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五月七日 粉の日
五月七日 粉の日
粉、と言ってもメリケン粉とか小麦粉とかそういう粉業界の記念日ではない(実際にあるのかもしれないが、ここでお伝えするのは別物である)。体から出るあらゆる粉状の物に光を当てる日である。
体から出る粉状の物、というと一般に何を思い浮かべるであろうか。
フケ、乾いた耳垢、剥がれ落ちる皮膚の一部、水虫の人などにみられる足の指と指の合間から出る白っぽい粉。
皆、正解である。
そして皆、排泄物として汚いものとして認識されることが多い。
しかし彼ら体から排出される粉状の物は老廃物ではあるが、その老廃物になるまでの過程においては人間の体を外敵から守る言わば最前線で活躍する身体防衛軍だったわけである。彼らのおかげで例えば悪性の菌などからも知らぬうちに戦いの末、あなたは守られていたのだ。
「老兵はただ去るのみ」と言う謙虚な姿勢から、彼ら粉物達があなたに見返りを求めることはない。しかしだからと言って「うわっ、汚ねぇっ!」とか言って即座にティッシュに包んでゴミ箱なりに捨てていいものであろうか。人知れず活躍してくれた彼らに感謝のひとこともないばかりか、むしろ悪者扱いをして。彼らは人間でいわば御老人である。敬うことはあっても、祖末にしていい道理がない。
ただ、確かにひとつひとつの存在は小さいものであるので毎日仏壇や神棚等にお供えして何時間もお礼の言葉をのべるのはちょっと行き過ぎだと思うし、彼らもそこまでは望んでいない。
しかし年に一回ぐらい感謝の意を表しても罰はあたらないのではなかろうか。
そこで語呂のいいこの日を「粉の日」と定め、粉達が喜ぶことをしてやってもいいのではなかろうか。
では一体粉達は何を喜ぶのか?
名前は証せないがそれら体から出る粉達とお友達なのでお話が出来るのよウフフフフッ、というとある科学者によると粉達は普段自分達がそれぞれひとりづつで尚かつ小さいので、他の粉達と交流を持ちたい、また大きくなってみたいというアンケート結果が出たそうで、つまるところ彼らをひとつにして団子にしてやることが彼らが最も喜ぶことだと言うことが判明したのだ。
なので本日は風呂に入る前に(水分を大量に吸収することは粉達には「死」をも意味するので絶対に避けて欲しい)、まず部屋でひとり静かにメッカの方に向って一礼をした後静かに全裸になり、新聞紙などを敷いて己の胴体を横たえ、体中をゆっくりとていねいに掻きむしり、とにかく粉という粉を徹底的に出すことだ。
そして水分は含んでいるが彼らのある種の仲間でもある唾液・鼻汁等をつなぎとして、粉団子を作って差し上げるのだ。彼らは他の粉との初めての接触にくすぐったい気持ちになりながらも喜びを隠すことは出来ないであろう。きゃあきゃあと無邪気にはしゃぐ粉達の声も、耳をすませば聞こえてくることもあると言う。
作り終わった団子は出来れば、食べてやってほしい。
そうすれば彼らは場合によってはまた貴方の体の中で新しい粉となるべく生まれ変われるかもしれないのだから。ちなみにそれによる腹痛や奇妙な得体の知れない病気の発生等については当方では責任は持てないので、自分が持てる感謝の気持ちとのバランスにおいて実行するかどうかは自己判断して欲しい。
ちなみに私は遠慮しておく。
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