第十四話 鞄




虫食いが目立つチーズのビルディングの町で。
緑色した夜の紳士達がバーのとまり木をプワンと後にすると、みな次々と鞄を下げたまま黒い道路の上にぽっくり開いたマンホールの丸い穴の中にスポポン、スポポンと帰っていった。
僕は突然にそんな光景を目の前にして、どうしたことかと月夜に照らされながら立ち止まってしまった。
しばらくすると、その穴の中から一様に紫色した湯気がムワーッと沸き立ってきた。
まるで一斉に温泉が湧き出したように。なんだろうとよく目をこらして見ると、それはあの紳士達の夢だったのだ。
夢が煙になってモワモワ立ち上がっていたのだった。
僕は偶然にも大きな鞄を持っていたので、それを適当にすくってみた。
しばらくそれは鞄の中でドセタドセタ暴れていたが、やがておとなしくなった。
周囲に誰もいないのを確認してから、僕はおそるおそるその鞄の中を覗いてみた。
すると、なんと夢自身がフゴフゴフグググといびきをかいて眠りこけているではないか。
僕はそれをアパートの部屋につれて帰ると、ふたたび鞄を逆さにした。
「おい、起きろ。夢よ、起きろ」
夢はしばらく寝ぼけまなこでふわふわ漂っていたが、そのうち事態に気付いたらしく、ヒューと固まった。固まったといっても形がはっきりしてるわけでは全然ないのだが。

その塊は、あまりにも美味しそうだったので、喉から思わず手が出てきてしまった。
おっと、いけない。悪い癖が出た。慌てて手を飲み込み、我慢する。
よくよく見ると、塊はところどころちぎれていたので、急いで煙の残りを探しに行った。
だけど、残念、手遅れだ。紫の煙は、また緑色の人型を作り、ひたすらにマンホールへと帰って行く。
「仕方がない」僕は覚悟した。喉から出てくる手で、夢の固まりを調理しよう。美味しくなるように。美味しくなるように。 (ウサギ先生)


キッチンに行くと僕はラフレシアと黒ワインでクックルクックル煮始めた。
別鍋で河童の抜け殻とろくろっ首のエキスを煮詰めスープを作りそれに合わせた。
なんだか瞬時に自分が唐草模様になってしまうような不思議な匂いがして来たのでひとりで食べるのはもったいないと思い、モールス信号を打った。
「テッペンカケタカ ヒコウキオチル テッペンカケタカ ヒコウキオチル」
すると時計の秒針がニンマリ笑っている隙に早速返事がやって来た。

「オニガイルカライカレナイ。ウソ。」
イカレナイ??頭の中でうまく漢字変換ができない。
途端に天井を突き破りぼろぼろの布団を纏った旧日本軍人が落ちてきた。
銃を構えて料理へ向かって前進。
鍋を倒すと赤ん坊くらいの塊がぬるりと飛び出し床に落ちた。見れば、潤いのある巨大な白子のようなものだ。ぷるぷると震えている。
「食べますか?それ」
「これは大脳だな。あまり美味くない」
そんな馬鹿な。それなら小脳はどこへいったのだ。あとは確か海馬がどうしたとかいろいろ聞いたことがある。大脳だけだなんて。そんな馬鹿な話があるはずはない。だが、本物の脳を見たことがないから案外そんなものかもしれない。
「あの、大脳があるなら、小脳はどこでしょうか」
「馬鹿者!」
怒鳴られた。怖い。
「貴様は敵の首をとれと云われた時に頭をとらずに首だけをとるのか?」
「す、すみません」
「大脳に小脳はくっついているだろ」
裏返すがなにもない。見れば台所のあちこちに灰色のモンブランみたいな小脳がサンヨウチュウのように這いまわっている。
「あ」
旧日本軍人のほうを見ると思わず声をあげてしまった。
軍人の背後には、たたみ二畳分はある巨大なノウズイが迫っていた。台所の脳みそたちの親に違いない。
大きいだけあって黒ずんでいる。さっきのが白子ならこれは胡桃みたいだなぁ。
脳の表面の迷路のようなひだひだ、いわゆる脳のシワってやつにとりこまれていく軍人。とても気持ちよさそうだ。 (多摩川)


と、今度はガタガタッブルブルッという音が床下から聞こえてきた。
「なあに?」
と大きな破裂音がムリムリムリーッとして巨大な陰茎(およそ直径1m)が床を突き破ってタケノコの様に生えて来た。
気持ちは焦って(あああ、床に穴が開いちゃったよお)と思っているのだが「赤黒くて立派だなあ。凄いなあ。カッコいいなあ。赤黒くて立派だなあ。凄いなあ。カッコいいなあ。赤黒くて立派だなあ。凄いなあ。カッコいいなあ。」の感想の方が先に来てしまった。
そう頭の隅が喋っていたらその陰茎がゆうらるりすろろらりと回転し始めた。
一見異臭がしそうな塩梅だがそんなことは全然無く、逆に子供時代のフルーツ消しゴムのごとき匂いが仄かにして僕は懐かしさに背筋をさっと撫でられた気がした。
そしてまるで風鈴の様な風情のある風がへそへそとやって来て夏の名残りを強引に押し付けた。
「もう秋になるんだな。そして冬が来る。また春が始まって、間もなく夏がやって来る」
僕はひとりごちてとりあえずその陰茎のことは一切忘れて生活することにした。
するとそれに業を煮やしたのか、ひとりの相撲取りがいきなり部屋に入って来てその陰茎に向かって所謂鉄砲をし始めた。
ボホッボホッ。バルッバルッ。ボホッボホッ。
鈍い音が力強く間近で聞こえる。海の気配の汗も飛び散ってあたりもみゅるみゅるになっている。
「困ったなあ、これじゃ僕は到底寝ることが出来ない」
かと言ってその相撲取りは若い頃の稽古での事故なのか、耳が右も左も千切れて存在して無かった。
なので文句を言っても一切聞こえないという有様だ。
僕は困った時の癖で自分のへその穴に手を突っ込んでいたら、何とそこからまた新たな客人がやって来た。

「毎度ありがとうございます。あ、お客さま。申し訳ありませんが、その手を退けてもらえないでしょうか?」
僕のへその穴から声がしたかと思うと、手の隙間からオレンジ色の煙がシューッと噴き出してきた。
「何だこれは? こんなこと今までに一度もなかったぞ」
驚く僕を横目に、オレンジ色の煙はみるみる人の姿へと容を成した。
「えっと、自爆ボタンのお届けに参りました。こちらが商品になります」
いかにもクイズ番組の早押しボタンのような物体を、オレンジ色の作業服を着た男が笑顔で手渡してきた。
「そ、そんなもの注文してませんよ! それより、あなたは何者なんですかっ?」
「何者かは個人情報ですので、ちょっと・・・。ですが、確かにお客様が心の中で『みんな吹っ飛んでしまえ』とご注文された筈なんですが」
オレンジの男は伝票を見ながら僕に確認してきた。
「そ、それは・・・」
「それでは、お受け取りください」
再び営業スマイルで自爆ボタンを差し出されたが、僕の良心が受け取りを拒否した。
「そうですか・・・。どうせ全員が吹っ飛ぶ訳ですから、代わりに私が押しましょう。ポチッ」
「あっ」
事もあろうにオレンジの男は勝手に自爆ボタンのスイッチを押すと、さっさと元の煙に戻りどこかへ飛んでいってしまった。
「まさかね・・・」
この不思議な状況を理解しているのは、耳の聞こえない相撲取り以外の僕と脳にとりこまれそうになっている軍人だけだった。
「あー、あー。マイクテスト、マイクテスト。あ、これもう録音してるの? 失礼しました。あーさてー、ただいま自爆爆弾の・・・あ、自爆の爆って爆弾の意味だよね。これじゃ同じ言葉を繰り返してることになるよね。おかしいよね、爆爆って。ふふふ・・・ふごっ。おっと失礼。ただいま自爆ボタンのスイッチが押されました。10分後に爆弾が爆発します。周囲にいる方は、速やかに避難してください・・・。このアナウンスを冷静に聞いている人っているのかね。爆発するよ〜ん。あと8分ぐらいで木っ端微塵だよ〜ん。分かってるって。そんなに怒らなくても大丈夫だって。そもそもスイッチを押して、このアナウンスを聞く人なんていないから、問題な・・・」
時限爆弾から流れる渋い声の警告アナウンスに、僕は言葉を失った。というか、あっけにとられた。なんなら悪い冗談じゃないかとも思った。
「おい貴様ーっ! いったい何をしたーっ! 今すぐ俺を脳から引きずり出せーっ!」
ものすごい怒鳴り声に振り返ると、さっきまで気持ちよさそうにしていた軍人が鬼の形相で僕を睨んでいた。
「で、でも、どうやって・・・」
「バカヤローッ! 貴様それでも日本男児かーっ!」
軍人は怒鳴るだけで自分の案は無いようだ。横では事態に気付いていない相撲取りが、部屋の中で手に山盛りの塩を撒こうとしている。
「こいつら、さてはパフォーマンス頼みの弱虫だな」
僕はこの状況がおかしくて堪らなくなってきた。するとアドレナリンがいい具合に分泌されたのか、良いアイデアが浮かんできた。(デクノボー)


「そうだ、一度爆弾で吹き飛んでみよう」
意外に気づかない盲点の様な発想が僕を襲った。
「爆弾で吹き飛んだら、僕を構成している様々な物は一体どうなるんだろう。個体、もしくは細胞レベルで。そうだっ、そこでひと踏ん張りだ!」
僕はひとりでニョンマリしてしまって、思わずでんぐり返しをした。
「それぞれの体の部分で生きてみよう。そうしたら今までひとつだった僕がいくつにも分かれて生きられるかもしれない。そうすればひとつじゃないたくさんの僕が動き出す、って寸法だ」
そのアイデアに酔いしれている中、相変わらず軍人は顔を真っ赤にして何故か象の叫び声で「パォーパォー」と怒り狂い、相撲取りはガタイがでかいのにサイレントで四股を踏む練習を繰り返していた。
さあ、ボチボチ時限爆弾が爆発するドキドキドキリコの時間だ。

あたらしい僕はどんな僕? 
そう期待に胸を膨らませていたら、ついでとばかりに僕のかわいらしい陰茎も膨らんだ。
とってもウキウキしてきたぞ、と思うや否や、ヌュロメロメリリラとうねっていた部屋の陰茎(およそ直径1m)もビャブビャブ膨らみだした。
力士に激しく鉄砲されても立派に回転し続けた、いとおしい陰茎はもはや竜巻の様相を呈している。
このままでは、爆発する前に巨大陰茎に弾き飛ばされてしまうよー。ゴファーゴファー。
すると今まで寡黙だった相撲取りが、汗デュラヌラのまま僕の耳元で甘く優しく囁いた。
「あなた、こんなところで爆発するなんて、駄目。私の想い、受け取って!」

  バシィィィィィィィィーーーーーーーーーーンン

  爆弾作動から9分54.0724545秒。相撲取りの突っ張りを受け、僕は成層圏あたりまで舞い上がった。
陰茎に弾き飛ばされるのと、どちらがキュートだったかなぁ? とそんな事ばかり考えながら、遠く地上で僕を粉々にしてくれる筈だった爆弾が炸裂する音を聴いていた。
そのあと巨大陰茎が燃えながら宇宙へ飛び去って行くのを、僕は涙目で見つめた。
そして何事もなかったように近所のジャングルジムに着地した。
耳歌まじりで家へ帰ると、思いがけない光景が広がっていた。(オポムチャン)


「おばあ・・・ちゃん?」
それは僕の祖母だった。僕が小さい頃にチーズちくわを喉に詰まらせて亡くなった。
あれがただのちくわだったら窒息なんかしなかったのに、チーズが詰められてたばっかりに。
そんなおばあちゃんがみつこぶラクダに乗って玄関の前でホヤホヤしながら僕を迎えてくれた。
「お、おばあちゃん。死んだんじゃなかったの!?」
「それはどうだったかねえ・・・昔の話でわたしゃ忘れちゃったよ。でも人が死んだかどうかなんてそうたいした問題じゃないよ。とりあえずラクダで帰って来たよ」
僕はおばあちゃんが大好きだったから本当に嬉しくなっておばあちゃんの元に駆け寄ろうとした。
するとおばあちゃんはそれを止めた。
「駄目だよ、このみつこぶラクダに近寄っちゃ。菌があるからね」
「菌?」
「そう。わたしゃ免疫があるからいいけどね。これに触れると唇がヒリヒリするんだ」
「唇がヒリヒリ?そのくらい何でもないよ。おばあちゃん!」
そう僕がまたおばあちゃんに近づいた時だった。
「馬鹿!唇ヒリヒリを甘くみるんじゃないよっ!」
おばあちゃんが今まで聞いたこともないような大声で僕を叱咤した。
「え、だって唇がヒリヒリするだけでしょ?そんなのなんってことないよ」
そう言って僕がおばあちゃんに抱きつく為にラクダにちょっと触れた時だった。
おばあちゃんの「ああ〜っ!!」という聞きたくないヨガリ声にも似た叫び声とともに僕は突然のことに襲われた。

ラクダが唇からめくれ上がり裏返しになってしまった。
おばあちゃんもラクダの中に包まれて、気持ちよさそうな声をあげているのだ。
しばらくは出てこないかもしれない。まぁそれは運しだいだろう。案外すぐに若返って出てくるかもしれない。そういうものだ。

なぜおばあちゃんは僕を止めたのか。

以前にも似たようなことがあったから何が起きたのかわかった。

よく、そんなことをすると親の死に目に会えないよとおばあちゃんは僕を諌めることがあった。

夜中にバンジージャンプすると親の死に目に会えないよ。
へそで茶を沸かしておかわりすると親の死に目に会えないよ。
休日に家族全員でちょっと遠くのパチンコ屋へおめかしして行くと親の死に目に会えないよ。

親が死ぬ所は見なくては行けないような気がしていたからそういうことは避けていた。
つい言い付けに背いて放課後の三角ベースで遊んだ時にプロ野球助っ人外国人選手を雇うまでは。

三角ベースに助っ人外国人選手を雇うと親の死に目に会えない。散々言われてきたことだ。

僕は即死だった。

親より先に死んだから親の死に目には会えなかった。

認識が逆だったのだ。

今回も、僕の菌によってラクダが裏返しになっちゃった。

免疫があるラクダはおばあちゃんの菌では平気。

免疫のない僕の菌ではラクダの唇がピリピリしてめくれ上がってしまったのだ。 (多摩川)


そうだ。

僕はふいに思い出した。

僕は大きな鞄を持っていたのだった。
もしかして青い鳥が結局家に居たのだから本当の幸せはこんなところにあるのかもしれない。
僕は鞄の中を覗き込んだ。
するとそこにはあらゆる物が詰まっていた。

グガギビ ドロマレ トヴクホ マチフヌ
ルハエワ クヨレカ ハテトト ヒホケン
ホマンカ クミスヤ ミドワエ メメメメ
笑い・哀しみ・痛さ・痒さ・興奮・静寂・・・そして夢。
「ぼちぼち帰るとすっか!」
そういうと僕は鞄の中にスキップしながら足を踏み入れた。その瞬間だ。
鞄はものすごい勢いでニューッと伸びて伸びて伸びて僕を家を町を日本を海を地球をキュウゥゥッと飲み込んだ。
宇宙をキュウゥゥッと飲み込んだ。



「ハロー!応答せよ」
「・・・・・・・・」



あっ、もうカラッポだからどこにもなんにもないよ。


             ーーーーー了ーーーーー




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