五月二十三日 子兄さんの日



   この日はいつも親や先生、年上の人達から怒られたり注意を受けたりする子供達にとっては何とも嬉しい日だ。というのは本来年下のはずの子供が大人達からもこの日だけは「兄さん」(もしくは「姉さん」)と呼ばれ慕われるからだ。つまり逆に言えば子供達が大人を弟扱いしても良い、ということでもある。だから例えば大人達に向かって、
「おいっ、金はやるからひとっ走りガム買ってこいや!」
 などと指図をしても良いし、
「な~んか肩こったなぁ。あとでオモチャ貸してやるから、いっちょ揉んでくれや~」
 なんて妙な子供も出てくる。大人は苦笑しながらも今日だけは「兄さん」だから、よほど無茶なことを言われない限り従わなければいけないので、
「はいはい、わかったよ、兄さん」
 と言って一日限りの「弟」になるのだ。

 実はこの風習は意外にも歴史があり、鎌倉時代あたりには庶民の間でかなり浸透していたのだ。
 というのもその当時は今より医療も発達していなかったので、どうしても子供の死亡率が高かったのである。つまるところ大人になる前に死んでしまう子供も多かったということである。そんな時、子供が例え年に一回だけでも「兄さん」つまり大人よりも年上の立場になって振るまってもいいこの日は、子供達にとって一種のお祭りの日であった。

 そんなちょっと切なくも悲しい状況で生まれた記念日だったが、しかしその幕切れは意外にあっけなかった。戦後もひと段落し、日本が高度成長時代に向かおうとした昭和三十四年五月二十三日、新宿歌舞伎町で近所に住む当時小学三年生だった博之ちゃんという子供の元にチンピラがやって来て、
「兄貴、大谷組に若い衆がやられました。今から向こうの事務所に踏み込みやす。先頭を願います!!」
 と言われてドスを持たされ、兄としては弱い弟の為、断ることも出来ずに、
「お、おおっ、大谷組だな。つ、ついて来い!」
 と言って組の事務所に先陣を切って乗り込み、そして返り討ちにあい、殺害されてしまったのだ。当時新聞の一面トップを飾ったこの「博之ちゃん事件」。現在五十才以上の方で記憶に残っている人も多いであろう。
 そんな「子兄さんの日」を逆手に取った事件が起きてしまった事から、急速にこの記念日もほとんど現在の都会では知る人も少なくなってしまった。

 ほのぼのとしたエイプリル・フールにも似たお遊びの日だったので、子供が威張るヤンチャな目が輝くこの記念日をまた復活させたいものだ。


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