五月十八日 鯉や!の日
魚屋さんへ行って明らかにマグロなのに、
「鯉や!」
今日が「鯉や!の日」だと知らない店主は、
「坊主、違うがな。これはマグロやで~」
と言っても大声で、
「鯉や!」
「ちゃうちゃう、マグロや言うてるやろ」
と、子供はくるっと振り返ると今度は間違えるにも間違えようのないタコを指差し、
「鯉や!」
「坊主、これはどっから見てもタコやろが。足は八本や。ちなみにイカは十本やでぇ」
「鯉や!」
「おい、坊主。大人をからかうのもいいかげんにせいやっ! こんな鯉がいるわけないやろ!」
と、今度は魚屋のおっちゃんの顔を指差すや、目をまんまるに開けて、
「鯉や!」
「鯉や!」
さすがのおっちゃんも怒る気力も失せ(この子はちょっと頭の弱い子なんやな…)と同情し、
「そうやな、おっちゃんも鯉やな」
と聞くや、子供はニッコリと微笑むと魚屋を離れ、隣の八百屋の大根を見ても、
「鯉や!」
ショーウインドウの黒いブーツを見ても、
「鯉や!」
ヨタヨタと歩いている猫を見ても、
「鯉や!」
・・・と、そこに時代遅れの着流し姿でひとりの老人が現れ、
「おおっ、『鯉や!の日』を今時分知っているとは、なんと粋な子なんじゃっ!」
と言うやその子に近づき耳元で、
「鯉や!」
すると子供も嬉しそうに、
「鯉や!」
お互いほがらかに、
「鯉や!」
「鯉や!」
「鯉や!」
「鯉や!」
それは祭りの「せいやっ!」という掛け声にも似て、街頭にこだました。何を見ても「鯉や!」と声をかける江戸中期の大人の遊び、「鯉や!の日」。
威勢良くも「物の名前とはそも何か」という哲学的本質にも繋がる問題を投げかけるこの記念日を、また皆の知るところとなることを切に願いたいものだ。
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