「風来のシレン GB版」

この間、ベトナムに行ってきた。食い物が安くてうまくて、良かったなー。アジアはどこでも同じだけれど、ゲームセンターではやっぱり圧倒的に日本製のゲームが多くて、「ザンテツケン」とか「オヌシ、ナカナカヤルナ」などというゲーム以外の世界ではなかなか使う事のない日本語ばかり、ベトナムの子供達が覚えているぞ。これで良いのか? 日本大使館。ちなみにおかし屋の看板は、ほとんどドラえもんやのび太。書店の漫画コーナーは「ドラゴンボール」や「ちびまる子ちゃん」はまだわかるけど、「じゃりんこチエ」や「男一匹ガキ大将」(ベトナム題・MANKICHI)は、その文化的背景がわかるんかいな、学ラン軍団だぜ、おい。と思うがそれでも強引に読まれているのが事実だ。

 さて、もちろんこの南国でも我らのゲームボーイは席巻していた。なんせ昼間はあづぐであづぐでしょーがないけど、一応商店は開けてないといけないので、店員のにーちゃんねーちゃん達は皆、日陰でぴこぴこやっているのだ。当然、ソフトは香港あたりから流れてきたコピー物。例の、一本の中にゲームが100とか150、量で勝負じゃい! と詰め込んであるという違法物だ。しかし、この国には正規物は売っていないのだから、それをやるしか仕方がない。僕も早速一本買ってみた。おぉおぉ入っとる。コピーされとる。「ドクター*リオ」や「テト*ス」が。日本語の解説そのままに。

 で、まぁそれも暇つぶしには良いのだが、結局やり続けたのは日本から買ってきた「風来のシレン」だった。旅をしながら、さらにゲームの中で旅をしていた。劇中劇ならぬ旅中旅だ。
 ホーチミンで「どうたぬき+3」を拾ってウホッホ笑い、ハノイで真空切りの巻物を使って皆殺しにした。高原の町ダラットではヒューっと落とし穴に落ち、海辺の町ニャチャンではタンモモと出会った。何度も何度も死んで、また何度も何度も旅立った。いくらやってもやり足らぬ。まるで出来そこないの機械仕掛け人形のようにアワワアワワと繰り返した。
 いや、シレンが死ぬと確かに「何がモンスターハウスじゃ、何がくねくねハニーじゃー! こ、こ こまで何時間かかったと思うとるんじゃー、お、おのれはー!! に、2度とやるかー!!!!」と誰もいない虚空を強くげんこで殴ったりは、するのだ。そして鼻息荒くスイッチをオフにしてひとしきり泣いたりは、するのだ。なのだが、30分もすると、もう切れた電池を買いにベトナムの人々をかき分けてえっさほいさと市場に走ったりしてる自分がいるのだ。

 アル中、シャブ中の人達もきっとこんななんだろうなあ。
 しかし一体なんでこのゲームはこんなに楽しいのか?
 でも、その理由はわかる気がする。
   実は、僕は缶ジュースのコレクションしている。旅をしながら集めている。そう、世界にはいろんなわけのわからない、なんじゃいこらこんなの飲めまっかいなのジュースがある。
アスパラガスジュース。白樺の樹液ジュース。紅茶の香りのコーヒー。焼き芋ドリンク。そんなん売 れるかー!! と素人目にもわかる奇妙な飲み物がたくさんある。おかげで我が家は本来「ゴミ」とされている空缶で埋めつくされてしまった。

 しかし本当に楽しいのは、コレクションが充実していくことでは、実はない。
 知らない町の雑貨屋やしょぼくれたスーパーに入り、そこで見たことのないチープな缶ジュースを見つけた時の「わっ、なんじゃ、こりゃ!」の発見感。他人にとってはただのしょうもない売れ残り商品が、僕にだけはかけがえのない宝物なのだ。光り輝いているのだ。シャインシャインなのだ。
 それを見つけた瞬間の喜び。
 つまり、この「発見の喜び」の為にコレクションをやっているようなものだ。

 「風来のシレン」も道中、いろいろな拾い物がある。「いい拾い物」をすることが、実は過程ではなく最大の目的なのだ。もちろん合成したりしてさらに強力な武器や防具にしていったりとかの工夫もあるにはあるが、基本は拾い物だ。拾い物が楽しいのだ。
 ビジュアルが凄いだの、戦闘シーンが新しいだのとうたっている製品が多いが、「風来のシレン」はつまるところ、ゲームというものの一番面白いところだけが凝縮されている、余分な部分や面倒な約束事をとっ払った、とってもスマートなRPGなのだ。

(宝島社「このゲームで遊べ!」ムック本) 


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