五月六日 ゴロの日



 年度によって曜日の違いがあるものの、世間では一般的にこの日はいわゆるゴールデンウィーク明けの、
「さぁ、今日からまた仕事にいっちょ戻るか!」
 というある種気合いを入れ直す日であると今までは思われてきた。

 しかしゴールデンウィーク明けで体はすっかりなまっており、なかなかそういう気分にならない人も多いのではなかろうか。なんとなくぼーっとした感じが拭いされないというか、そんな日でもある。
 で、どうせぼーっとしてしまうのなら中途半端に仕事を再開してもあまり良い結果が現れないのは周知の事実だ。

 そこでこの日は会社等に出勤はするものの、なんかゴロゴロと休日をひきずったまま徐々に仕事に復帰していこうじゃないか、という日である。
 ネクタイをゆるめ、太っているものはベルトなども外してずぼんもゆるめ、ブリーフなど半分はみ出ている事なども気にせず、ダッラ~とだらしなーい姿勢で椅子に腰掛け、一応書類なぞに目を通しながらも半分エヘラエヘラ笑いながら仕事にのぞむ。そのままの格好でしばし涎などワイシャツに垂らしながら昼寝とシャレこむのもまた一興であろう。
 この日が制定されたのはこの五月の記念日の中では最も新しい、平成に入ってからのことだ。

 何故それまでの「気合いを入れ直す日」がゴロゴロする「ゴロの日」になったのか。
 これはスポーツ選手を例に取るとわかりやすい。スポーツ選手がある試合や大会・シーズンなどが終わってしばし休息し、また次の試合の為に練習を再開する時、いきなりマックスの練習をするものはいない。これは体が出来ていない状態なのにいきなり急激な運動をするとかえって体を痛めてしまい、結果的に徐々に練習量を増やしていく方が効率的なことがもはや常識であるからだ。そしてこれは何もスポーツ選手に限ったことではなく、肉体的・精神的に元の職場状態に戻すのはスポーツだけではなくどんな仕事にも応用出来る、もしくは必要であるというのが最近の医学界の考え方である。
 もっとも昔の人と違い日本人がだんだん弱くなってきたという原因もあるのだが。
 しかしそこは生まれた瞬間に本人が望んだわけでもないのに「新人類」とかわけもわからず決めつけられてしまった今の四十歳以下の者の宿命でもあるのでこちらに責任を転嫁されても困るのである。

 尚、この「ゴロの日」を境にその後もゴロの日を独自で続け、社会に復帰出来なくなり新しい人生を送り始める者も多いと聞くが、それは勝手である。かくいう私も四十を過ぎたがこのゴロの日を継続している。というか人生のほとんどがゴロの日だ。

 仲間は多い方が安心するので、是非貴方もこちらの世界にいらっしゃいな。


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