石川浩司のぶらりしりとり商店街 和田塚篇(BUBKA)
駅名をしりとりで散歩するこの企画、前回は「新小岩」だったが「わ」が都内で見あたらず、鎌倉から江ノ電でひとつ目の「和田塚」に向かった。と、行き先が憧れの「鎌倉」と聞いた途端、俺の妻、妻の姉、友人などが「ひゃっほー!」と大挙して同行。イラスト・担当と合わせて女5人に囲まれてのハーレム散策(?)と相成った。
俺は実はおばさんだ。もとい、おばさん気質なのだ。
昔から「石川君といると、男の人といるっていう感じがしなくて、話しやすーい」という賞賛(?)の言葉をもらうことが多かった。女性週刊誌が好むような話題にも「へ~、それで、それで!」と身を乗り出し、鼻息をフガーッと荒くしてしまうからな・・・。
それはともかく、本日は女だらけの中、鎌倉駅の隣の和田塚駅へ。
と、いきなり改札も通らず、線路にひょいんひょいんと飛び降りる面々。おおおっ!? いきなりの集団飛び込み自殺はナンデナンデ!? 俺の取り合いに疲れた女達の成れの果てか・・・と思ったらさにあらず。そう、ここには道ではなく、線路に向かって門が開いているという、珍しい「無心庵」という甘味処があるのだ。線路を乗り越えてしか行けないという怪しいお店なのだ。早速、あんみつ、落雁などにムシャムシャと食らいつく餓鬼と化した面々。俺もトコロテンときび団子という渋いセットを頼む。庭に来たリスを見ながら「知床旅情」や「五木の子守歌」を隣のテーブルのおばさん達と歌ったりして(なんでそうなったかは今でも謎)まったりしてから、さて出発。
細い路地を抜け、商店の並ぶ通りに出る。と、そこは謎の店がひしめく不思議街道だった!
大正時代あたりに建設されたレトロな銀行は、一時期「Bar BANK」というバーだったという。
その前にある「S薬局」のおやっさん(泉谷しげる似)は、その説明を山中さんのノートにがんがん書き始め、しまいにゃ全然関係ない昔の文字の説明まで始めてくれた。資料用のノートがおやっさんの文字でグチャグチャになった山中さんは、こっそりそれを消しゴムで消していた。
「アジア商会」でドリアンチップスを買い、
「格闘科学研究所」という名の骨董品屋で、彩色された不思議な中国の櫛のセットを買う。
他にも「茶碗屋呉服店」とか「人形屋履物店」など「オラオラオラ、どっちなんじゃーい!!」という店、多数あり。「紙」と大書された紙屋兼駄菓子屋の角を曲がると、鎌倉駅につながる御成通り。煙草の自販機に珍しい「アル・カポネ」という煙草があり、買ってみる。駄菓子の「チョコ・シガレット」みたいな小ささで格好良い。「地井武男の靴」という不思議な看板の靴屋は、よく見ると「菊池武男の靴」だった。
と、ひときわ目立つ古い洋館が。「旧・安保小児科医院」と書かれたその建物には、自由に入ることが出来た。と、そこには! 病弱で、しょっちゅう小児科医院に通っていた俺が、子供時代に一気にタイム・スリップしてしまった。病室の天井には、子供を惹きつける為の鶴の漆喰が。壁からはブーフーウーの三匹の子豚が顔を出している。レトロな体重計や、ビーカーなど医療器具もそのままだ。小さなベビーベッドには、赤ちゃんの人形が眠ってた。子供時代は、決して好きではなかった小児科医院だが、なんともせつない懐かしさで、それが目の前にそのままにある。
俺の胸は何故だか、キュンとうずいたのだった。
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