五月一日 剛胃の日
江戸時代に忍びの者、所謂忍者がそも始めたもので「剛胃」即ち胃を鍛え強くする日である。日頃からありとあらゆる厳しい鍛錬に耐えている忍びの者だが、体の中というのは意外に盲点でありおろそかにしていたりするものだ。
仕事柄、早飯をかっこまなければならない事も多いので、いざという時に腹がくだっている場合も実は多いのだ。だがもちろん非常時だといっても、
「あっしは今日は下痢ピーでやんして、お休みということで。そこんとこひとつよろしくたのんま! ケッヘヘヘッ」
などということは、例え口が耳まで裂けて口裂け男になり都市伝説の主人公になったとしても言えるはずもなく、小腹をイテテテと押さえながらも出勤するのだ。
しかしある時その下痢ピー状態で勤務をしたものが、帰り道に我慢が出来なくなり、素早く逃げ走りながらもブツを点々とまるでヘンゼルとグレーテルの道案内のように落としていったことから足がついてしまい、隠れ家を一網打尽にされたことから、
「今後は肉体だけではなく、内なる臓もきちんと管理せねばならぬ!」
と言う師範のお達しにより薫風香るこの日を「剛胃の日」として設立したのである。
まず師範がさせたのは暴飲暴食だ。
朝の四時に忍びの者を叩き起こすや陽が暮れて眠るまで間断なくとにかく食い続け飲ませ続け食い続け飲ませ続け食い続け飲ませ続けさせたのだ。
大喰らいの奴などは一瞬満面の笑みを浮かべて、
「ごっつあんでぇぇすっ!」
などと普段あまり多くない給金で節約している分を取り戻そうという勢いでウホホウホホと食べまくり飲みまくったが、それも数時間でさすがに満腹中枢から「否!」の信号が送られた事を師範に爪楊枝片手にシーハーしつつ「ごっつおさまでがんした!」と伝えたが、
「馬鹿者! これは修行じゃっ!」
と激しく恫喝され、泣きながらそして時折手水に行ってウンガロウンガロ戻しながらも食いかつ飲まされる荒行はまるで拷問の如きであった。
しかしてさすがに忍者と言っても人間、十数時間も物を絶え間なく食い続けるのは不可能というもの。そこで時折休憩は挟むのだが、そのわずかな間にももうひとつの修行が待っている。即ちお互いの体を巨木などに縄でくくりつけ、胃のあたりを、
「せいや、せいやっ!」
のかけ声とともに木刀で思い切り叩きつけるといういわば「外から内を鍛える」という修行なのだ。
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
師範が声を荒げる。
「もっと、もっとじゃ!」
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
いつのまにか何故か師範の口元からは涎がだあらだあら垂れている。
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
「まだまだっ! もっと強く! もっと強くじゃっ!」
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
師範の顔はもはや恍惚となり、年甲斐もなく激しく怒張した下半身の隆起を隠すことも出来なかった。
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
「せいや、せいやっ!」
「ふんむっ!」
汗をだらだら垂らしながら蛙のようにぷっくりとはち切れんばかりに張った腹を木刀で叩きつける。もちろんあちこちで嘔吐をするものが続出でそれはそれはおぞましい光景であった。臍の穴から何か見たこともない異様な黒い液体をピューッと吹き出してこと切れる者までいたということである。
その様子を見て何故か師範はハアハアと荒い息づかいでとろけそうな目をしながら、
「んむむむ。これで良い、これで良い。これでこそ心技体の極意じゃあっ! んんっ!?・・・あっ、ああああっ!!」
とひとり果てて下着を激しく汚しているのであった。
しかしそれが逆効果であったことはほどなくはっきりした。
何故なら暴飲暴食がそれ以来癖になり最悪死ぬる者、また腹を強く打ち続けられて最悪死ぬる者、「剛胃の日」が近づいてきただけでそのおぞましい修行を思い出し発狂して最悪死ぬる者などが続出し、みるみる忍びの者が忍びの者だけにどんどん草葉の陰に隠れていってしまったのである。
「剛胃の日は失敗じゃったな……。」
という師範の一言でわずか数年でこの剛胃の日は闇の中にかき消された。
最近になってとある文献からこういう日が制定されことが発見され、時代考証の研究家達からも口々に、
「しょーもねぇーっ!」
と苦笑される幻の記念日である。
おそらく今後もこの「剛胃の日」、再び日の目を見る事は決して決してないであろう。
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