第六話 記憶喪失

 五月でも蝿でもないけど、やぶ蚊が顔のまわりをブンブンと五月蝿い。それを払ってるうちにようやく俺は目を覚ました。
 と、ここはどこかの公園のベンチではないか。何で俺はこんなところに寝ているのだろう。
・・・というか、俺は誰で、そして一体何でここにいるんだっ!? はぁん!? 

「アツッ…。」ベンチから起き上がろうとすると、後頭部の下の方に鈍い痛みを覚えた。無意識に頭を抱えた両手に大きなタンコブの感触がある。後頭部を強打したようだ。(T.E.E.)

 どこかにぶつけたのか、それとも誰かと喧嘩でもしてしまったのか。しかしとりあえずスーツはあまり汚れていない。何か自分の身分が分かるものはないかとポケットをゴソゴソやっていると紙切れが一枚入っていた。
 そこには、こう書かれていた。

「公園から出るな! 女の格好 後ろ歩き!」(ぷちこ)

「どーいう意味なんじゃい・・・」そうして立ち上がり誰かいないかと歩き始めたその時である。

「こらぁっ!!」

 そこには白塗りした爺さんが犬を連れて後ろ向きに散歩をしながらこちらを睨み付けていた。

 俺は思いきってそのお爺さんに聞いてみた。
「何故お化粧をして……。い、いやお化粧はいいんですが、何故後ろ向きに歩くんですか?」
 するとお爺さんは不審気な顔で俺を覗き込んだ。(ポロリ)


「何故? あんたの言っている意味がわからん。子供のうちならまだいいが、いい大人になったら後ろ向きに歩くのは当然の事じゃないか。あんたは常識というものも知らんのかっ!!」
 俺は返答に詰まって固まってしまった。

 この爺さん、よく見たら・・・なんと!スカートを穿いている!
「あの・・・何故スカートを履いていらっしゃるんですか?」
「おまえこそなんじゃい!こんな、女みたいな格好しおって!気持ち悪いわ!」(ちちぼう)


 女みたいな格好? 俺は自分の姿を見てみたが、むちゃくちゃ何の変哲もない典型的なサラリーマンの服装だ。
 すると爺さんはさらにたたみかけるように叫んだ。
「しかも無精ヒゲまで! 最近の若い者は・・・乱れとるっ!! 嘆かわしいっ!!」

 あまりの激怒ぶりに恐くなり、とりあえずその場を立ち去ろうとした。すると爺さんは両手でスカートの裾を持ちながら「お前みたいな奴にはこうしてくれるわ!」と後向きのままジリジリと迫って来た。「な、何をする気だ…」(なめくぢ)

 バフッ。
 音を立ててスカートが俺の顔にかぶせられた。目の前にはフリフリのついたパンティ。
 一瞬ドキリとしたがアブナイアブナイ、これは爺さんじゃないか!!
 しかもすね毛も綺麗に綺麗に剃られていた・・・。

「なにするんだ!」
 我に返った俺は爺さんを突き飛ばした。すると爺さんは、ふふふと笑いながら砂になり崩れてしまった。その光景を見て凍りついていた俺に向かって犬が言った。
「公園から出ると笑い死ぬぜ」(きぃ)


 そしてその言葉を発したと同時に犬の首がニューーーーッと数メートルも伸び、驚いて声も出ない俺の方を振り返ってニヤリと笑うと、また犬も爺さんと同じように今度は砂ではなく、ちぎれた紙屑になって風に飛ばされ四方八方に消えてなくなっていったのだ。

…俺は幻覚を見ているのだろうか…?
いや、足元には、さっきまで爺さんだった砂が、今も確かにあるのだ。
それなら、これは夢なのか?!
俺は、足元の、さっきまで爺さんだった砂を手ですくってみる。(紫ローズ)


と、みるみるまたその砂が人の形になっていった。
そしてそれは俺の・・・お母ちゃんだった。
俺が小学五年生の時、病気で死んだお母ちゃんだった。
そして俺はいつのまにか小学生になっていた。
「お・・・母ちゃん・・・」
気がつくと、お母ちゃんは優しい微笑みを浮かべて、そっと俺を抱きしめていてくれた。

幸せな気分に浸っている中、突然お母ちゃんはポケットから何かを取出した。
「これをあげる。ただし、誰にも見せちゃダメだよ」
渡された物を見て俺は驚きを隠せなかった。(PN.なめくぢ)

それは小さな小さなピンクの手乗りカバだった。
と、まるで昔からずっと俺に飼われていたかのようにそのカバは俺の体をトコトコと這いずりまわり、やがて耳たぶをそっとあま噛みしてきた。
その感触に何とも言えず陶酔していると、いつのまにかお母ちゃんは俺の目の前からいなくなっていた。

俺はぼんやりと前を見ながら、無意識のうちにカバを手に乗せてひっくり返した。
するとカバはかわいい声で、こういった。
「バカん」(ジンお)

うおっ、かわいいっ!!
俺はいつのまにかカバを横抱きにして道をゴロンゴロンと回転しはじめていた。
「バカん」「バカん」逆さになる度に声をあげるカバに、俺は一瞬のうちにきゃはきゃはいいながら虜になっていた。

ゴーロゴロ、ゴーロゴロ…。
「バカん」「バカん」「バカ…」   …「ん?」 

ふと気付くと、俺がカバで、人間の俺が、「バカん」を繰り返していた。
ゲッ…! ゴロゴロしているうちに、入れ替わっちまったのかー!?
転げる度に、「バカん」だけを繰り返し発する人間の俺は、どう見ても、今や、本当にただのバカになってしまった。ど、どうしよう……(ミドリン)

と、その時また誰かが後ろ歩きでやって来るのが目の端に見えた。
その時突然あのお母ちゃんの言葉、
「誰にも見せちゃダメだよ」
が甦ってきて、俺は咄嗟に元カバで「バカん」「バカん」「バカん」を繰り返す元俺(?)の服の中に隠れた。

それでも、馬鹿になっちまった俺が構わず回り続けるので、カバの俺も、一緒にぐるぐる回転するしかない。目がマワル。
俺は、馬鹿になっちまった人間の俺と、非力なカバの俺が情けなくって、涙が出てきてしまった。涙を流しながら、目を回した。
その時、声が聞こえた。(ミドリン)

「おい、俺達もこのオッサンに負けないように踊ろうぜ!!」
 どうやら、元カバの俺がいつのまにか華麗なブレイクダンスを踊っているように見えたらしい。
 ヒップホップ系の若者達が、次々と俺のまわりで狂ったように踊りはじめた。

泣きながら回り続ける俺と、その周りでかっこいいダンスを繰り広げる若者達。
知らず知らず辺りは人だかりになっていった。
すると、その中でじぃっと見つめていた怪しげな男が俺に近づいてきてこう言った。
「君たちのパフォーマンスは素晴らしい!うちの会社からデビューしないかい?」(なめくぢ)

「ま、まじっすか!?」
どうやら若者のリーダー格らしい奴が言った。
「僕らはやりたいけど・・・おじさんもやってくれますよね!」
ハッと気づくと俺はまたカバを隠しているオッサンにと戻っていた。
そしてカバも俺のスーツの裏側で「面白いじゃん!」と小声で言っていた。

カバは続けて言った。
「公園から出るなら前歯を一本折って行きな。魔除けになるよ。それとネクタイは頭に巻けよ。」
意味は不明だが、今はカバの助言に従う方が無難ではないだろうか。
だがどうやって前歯を一本だけ折れば良いのか。(きぃ)

 「でも、あんたの踊りは最高だったな。今まで見たこともないような・・・」
そのプロデューサーらしき人が言った途端、若者が「あっ!」と小さな声をあげ、それからおずおずと俺に言った。
「どうも変わった踊り方が出来ると思ったら、おじさんの足、逆さについてるじゃん!」
言われて見てみると、確かに若者達もプロデューサーも足の甲がお尻の方、つまり俺と全く逆についている(俺は実はギョッとしたが、どうやら今は俺の方がおかしいらしいのだ)。
それでみんな後ろ歩きをスタスタ出来ていたのか・・・。
でも、当面の問題はそれより前歯だ。どうすればいいのか・・・。

その時ふと向こうの方に露店が何件か並んでいるのが見えた。そしてそこに何と「前歯抜き屋」があるのを発見したのだ! 他にも「靴べら時間屋」とか「団子丸め洋品屋」など変な露店ばかりが並んでいた。(さてと)

俺はがんばって後ろ歩きをしながらその「前歯抜き屋」に行った。
「あの~、前歯を一本抜いてもらいたいんですが、おいくらでしょうか?」
と、前歯抜き屋はちょっと怒ったような顔になり、こう言ってきた。
「馬鹿もん! わしは金が欲しくてこの商売をやってるわけじゃない! 分かっとるんじゃろう? 例の物、出さんかいっ!」

例の物・・というとこの手乗りカバのことか。しかしこればかりは渡すわけにはいかない。カバはスーツの中でいびきをかいて寝ている。
「れ、例の物ってどの物ですか?そんなもの持ち合わせていませんよ・・」
「何言ってるんだ、持ってないはずないだろ、目の前にあるんだから!それを出せと言ってるんだよ!え?それだよ、カカトだよ、カカト!」
と言って前歯抜きや屋は私のつま先を指さすではないか。 (作戦失敗)

「えっ!? でもカカトは・・・」
あまりの要望に混乱している俺に「前歯抜き屋」はこともなげに、
「なに、大丈夫。代わりに『腐らないバナナ』をはめ込んでやるから。・・・と、お前さん足が逆さに付いてるじゃないか! それじゃ歩きづらかろう。どれ、それも直してやるよ」
俺は思わず「よ、よろしくお願いします」と言っていた。

「でも歯を抜くのって痛いですよね・・・」
俺はビビッてそう聞いた。すると親父は、
「わっはっは。ワシのテクニックをみてんしゃい」
そういうと、前歯抜き屋はなんと俺にいきなりディープ・キスをしてきた。
「ちょっ、ちょっと待って! 僕にはそんな趣味はないっ!」
強引に引き離すと、いつのまにか見事に俺の前歯が一本抜けていた。(パンピー2号)

「な、言った通りじゃろ。それじゃ、カカトの方もバナナと付け替えさせてもらうよ」
そういうや、今度は俺のカカトをペロペロと舐め始めた。
「ちょ、ちょっとくすぐったい!」
しかし俺のカカトはまるで飴細工のようにあっという間に舐められてなくなり、代わりにバナナがはめ込まれた。足も前歯抜き屋がヒョイッと捻っただけで、見事に裏返った。
「なかなかうまいカカトじゃったぞ。また新しいのが生えてきたら是非ワシのところにな!」
そういって前歯抜き屋にポンと肩を叩かれた途端、ちょっと坂になっていた道を、激しくバナナの足が滑っていった。

「ウワアァァァァ!」

これは大変な事になった!俺は凄いスピードのまま、公園の外へ…!坂はまだ続く。どんどん傾斜がきつくなって来る様だ。このままどこに行っちまうんだろう…?!突然、俺のふところから首を出して、カバが言った。「早く、ネクタイを頭に巻くんだ!」「わ、わかった」俺はすぐにネクタイを頭に巻いた。「それと、これを、さっき前歯を抜いた所に埋め込むんだ!さぁ、早く!!」そう言って、カバが渡したのは、何かの植物の種の様に見えた。(ミドリン)

「なんだろうこの種は?」
と思った瞬間、俺の口の中が何かでいっぱいになった。
「モ、モガガ・・・!」
よく見ると俺の口からは、大きな柿の木がズンズンと生えていた。

「か、柿っ!?」しかも完熟だった。
柿には目のない俺だが、もはや俺は柿の木で、柿を食べられる立場ではなかった。
「…そうやって失っていくもんだよ」とカバは言った。(まっきん)

「…そうやって失っていくもんだよ」か・・・。
俺は今、一本の柿の木だ。
どこからだろう、やんちゃそうな子供達が手に手に棒を持ってどこからともなく現れ、一所懸命柿をその棒で落としては嬉しそうにむしゃぶりついている。
その服装はとても現代とは思えないくらい貧しく、泥だらけの姿だった。
だけどその夢中な様子はまるで俺の忘れていた子供時代そのものだった。
・・・今は一体、いつなんだ?
いや、そんなことはどうでもいい。
ただ目の前にあるのは子供達がニコニコしながら無心に柿を頬張っている姿なんだから。
俺もつられて思わず嬉しくなってしまった。
「ガキども、もっと食え! 世界中の柿を全部食ってしまえ!」






「こりゃあひどい・・・即死だったろうな」
警察官達が道の真ん中でトラックと正面衝突して車から放り出されたひとりの男の死体をみてつぶやいた。
「でも、なんだか顔が笑っているようだな・・・。ホトケさん、死ぬ前の一瞬の走馬灯で楽しい夢でもみたのかな・・・」
夕方からの雨が、国道のアスファルトにピシピシと激しく跳ね返っていた。

                   
                    ー了ー






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