五月二十六日 吾煮夢の日



  「吾煮夢」とは聞き慣れない言葉だと思うが、つまり自分を煮て食べる事を夢想する、という特殊な日だ。室町時代頃に(宗派のへだてなく)僧を中心に発達した言葉なのでちょっと判りづらいかもしれない。
「自分を煮て食べる」とはそも何か。そう、分かり易く言えば自我滅却の事である。「自分という存在を食べて失くしてしまおう」ということである。これは「悟り」のうちでも最高位に位置づけられるもので、自我という「私が、私が」という精神を煮て食することにより滅却することは、いわば「自己」というものを完全に捨て去り、神や仏になるということである。なのでこの日を選んで「夢」を取り払い「吾煮」になる修行、即ち即神仏への修行が行われる日でもあった。

 尚、即神仏=ミイラと思っている人がいるかもしれないが、それは誤り。即神仏は、お経を唱えながら行うもので、ただ寝そべりながら乾燥してしまったミイラというものの極一部でしかない。
 ちなみに全国に現在確認されている即神仏十六体の内七体は山形県にあり、この日から修行に入る為、季節柄梅雨時や夏場にかかり仏になる者が多いが、失敗すると黴に全身を覆われて皆に「うわ~緑色人間だぁ。気味悪ぅ~!!」と言われたり、腐敗して皆から「くっ、くっせぇ~!!」と言われたりするだけだ。
 そうなっては仏ではなくただの燃えるゴミの日に大家のおばさんに「重いわねぇ、もうっ!」とか言われてポリ袋に入れて捨てられるだけなので、泣いても泣ききれない。つまり即神仏を希望するものは科学の勉学もしっかりして知識を身につけておかねば、とんでもなく格好悪い事になるということだ。
「即神仏になってやる! なんて気取って宣言しなければ良かった~。これじゃただのゾンビだよ、トホホホホ~」
 ということになり今や知る者も少ないマイケル・ジャクソンの「スリラー」を踊るという古めかしいことしか出来なくなりかねないので、充分注意が必要である。現在、法律上は「即神仏」は自殺扱いになるので公的には禁止となっているのだが、今でも隠れて行われている所もあるという話を聞く。
 とまれ、「吾煮夢(ごにむ)の日」。

 覚えていても一般庶民には特にどうということもない記念日である。


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