石川浩司のぶらりしりとり商店街 前橋篇(BUBKA)



 俺は生まれは東京だが、御幼少のみぎりを藤沢で湘南ボーイとして過ごした。が、「こんな軟派な生活を送っていては駄目だ!」と7才の時に一念発起、木枯らし紋次郎の里、群馬は前橋にと「男」になる為、居を移した。(本当は、単なる親父の転勤)そこで小学2年から高校卒業までいたのだから、事実上の故郷、と言っていいだろう。その後、ライブ等では何回か訪れたことがあるものの、ゆっくり散策するのは、実に20数年ぶり。と、そこには、ある事実が口を開けて待っていた・・・。

 前橋駅に降り立つ。高校が隣の高崎だったので、毎日ここから電車に乗って通っていたのだ。但し、雨の日と風の日はかったるいので、すべてさぼっていたから、それ以外の毎日だがな・・・。あぁ、懐かしさがつーんと込み上げてくる・・・はずだったのだが、
「み、見覚えのない町じゃ~!」
 そう、20数年のうちに駅も駅前もすっかり変わってしまい、さらに俺の忘却力の強さから、まぁーったく知らない町になっていた。どこじゃい、ここは。「えーと、確か駅前をまっすぐに行けば商店街があるんだったよなぁ」それでもそのわずかに残った記憶で町歩きを始める。と、昔ながらの見事な駄菓子屋「うすい」が。最近は、駄菓子屋といっても、デパートの中で「ちょっとレトロ感覚を楽しんで下さい」的な明るい照明の駄菓子屋が多い中、なんとなく薄暗く、ゴチャゴチャとしたここは、正当派駄菓子屋だ。チープもの大好きな我々は、狂喜して、ミニマンガの福袋やら、水鉄砲やら買い求める。ピンクレディのブロマイドもまだ置いてあったぞ。創業50年で、昔は片隅で焼きそばなども食わせていたらしい。「大学生かい?」とか聞かれたが、俺が本当に大学生で現役だったら、23回生だな。ちょっと珍しいな。

 そしてしばらく歩くと「J小学校」が。なんと、俺が通っていた小学校ではないか。でももちろんここも、校舎とか全部変わっているので全然懐かしくない。当時は結構ワルの小学校として有名で、小学2年にして、クラスに少年院あがりが2人もいた。あとで考えてみると、少年院とかって、普通、中高生くらいで相当悪な奴が入る所ではないか? それが若干7才でクラスにふたり。A君は、気に入らない奴を次々リンチにかけて、指の爪を全部剥がしてしまう、という荒技で恐れられていた。Bさんは、親が「万引きをして帰って来なかったら、家に入れないからね!」という環境。今考えると、さすがに木枯らし紋次郎のふる里、ヤクザ度が高いな。ま、現在はそんなこともないんだろうけど。

 さらに歩くと、ようやく記憶が少し戻って来た。そこの公園を曲がると・・・あった! 俺が通っていた柔道の道場が。これはさすがに懐かしい。よくウサギ跳びをやらせられたっけ。今は「体に悪い」という学説で、ほぼなくなったウサギ跳びを。ちょうど先生が出てきたのでお話を聞く。でも俺が習っていた頃の先生は、皆、鬼籍に入ってしまったそうで、残念。スポーツ選手って、意外と長生きしないんだよね。やっぱりテキトーにだらけた生活をのんびり送っている方が、案外長生き出来るのでは? と思ってしまった。
 そしてこの柔道の練習が終わっての一番の楽しみは、近くの肉屋でハムカツを囓ることだったのだ。俺の「まちあわせ」という曲(「イカ天」を見てた人は、最終週にやった、ギター一本だけで、メンバーが全員直立不動で歌うアレね)に「♪兄さんはヨシムラでハムカツ買って食べ歩き」という一節があるが、店名こそ違うが、ここで毎日のように食べたハムカツがモチーフになって出来た曲だったのだ。そして、その肉屋がまだあった! しかしそこには衝撃的な文字が。「馬肉・馬油あります」そして、でかでかと馬の絵が店の看板に。つまり、どうやら馬肉専門店ぽいのだ。ということは、俺の食っていたのは、馬のハムカツ! 道理で安かったはずだ。しかもその後、いろんな肉屋でハムカツを食べたが「なんか違うなー」と思っていたのは、そういうわけか。残念ながら店は開店休業状態でハムカツを食うことはかなわなかったが、俺の今のパワーは、馬肉によって与えられたものだったのか。道理で、今でもスーパーとかに入ると、ハッと気づくと生のニンジンを店内でボリボリ無意識のうちに囓っていて、
「お客さん、レジ終わってからにして下さいよ」
 と言われてしまうのは、そういう原因だったのか。・・・って、そんなことせんわいーっ!


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