2005新年挨拶



 明けましてど〜もでーす。
 さて、昨年は約20年近く在籍した「たま」が解散し同時に「有限会社たま企画室」の社員でもなくなったので、全くのソロ、フリーランス、言い換えれば自由業、もっと言い換えれば無職、お先なーんもナッシングになってしもーたのよね〜。43才、でも真っ当な仕事につく気はもーとーないでーす。ちゅーか出来ないでーす。ということで基本的には「どーすんべ〜」と思ってボーッとしていたのだが、とりあえず手帳を開いて何やったかな〜とちょっと振り返ってみまーす。ということで2004年の個人的10代ニュース也。

1・石橋幸シベリアツアー・ゲストバック
2・演劇「バット男」出演
3・演劇「マカブルタンツ」出演
4・半生記「『たま』という船に乗っていた」出版
5・無声映画弁士初挑戦
6・「ホルモン鉄道」数年ぶり発車
7・アジアでフニャフニャ
8・「すごろく旅行」数年ぶり復活
9・リングの上で初熱唱
10・ポエトリー・リーディング初挑戦





1-ロシアのアングラ民衆歌を歌うおそらく日本でただひとりの女性、石橋幸ことタンコさんに誘われて8月にシベリアへ。ホール・ストリートで5回ほど演奏。ウラジオストック、ハバロフスクという都市にも行ったが白眉はやはりマガダンという町。ここは旧シベリア抑留の人達の監視人達を住まわせる為に出来たという、いわば観光などではまず訪れる外国人もいないと思われるシベリアの中でも最果ての地。そこでタンコさんのバックで叩いたり歌ったり踊ったり。さすが旧社会主義国だけあってトラブルの連続だったが、その分二度とは出来ないだろう貴重な経験をさせてもらった。

2-河原雅彦演出、共演水橋研二、持田真樹他。「たま」時代は劇中バンド兼ちょい役でケラリーノ・サンドロヴィッチ作品の演劇には出ていたものの、10数年振りの演劇単独参加。プロの役者さん達に混ざってやらさせていただいた。当初、過激で知られる河原さんの演出ということで奇抜なことをさせられると思ったが、かなり真っ当な芝居であった。10月に新宿のシアターサンモールで10数公演。

3-高橋征夫演出、共演大久保鷹他で12月に中野光座で10数公演。体調不良で1回休演してしまうなどのトラブルもあったが、若手とベテランの狭間でまた「バット男」とは微妙に違うアングラ的な感じで役者兼パーカッションを楽しんだ。

4-「たま」の結成から解散を主軸に、これまでやってきた俺のわけわからん半生を振り返った本をぴあから2月に上梓。それに伴い、帯を書いてくれたよしもとばななさんと朝日新聞で対談したり、初めて出版記念のトークショーをやったり、プロモーションの為とんねるずのテレビなどにも出演した。

5-喜劇映画研究会主催のバスター・キートン等の古い無声映画の弁士に挑戦。アテネ・フランセにて1月に出演。おかげさまで反応が良かったらしく、今年も連続出演予定。

6-大谷氏との異色ユニット「ホルモン鉄道」(本来は`95年に出したCDタイトル)のライブを7月に名古屋と飯田で行う。鉛筆削りを楽器にしたりのくだらないステージを久しぶりに堪能。

7-2月にタイに一ヶ月、4月にボルネオに、6月にベトナムにダラダラしに行く。タイは基本はひとりだが、友人や妻と途中合流。ボルネオは妻と久しぶりにふたりでリゾートへ。ベトナムはまったくひとりで安宿街の半径500mの中だけで沈没。やっぱりアジアはいいニャ〜ッ。今年も1月末からタイに避寒にひとりで1ヶ月滞在する予定。

8-雑誌の連載等はあったが、友人と全くのプライベートでは10年ぶりぐらいに7月に「すごろく旅行」を復活。しかし意外と体力を使うものと判明し「いつの間に年をとったんじゃ〜」と心の隅で思う。

9-12月の暮れもおしせまった頃、キャット・ファイト(女子プロレス系)のリングの上で試合のゲストでマットの上でソロで歌う。女子ファイター達にもコーラスで参加してもらったりする。ついでに何も知らないのにゲスト解説員までやってしまうというこれまた珍しい経験。

10-2月、友部正人氏の企画のイベントでポエトリー・リーディングに初めて挑戦。他の出演者が真面目に詩を読む中、俺はもちろん・・・。CDブック発売予定有り。



ということで、小さいながらもいろんなことに初挑戦したことも多い年だった。
さ、今年もまた「楽しい仕事」やるぞ〜。もちろん「楽しいただの遊び」もね。
 仕事依頼「こんなのもありっ?」ってゆーのも、やるやらないはともかくとして、何でもメールで受付しております。本年もどーぞよろしく!!

2005年1月2日 石川浩司  
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