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五月十日 誤答の日
五月十日 誤答の日
とにかくテストや問題が出されたら、全部間違っていい。
というか故意にでも間違わなければいけない、というちょっと変わった記念日がこの日である。
この歴史は大変に古く、中国で科挙という史上最難関と言われる試験の試験官を長年勤めていた青三(チン・サン。英語圏ではブルー・スリーと呼ばれていた)という人物が決めたもので、
「世の中、正解ばかりでは面白くない。文化発展の為にも素晴らしい誤答を!!」
ということで生まれたという説がある。
確かにこの世の中「正解=良いこと」と暗黙のうちに了解されている。
ただ、果たして本当にそうだろうか?
そも、人生においてさえ「何をもって正解とするのか」という事すら誰も明白には出来ないのだ。
それをたかだか学校のテスト程度の事で教育指導要項に沿った「正解」を、常に本質も考えずに求めることを「おかしい」とすら考えないのである。
この方がより問題の根は深い。
そも何を正解とし、何を間違いとするのか。
第二次世界大戦中は「鬼畜米英」がある種日本においての「正解」であった。
しかし敗戦になった途端、一夜にしてその「鬼畜米英」がまるっきり反対の「アメリカさんよ、ありがとう」になったのだ。かくも正解があてにならないことは、歴史が証明済みなのだ。
そして「ギブ・ミー・チューインガムッ!!」と叫んでいたような子供が今の老教師だったりするのだ。
正解なんて、この世にはそもそも存在しないのである。
なので正解と同じくらい誤答も必要なのだ。
せめてこの日くらいは積極的かつ果敢に誤答をしていこうではないか。
もしも無知な先生が君を職員室に呼び、
「なんだっ、このふざけた解答はっ! 日本の首都=青森県北津軽郡東京村、とは!!」
などと激高していたら君はひとこと、
「先生、記念日というものをもっと勉強した方がいいよ・・・」
と窓の外を眺めながらゆっくりと雲雀でも目で追うがいい。
正解だけじゃない世界の晴れ晴れしさを思い描きながら。
そして「誤答の日」を知った先生が土下座をして生徒に謝る。
「すまん! 俺の知識不足、そして正解の不確かさを教えてきた俺の教育方針を許してくれいっ!!」
この土下座をした一見かっこの悪い先生だけが、真の教師、教育者たると言えるのではないだろうか。
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