風荘」というネットマージャンにアクセスしたら、なななななんと、スーアンコウタンキをあがっちまっただよー。逆さから読んだらキンタウコンアースだよ。これ、マージャンしない人には凄さがわかってもらえないだろーなー。ダブル役万なんて、10年に一回あがれるかどうかだぜー、おいーーーー。でもくやしいのは、本当のマージャンなら、みんなのくやしがる様、のたうち苦しむ様、血反吐を吐く様がうひゃひやっ、と見られたのに、ネットじゃ、どこのどいつかも見えやしねえ。ただ、全国のどこか、---北海道か沖縄か、へたすりゃ海外かも知れないが---で、「な、なんなんじゃー!!」とのたうちまわっている奴がいる、と想像して溜飲を下げるだけしかないんだよなー。

 あと今日は、二本ビデオを見た。ひとつはブニュエルの「自由の幻想」。で、これ、面白かった! ブニュエルというと、眼球にカミソリスー、というあの、考えただけでもウギャギャの映画しか知らなかったからなー。いや、よかった。俺の最も好きな「日常の中の非日常」がコメディチックにあらわされていた。基本は淡々としてるんだけど、夫婦の寝室に、ごく当然のように自転車に乗った郵便配達夫がやってきたり、食卓の椅子が全部便器になっていて、ごく自然にみんなお尻だしてそこに座って日常会話するとか。あともう一本は「非情城市」という台湾映画。これは台湾の九分(九は本当はニンベンがついている)というところが舞台なんだけど、実は先々週ぐらいにちょいとこの町に行ってきた。基隆郊外の小さな町なんだけど、今までに何故か通算3回も訪れていて、すっかりなじみのお茶屋とかも出来てるのに、この町が舞台になった映画を知らないんじゃあなー、と見てみたのだ。まぁ、いい映画なのかもしれないが、ちょっと長かったな。

12月9日

 あさっての水戸ライブの為のしょぼたまのリハーサル。  最近は、メンバーの「歌・記憶メモリ」は約1ヶ月で完全消去されるので、一所懸命「保存」ボタンを連打しないと、歌も演奏ものーみそから一向に出てこない。かって大物ミュージシャンのT・Yが自分の歌の歌詞を覚えきれずに、コンサートを中止した気持ちがよくわかるぜ。      晩飯は、Gさんのミニに乗って、知久君と3人で近くの「一徹」というラーメン屋に豚骨ラーメン食いに行く。俺は豚骨チャーシューメン、Gさんは豚骨ラーメン、知久君は豚骨ネギラーメン。ギョーザも1人前とり、6個だったので、ひとり2個づつきっちり分けたサマは、我ながらほほえましかった。俺たちゃ、いい年こいて仲良しなのか、と。スープがぷわーんと臭くてなかなかうまかったぞ。

 あとは事務所(スタジオの2階にある)で「たま通信」づくり。事務員のマニともども12時近くまで作業。なんせ事務所のマックがちょっと古い(パフォーマ5220)ので、作業の待ち時間がなかなか長いのだ。でもしょーがねーよなー。新しいマックを買う金もこの会社にゃねーしなー。

 家に帰って妻のR君と録画していた「ダウンタウンDX」を見ながら晩飯。あれっ? 晩飯が2度目だ。あっ、さっきのラーメンは昼飯だった! 夜7時だったけど。で、やっぱりダウンタウンは好きだね。まぁちょいと番組に出させてもらったこともあったけど、それとは関係なく、基本的に、まだダウンタウンが若手で、深夜の番組しかやってなかった頃からほとんどずっと見てたからなー。よーするに、笑いのもってきかたの方向が、臨機応変にいろんな形である、ということと、「人は結局、何がおかしいか」ということの研究がちゃんとなされている、ということだと思うんだよなー。

12月8日(2)

今日は打ち合わせに事務所へ行く。近くの駅から自転車に乗ってピューと通ってる。ボケた車輪と、ろくに効かないブレーキでガタピシやってくると、そんな様子を見て、Gさんや知久君は「おっ、工場長が来た!」という。どっから見てもどこかの工場の工場長という風貌なのだそうだ。

 朝までこのホームページを作っていたのでちょっと眠い。午後3時の朝飯は、「激戦区 環七通りのこってりラーメン」だ。夜11時、打ち合わせや「たま通信」の作業を終えて帰宅。途中どーにもこーにも腹がへって悲しくなって駅前のコンビニエンスに入り肉マンとチーズベーコンマンにむしゃぶりつく。

さて、家に着き、ホームページ立ち上げの様子は?とドキドキして開くと、なんともう300人以上が見にきていて、フヒャアと軽く嬉しいノウシントウ。検索システムにも登録したけど、結構登録になるまで何ヶ月もかかるところが多く、つまりこれは「デジたま伝言板」を見てやってきたという人たち。ということは、カウンターをつけていない「デジたま伝言板」の方は毎日、もっとたくさんの人がのぞいている、ということか。うーむ。

12月8日

 あーーーー。ついにケーブルテレビのインターネットにつないだぞー。しかも、今までは妻のMacにつながってたので、メールひとつ送るのにも、自分のパソコンで作った文章をフロッピーに保存して、すたこら階段降りて妻のMacを起動させていたのが、今や俺のMacにつながっている!

 しかもケーブル回線ということはつなぎっぱなしで料金はかわらない(電話代等もかからない)ので、小心者で、今まで、「あっ、開きがのろいっ! どんどん金がかかっていくよー、おろおろおろ」ってな恐怖も味あわなくてよくなって、嬉しくなってザッバーンとネットサーフィンとかしてたら、無料でホームページが作れるところがあって、「こりゃええわー!」とこのようなページを作ってみました。

 なので、あんまり気負わないで、てきとーにやっていくので、よろしくね。まだまだコンテンツは少ないけど、これから少しづつ増やしていくつもりなのでたまには覗いてね。


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