五月十七日 濃いなの日



   つまり例えば定食屋に入って味噌汁すすって、それが普段と変わらない味だったりしても、
「おばちゃん、これ、濃いな~。ワシが高血圧なの知っとるんやろ。殺す気かいな~!!」
 と要するにイチャモンを付ける日なのだ。なのでこの記念日を知っている者は、
「あぁ、今日は『濃いなの日』だもんな~」
 とほくそ笑むが、その知識がなくてやたら「今日は味付けが濃すぎるでぇ!!」とか言われたレストランのシェフ達は、
「自分の舌が麻痺してしまったのか、あんな味の分からなそうなただのオッサンにそんなこと言われるぐらいだから、よっぽど濃かったのだろう。あぁ、俺の料理人としての人生は終わりか・・・」
 と突然カウンターの向こうで頭を抱えてしゃがみ込み「ウウウ~」とか泣き出す奴もいるかもしれない。神経質な人間だと「味が分からなくなった料理人などもはや生きている価値なし」などと自分を思い詰めてしまい、青木ヶ原の樹海行きのバスの片道切符なぞを即刻買いに走った者もいたという話も聞く。

 と、それはあまりにも可哀相なのでそのシェフの後ろからまわって肩をポンポンと叩き、耳元で優しく、
「馬鹿だな、今日は『濃いなの日』だよ」
 と声をかけてあげよう。すると己の未来に一筋の光明が見えたシェフは、
「ウオォォォォーーー、そうだったんでごわすかーーーっ。ありがとうございますうぅぅぅぅーーっ!!」
 と何故か突如肥後もっこすになって泣き崩れ「北の国から」並みの感動シーンが店内に出現することもあるであろう。
 イチャモンを付ける日とは一見悪い記念日のように見えて、慢性化した我が身を返りみる機会を与え、こんな感動的な結末を迎えることもある、とても素晴らしい記念日なのだ。


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